「以上が、今回の番組の構成です」
東亜テレビの藤井と名乗る男は言った。


ここは冬馬曜子オフィス。かずさと雪菜が隣り合って座った向かいに、柳原朋、そしてこの藤井が座っている。
事の始まりは、アンサンブル別冊の付録のCD。その中の『時の魔法』だった。
普通の曲のようにCD発売からいきなり爆発的な人気が出たのではなく、少しずつ、しかし確実に話題になり、
一月たった今、様々な番組のリクエスト一位になるほどの人気の曲になっていた。

そこに目を付けたテレビ局、しかもそこの新人社員が冬馬かずさの後輩だったという偶然も重なって
過去の『伝説の付属際ライブ』の存在まで知られてしまい、かずさの特番の企画が持ち上がった。
「とにかく、今の冬馬かずささんの人気はすごいんです。しかも本業のピアノだけでなく、ルックスや作曲、ほかの楽器の演奏もこなす。
付属時代に作った『届かない恋』の出来も素晴らしい。是非、視聴者に伝えたいんです」
藤井の言葉にかずさは難しい顔をしている。けれど、隣の雪菜は上機嫌だ。
「やっぱり、かずさってすごいよねぇ。出演すればいいんじゃない?」
「だけど、多分そうなると、雪菜に『時の魔法』や『届かない恋』を歌ってくれっていう話になるぞ」
「えぇー、わたしは無理だよ。だって、春希君は仕事が忙しくて出来ないって言いそうだから…」
「ギタリストに関しましては、局のほうで厳選させていただきますが…」
藤井の言葉に間髪を入れずに朋が言う
「それは無駄、この2曲だけは北原さんのギターじゃないと雪菜は歌わないから」
さすがに、朋は雪菜を分かっている。雪菜もうんうんと頷く。
「でも、この2曲は外せないと思うんです。なんなら誰か別の歌手に歌っていただくことも…」
藤井の必死の訴えにかずさは冷たく言った。
「この曲は『雪菜のためだけの曲』だ。雪菜だけでなく、あたしたち全員が納得する歌手でなければ歌って欲しくない」
「じゃぁ、誰なら納得できるのか、教えてください」
藤井の食い下がる態度にかずさは意地悪そうな笑みを浮かべて答えた。
「そうだなぁ、『緒方理奈』あたりなら雪菜も春希もOK出すかも」
「えぇー!!」
藤井ではなく朋が叫んだ。
「それはちょっと高望みっていうか、ほとんど無理っぽいっていうか、いくらなんでも…」
「なんなら、お願いしてみるか?ちょうど今母さんの所に『緒方英二』が来てるし」
かずさとしては、いっそのことこの企画自体がなくなってくれればというつもりの提案だろう。
そのタイミングを見計らったように奥から声がした。
「じゃぁ、今日はお忙しい所をありがとうございました」
「いいのよ、今はそんなに忙しくないから。またいつでも来てね、英二君」
冬馬曜子と緒方英二が並んで4人の横を通り過ぎようとしたその時
「緒方さん!!」
朋が立ち上がり、大声で叫んだ。
「ん?…何かな」



「多分、僕から言っても理奈は出演しないと思うけどなぁ。まあ、一応聞いてみるかな」
朋の必死の申し出に英二はどこか意味深な表情で答えた。
そして携帯を取り出して話し始めた。
「あぁ、理奈。ちょっと番組出演の話が……冬馬かずさの…」
携帯のスピーカーから怒鳴り声がこちらまで聞こえてくる。よほど機嫌が悪いらしい。
「ああ、分かったよ。嫌なら仕方ないな。でもこちらの立場もあるからね。冬馬曜子さんには昔からお世話になってることだしなぁ。
それに、番組担当者にも…ちょうどここに担当者がいるから、理奈から直接自分の言葉で断ってくれないかな?」
そう言って英二は藤井に携帯を渡す。
「え?緒方さん??」
何故そうなるのか疑問に満ちた顔をする一同に英二は
「まぁ、奥の手ってことで」

「もしもし、東亜テレビの藤井です……え…ああ…そう、御宿の冬馬曜子オフィスで…え?理奈ちゃん?」
「どうしたのかな、青年?」
「どうなったんですか!藤井さん?」
心配そうな朋の問いかけに、英二に携帯を返すと藤井は静かに言った。
「すぐに来るそうです」
「…えぇー!?」
「だから言ったろ。僕から言っても駄目だって。じゃぁ僕はこれで退散するよ。理奈に怒られるのは目に見えているしね、はっはっは!!」
高らかに笑いながら右手を挙げひらひらと振ると、そのまま振り向きもせず、英二はオフィスを出て行った。



