大晦日のコンサートに向かったら 第二話

薄暗い部屋の中、携帯電話が規則的に震えていた。春希は手探りで布団の中の携帯を探し、相手も確認せずに電話に出た。

「…………はい」
「あ、北原か? 風岡だけど…」

電話の相手は春希のバイト先、開桜社の上司、風岡麻理だった。
麻理は普段の様子からは信じられないほど弱々しい春希の声を心配した。

麻理は成田空港から電話をかけていた。これから自分は海外に出張に行き、そのまま友人とバカンスを楽しんでくる事を話した。
なぜか、やけにその友人が同級生の女性であることを強調してきた。

バリバリと仕事をこなすカッコイイ麻理。仕事とプライベートのバランス感覚が乏しく、年齢に比例していない乏しい恋愛経験から来る乙女のような発言、そんなかわいい一面をもつ麻理。

カッコよさとかわいさを併せ持った女性、風岡麻理。春希は彼女の声を聞きながら、彼女を思い出さずにはいられなかった。

「かずさ…」
「え? 何か言ったか北原。」

「すみません、何でもないです」
「やっぱり今日のお前変だな? 風邪じゃ無いって事は……か、かか、彼女とケンカしたとか?」
「そう…ですね、近いです」
「えっ! そ、そうか…まぁ元気出せ」
春希には元気出せと言いながら、電話口に聞こえてくる麻理の声は突然トーンが落ちていた。

「あの、それで用って?」
「あ、あのな、冬馬曜子ニューイヤーコンサートのチケットをお前の家に送っておいた。たぶん、ポストの中に届いていると思うぞ」

「曜子さんのコンサート? どうして俺に?」
世界的なピアニスト、冬馬曜子を『曜子さん』と抵抗なく呼んだ事に、麻理は春希と冬馬家の関わりが自分が想像しているより深いものだったのだと感じた。

「北原が書いたアンサンブルの記事が気に入ったらしい、あの記事を書いた記者へということでチケットが送られてきた。直接手渡したかったんだが、北原バイト入ってなかったからな」
春希は布団を払い、ベッドから出て玄関へと早足で向かう。ポストの中には封筒が入っていて、麻理の字で春希の住所が書かれていた。

「ちょっと待っていてください」
春希は保留ボタンを押さずに携帯を机の上に置いた。麻理の耳に電話口から封筒が乱暴に破られる音が聞こえてきた。

「チケット確認しました。かずさは? 冬馬かずさはそのコンサートに出るんですか?」
突然春希の声に張りが出て、麻理は戸惑った。
「ぴ、ピアノの演奏者は冬馬曜子だけだ。しかしまぁ母親のコンサートだ、聴きには来るんじゃないのか? あの二人の関係は良好になったんだろ、お前の記事によると」

「――今のアイツは母親を尊敬しています。その母親のピアノを聴かないなんて選択肢は今のアイツにはないはずです。母親のピアノを直に聴いて、盗める技術を全部盗んで、いつか母親を越えてやろうって思ってる。そして…」
「(そして、俺の手に届かないところに行こうとしている)」

「『アイツ』って…お前たち本当に親しかったんだな。あの、北原、本当に悪かったな、あんな記事書かせて…」
「やめてください麻理さん。あの記事があったから今こうしてかずさとのつながりが生まれたんです。あの仕事を任せてくれた麻理さんには本当に感謝しています、本当に…」

「そういってもらえると助かるよ、あと冬馬曜子の楽屋だけど、アンサンブルの名前出せば会わせてくれるかもしれないぞ」
「分かりました。麻理さんもバカンス楽しんで来てください」
「――そうするよ、それじゃあな北原。お土産楽しみにしておいてくれ」
携帯を机の上に置く。想像していなかったタイミングでかずさとの接点が生まれた。

――かずさとの別れの機会が生まれた。

幻滅してもらおう。お前が好きになった北原春希はもう居ない事を知ってもらおう。
いまここに居るのは、自分が楽になるために、自分が振られるためには相手にどんな嫌な思いをさせればいいか考えているただのクズ。

「――ちゃんとコンサート来いよな、かずさ、はははっ」

春希はベッドに寝転びながら卑屈な笑みを浮かべると、再び携帯を開けて時刻を確認した。ディスプレイには12月28日13時30分と表示されていた。

「――三日後、12月31日、かずさに会える、かずさに…会える」

春希はベッドに寝転びながら、アンサンブルに載っていたドレス姿のかずさの写真を思い出しながら、眠りに落ちた。

――コンサート会場、かずさは黒いドレスを着てピアノを弾いていた。

その様子を舞台袖から春希が見ている。春希とかずさ以外会場に人は居ない。

かずさは楽しそうにピアノを弾いていた、ウィーンの地で身につけた新しい技術を惜しみなく使いながら。

誰も居ない会場、その中でかずさは誰に向けてピアノを弾いているのだろうか、今の恋人に向けて弾いているのだろうか。

春希は唇をきつく噛み、舞台袖を離れた。ピアノを弾くかずさの後ろから手を回し、その豊かな胸をきつく揉んだ。

抵抗し、椅子から落ちるかずさ。床に倒れるかずさが春希に向ける眼には、三年前とは違い明確な嫌悪感と失望の色が見て取れた。

かずさの拒絶の言葉がコンサート会場に響く。それでも春希はかずさに近づいて行き、かずさが一番映える黒のドレスを乱暴に破く。

悲鳴をあげるかずさ、春希を押しのけようとする手を押さえつけながら、かずさがもっとも大切にしているピアノの舞台で春希は犯した。

全てが終わり、舞台の上で泣きじゃくりながら春希に怨嗟の言葉をかけ続けるかずさ。

反対に、その言葉を浴びながらも満面の笑みを浮かべている春希の姿がそこにあった。

「――うわぁぁぁぁッ」

春希は悲鳴を上げながら目を覚ました。

あんな夢を見てしまった自分に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

しかし、夢の中であったような拒絶を自分は望んでいるのだ。

三年前示されなかったかずさから春希への明確な拒絶、これがあれば自分はやっとかずさを忘れる事ができる。

春希は夢の中で欲望を満たしてしまったせいで、下着が汚してしまっていた。

ふらふらとした足取りで脱衣所へ向かう。下着を脱ぎ、久しぶりのシャワーを浴びる。

「俺はっ! 俺はなんて夢を…かずさ…ごめん…あ、ああ、あああああああああぁぁぁぁ」

――シャワーは、春希の瞳から流れるものを覆い隠してくれた。


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