「今夜の晩飯は、あたしが作るぞ。」
 朝、久々にかずさがそう宣言したのに対して、春希はふっと息をのんだ。かたや曜子は苦笑いしてため息をついた。
「いや、おまえ――ぼちぼちレコーディング追い込みで、忙しいんじゃないのか?」
「男がいちいち細かいことを気にするな。大丈夫だ。鍋だし。」
 胸を張るかずさに、春華が如才なく、
「じゃあかずさママ、わたし今日は学童行かずに、まっすぐ帰ってきてお買いものしとくね?」
と突っ込んだ。
「ありがとう春華。でも大丈夫。あたしに全部任せておきなよ。」
「うーん、でもおとうさんの言うとおり、かずさママはいそがしいんでしょう? 雪音のお迎えだってあるし、お買い物メモを書いといてくれれば、私がかわりに行ってあげるよ。その間かずさママは練習しててよ。」
 最近春華は急激に大人びてきた。単にけなげだというよりも、時折かずさに対して、まるで妹の雪音に対してみせるような、何とも複雑な表情をしてみせる。どうも近頃春華は、かずさに甘えるのではなく、逆にかずさを甘やかす(そう、これは「お手伝い」ではない。むしろ「お世話」「ケア」である!)ことの方に、変な喜びを見出し始めたのではないか。まだ7歳だというのに、わが娘ながら大丈夫か、と春希は少しばかり心配になった。

 再婚し、冬馬邸に引っ越してきてからの北原家プラス(単身世帯となった)冬馬家、計5人の食卓事情はといえば、引っ越し前の両家のありようの折衷であった。毎朝の朝食は、残りものや有り合わせを利用して、春希が作る。まあ大体パン主体でスープだのサラダだの卵焼きだのを添える程度の、簡単なものだ。昼は大人二人――とは言っても冬馬母娘だが――がいるだけなので、勝手にさせておく。問題は夜である。雪菜亡き後の北原家では、余裕のある日にできるだけ作り置きをしたうえで、週の半分は春希が、残りの半分は小木曽の義母が夕食を用意した。ごくごくたまに、三か月に一遍くらい、かずさが挑戦することもあったが、カレーなど極力無難なメニューを選んでもそのうち半分は失敗し――一度も火事にならなかったのは不幸中の幸い――、気落ちしたかずさを子供たちがなだめつつ、近所のグッディーズに直行と相成った。
 では、引っ越し以前の冬馬家はどうだったかといえば、これは基本的には、通いのヘルパーさん頼りであった。曜子がずっと入院中だった、帰国後最初の一年は、かずさの食事はほぼ完全に北原家――雪菜頼りで、ヘルパーに頼んだのは掃除洗濯の類が基本であったが、症状が安定し、在宅主体に切り替えてからは、そうもいかなかった。しばらくは雪菜が通って半分くらいは面倒を看たものの、残り半分は外注――ケータリング頼りとなった。そうこうするうちに雪菜が妊娠し、こちらにやってくる余裕がなくなってきたので、母娘は工藤美代子と膝を突き合わせ、侃々諤々議論した挙句に、金に糸目をつけずに本格的に食事の外注に乗り出した。何しろ曜子は病人であり、食事には質量ともに気を使わねばならない。通いのナースの指導の下、掃除洗濯担当のヘルパーとは別に、栄養士資格を持った人材を高い報酬で雇い入れ、ほぼ毎日来てもらって、食事を用意してもらっていた。
 冬馬邸におけるこの体制を、かずさと春希の結婚、北原家の引っ越し以降どうするのか、は、結構頭の痛い課題だった。
 曜子は気楽に、
「いいわよいいわよ、春希君の収入も合わさるわけだからさ、今まで通りにお願いしましょう? 人数の増える分、ちょっと割増付けて。春希君も忙しい身体だし、その方が楽でしょう?」
と言ったものだが、春希は即座には割り切れなかった。
「――うーん、それでいいんでしょうか? それは、できないことはないんでしょうけれど、合理化できるところは合理化すべきなんじゃないですか? こんな考え方、貧乏性なのかもしれませんが……でも俺としては、自分でできることを、やたらと外注することには、抵抗を覚えないではないです。」
「だから、このやり方が十分、合理的なんじゃないかしら?」
「あー、でもね、俺はせっかく身についた料理の習慣を、忘れてしまいたくないんですよ。料理でもなんでも、やらなくなったら、すぐにできなくなってしまいますから。」
 その言葉に曜子もかずさも、何やら感じ入ったようで、日々の料理を継続したい、という春希の申し出はあっさりと通った。何であれ、日々たゆまず続けていなければ、すぐにできなくなってしまう。プロの音楽家としてみれば、そういわれてみればうなずかないわけにはいかなかったのだろう。実際、病を得て、すでにひと前で弾かなくなって久しい曜子だが、家では今でも折に触れてピアノの前に座り、指を動かしている。
 ということで今迄通りに、週の半分は家族の夕食を春希が作ることとなったが、思わぬ副作用があった。かずさが前にも増して、料理に対して前向きの姿勢で取り組もうとするようになったのである。
「何にせよ、練習しなくちゃ、うまくならないからな!」
 正論ではある。しかし、独学には限界というものがある。一人勝手に変な練習をしていても、なかなか上手になるものではない。ましてや、かずさは壊滅的な味音痴である。誰かが指導してやらないことには、うまくなりようがない。
 実際、料理人春希の今日があるのも、ひとえに亡き前妻、雪菜による仕込みのたまものである。時間さえあれば春希としても、あれほどきっちり自分にギターを仕込んでくれた恩返しの意味も込めて、かずさを仕込んでやるのはやぶさかではない。
 ――しかしまあ、管理職となった春希の方がある程度時間に融通が利くようになったのに引き換え、かずさの方は、今年は久々のレコーディングに熱が入って、土日も自宅や外のスタジオで仕事ということが多くなった。つまるところ、二人が一緒に厨房に立つという余裕が、今年はほとんど持てないでいた。
 つまりは、まあ正直言って、かずさの料理は「意欲ばかりが空回り」というのが現状であった。
(続く)






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