緒方英二が出て行った後暫くの後


「緒方理奈様がみえました」
美代子の言葉に続いて
「緒方理奈です。よろしくお願いします」
「本物だ…」
一同が唖然とする中、藤井だけは落ち着いていた。
「ずいぶん早かったね、近くまで来ていたんだ」
藤井の言葉に、それまでやや緊張した表情の理奈の顔が満面の笑みに変わった。その表情はとても30代半ばとは思えないほど若々しく可憐であった。
「うん!今日はあの子といっしょに『エコーズ』に行く予定だったの。冬弥君からのお話じゃなかったら絶対来なかったわ」
「あ、そうか。今日はチーズケーキの日か。久しぶりに僕も食べたいな」
「そうね、だったらこの後一緒に行きましょうよ。あ…それよりも…。ちょっとごめんなさい。連絡してみるわ」
二人の会話に回りはただ唖然とするばかりだった。
理奈がどこかに携帯で連絡をとっているタイミングで朋が藤井に声をかけた。
「あの…もしかして、二人はかなり親しい間柄なんですか?」
「いや、親しいっていうか、僕が学生時代にADのバイトをしている時に知り合ったんだけど…」
藤井はどうにも説明しづらそうに口ごもった。
「もしかして、恋人…」
かずさが誰もが思いながらも口にできなかった言葉を出した。
「やだぁ!違うわよ。うふふっ…冬弥君は私なんか相手にしてくれなかったんだから、私が一方的に想っているだけよ」
「ち…ちょっと、理奈ちゃん!」
「それに、私と彼の奥様は親友なの。今日も彼女と会う予定だったけどね。それでね、冬弥君。チーズケーキワンホールここに持ってきてもらうから」
「え?ここに呼んじゃったんだ。……ん…ま、仕方ないか」
「そういえば、藤井さんって局でも家族の話って全然しませんよね。へぇ〜、ここに来るんだ。どんな人なんだろ、美人ですか?」
「うふっ、きっとみんな驚くわよ」
理奈の言葉に朋はすかさず答える。
「でも、理奈さんがここに現れたことに比べたら、どんな美人でも驚かないと思いますよ」
「そうね、まぁ、それは来てからのお楽しみってことで、それよりも私は番組で何をすればいいの?」
「え?何も聞いてなくって、それでもここに来られたんですか?」
それまでおそらく憧れの大スターを目の前にして言葉が出なかっただろう雪菜がやっと言葉を発した。
「だって、冬弥君の担当番組でしょう?だったら何でも協力するわよ」
いかにも当然といった感じで理奈は微笑む。
「それじゃ、今回の企画の説明を…」
ここから藤井は真面目な顔で番組内容を説明する。
冬馬かずさのミニアルバムに収録された『時の魔法』の評判からいろいろ彼女について調べると付属時代にもかずさ作曲の曲があったことが分かり
しかも今期入社の新入社員がそれが歌われた『伝説のライブ』をリアルタイムで観ていたこと。
峰城大付属に問い合わせしたところ、そのライブのDVDを手に入れることが出来てさらに驚いたということ。
「とにかく、これまで一般の冬馬かずさに対する認識がいかに狭いものだったかがわかったんだ。
彼女の魅力はピアニストとしてだけではなく、もちろん作曲もそうだけど、なにより音楽を心の底から楽しんでいる姿を皆に知ってもらいたいと思ったんだ」
はじめは、淡々とちた口調で話し始めた藤井も、いつの間にか熱く語っていた。
「それで、この『届かない恋』と『時の魔法』を小木曽さんの代わりに歌う歌手を探していたってことね」
「そうなんだ。でも冬馬さんは誰でもいいっていう訳じゃないって。でも『緒方理奈』ならいいって…」
「それはとても光栄なことね。実はね、私もこのライブの映像は観たことあるのよ。兄さんが冬馬のおばさまから貰ってきててね。
だから…はっきり言うと『届かない恋』は歌えるわ。でも『時の魔法』は私には優しすぎるわ。私には合わない」
「え?でもさっき、何でも協力するって…」
朋が不満そうに言う。
「そう、協力するのよ。私よりもこの歌に相応しい歌い手を知っているわ。彼女なら…」
ガタン!! かずさが突然立ち上がって言った。
「いや、だめだ。あたしの知りうる限り、理奈さん以上にこの『時の魔法』を歌える歌手は今はいない。誰の名前を出されたって納得できない。
これは雪菜の歌だから…。雪菜が心から納得できる歌手は今は『緒方理奈』ひとりしかいないから…」
「かずさ…」
「だから、申し訳ないけど今回の話は無かったことにして欲しい」
かずさは深々と頭を下げた。が、理奈はそんなかずさに
「今はいないってことは、以前はいたってことでしょう?ならその名前を言ってみて」
理奈の言葉にかずさは
「多分、皆も同じ名前が浮かんでると思う。もうずっと以前に引退してそれ以来ただの一度も近況さえ出てこない。
引退する時に『これからは好きな人のためだけに歌う』って言ってた… 『森川由綺』以外には歌って欲しくない!」
まわりのみんなも息をのんだ。口に出したかったけど出せなかった名前。
「今現在、何をしているのかさえ分からないけど、少なくとももう歌手じゃない…」
かずさの弱々しい言葉とは対照的に理奈の言葉はあっけらかんと明るかった。
「今は、そうねぇ。その辺を歩いているんじゃない?」
「だからそういう意味じゃなく…」
その時、美代子が来て告げた。
「緒方理奈様にお客様がみえてますけど…」
「あぁ。ちょうどいい所に来たわね。ねぇ、ちょっとここで一休みしてお茶にして下さらない?」
そう言うと理奈はたった今到着した相手を迎えに行った。
「あ…そういえば藤井さんの奥様がチーズケーキを持ってくるって言ってましたっけ。…あれ?どうしたんですか、藤井さん?」
朋が両手で頭を抱え込んだ藤井に驚いて聞いた。
「いや、改めて理奈ちゃんの怖さを知ったというか、もしかして初めからこうなることが分かってたのか…?」
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