最終更新:ID:h3oo0bNzcA 2014年04月17日(木) 00:24:21履歴
五位入賞という結果に終わったかずさの挑戦。他人から見れば十分に輝かしい成績だけれど、結局一番重要なのは当人の感受で。かずさは会場を出て以降、俯きがちに俺のあとをついてくるだけだった。
幼い頃から数々の大会で優秀な成績を残してきたかずさにとって、必死の努力が報われなかった今日がおそらく最初の屈辱を味わった日。かずさはどんな気持ちで、あのアナウンスを聞いていただろうか。
コンクール直後は、二年のブランクがあるとか本選に残れただけでも奇跡だとか、最初から無理だってわかってたとか、まだ口だけは達者だった。でもそれは会場を出たあたりから失速し、電車に乗ってからは口数も一言二言になっていた。熱の冷めた今は、ただ結果だけが残る。
こういうときこそ彼氏として励まさないといけないのに、慰めないとい駄目なのに、俺の口にする言葉は全て薄っぺらくて色がなくて脆くて、かずさの作り出した壁を通り抜ける力がなかった。
やがて俺も万策尽き、岩津町駅からかずさの家までの道のりは互いに無言だった。それも、いつもの倍近くかかって。
「……」
「……」
目的地に到着したのに、足まで冷える冬の寒々しい夜を、物好きにもしばらく立ち止まる。会話をすることもなく、向かい合うわけでもなく、手をつなぐわけもなく。ましてや別れのキスをするでもなく。
「……じゃあ、また」
靴底から伝わる冷気に身体が震えたとき、口の中で霧散するくらい小さな声でかずさは言った。門扉に手をかけ背中を向けるその姿が、俺にはひどく小さく見えた。迷惑なくらい明るい街灯の光が、いつもより弱々しく感じられた。
「……っ」
何か……別れの挨拶以外の何かを言わないと、かずさは曜子さんも帰らない孤独な闇の中で、たった一人過ごすことになるのに。
プライドが高くて、わがままで、才能があって、努力を怠らない。でも打たれ弱くて、一度くじけると立ち直らずにうじうじとその場に立ち止まる臆病者。
俺のクラスメイトで、師匠で、恋人で、何よりも大切な宝石が、今にも輝きを失ってしまいそうで……。
でも俺の脳裏に浮かび上がるものは全て既出の言葉を上塗りするものばかりで、喉の関所を越えることができなかった。
それでも絞り出した言葉は……切羽詰まった声が出したのは――
「すごかった。今日の演奏、すごかった」
気の利いた台詞でもなんでもない、語彙という意味もわからないような、稚拙で幼稚な感想だった。
「素人の俺なんかの感想じゃ、かずさは満足しないと思うけど、曜子さんの評価の方がずっと正確で正しいんだろうけど、それでも俺にとっては、かずさの演奏が一番感動した」
身内びいきの意見なんて今のかずさは求めていない。コンクールでの評価が、一番でないことが全てなのに。頭ではわかっているのに……。
でも止まらない。流れ出る言葉の奔流を止めることができない。
「かずさの言うとおりだった。俺はお前のピアノのこと全然知らなかった。こんなにすごい奴だったなんてしらなかった」
そして、遂には、言わずにしておこうって決めていた気持ちまでも口走ってしまう。
「壁を……感じるくらいに」
――そう、俺が何より気にしていたのは、かずさの心情とか体調なんかじゃなくて。
「このまま俺なんかが関わっていいのか、自信を失くした」
「春希……?」
自分勝手で、身勝手な感情で。
「無知で素人の耳にはピアノの表現とか機微とか全然わからないけど、俺は場違いなんだって。かずさとは住む世界が違うんだって。一生釣り合わない人間なんだって……痛いほど理解した」
「ちょ、ちょっと待てよ。そんなこと言わないでくれよ。あたし、そんなつもりでピアノを弾いたわけじゃない。ただ、春希に――」
意気消沈したのはかずさの成績ではなく、矮小な自分の存在。
「だから!」
「やめろっ!」
「お前を手離したくなくなった!」
「それ以上は――……え」
俺の口を遮ろうと飛びついてきたかずさの体が、目の前で制止した。至近距離で大きく見開かれた瞳は、この世のどんな宝石にも劣らない輝きと魔力を内に秘めていて、俺の心を狂おしいほど魅了する。
こうして俺の側にいて、俺のことをずっと見てて、俺のことを好きでいてくれて。俺が憧れる、俺が恋焦がれる……カッコ良くて、強がりで、小心者で、可愛い……そんな冬馬かずさが、心の底から愛おしい。俺に不釣り合いの宝石が欲しい。誰にも渡したくない。自分のものにしたい。
そんな傲慢で歪んだ独占欲を抱いてしまった、ひどく惨めで矮小な自分。
俺は右手を、かずさの左手に絡めた。鎖の効果を極限まで高める。
「言っとくけど俺、お前が思うほど堅物じゃないぞ?」
「そういうこと前もって断るところが堅物なんだよ……」
かずさは息を吐き、安心したように脱力して全身で俺に寄りかかる。
「全くお前は、いつもいつもあたしの心をもてあそんで……付き合わされるあたしの身にもなってくれよ」
「嫌か? こんな俺は、嫌いか? 俺と一緒にいて、楽しくないか? ……俺とじゃ、嫌か?」
そして、俺の背中に腕を回して、かずさは全身で抱きつく。
「……嫌なわけないだろ。楽しくないわけないだろ。嬉しくないわけないだろ」
俺はその上から、かずさの小さな体を抱きしめる。
「聞かなきゃわからないのかよ、そんなことまで……っ」
くぐもった声で、震えた声で、子供のように駄々をこねるかずさを、世界から隔絶させるように抱擁する。
「ぅ……うっ……ぅぇ……ぇぅっ……」
「どうしたんだ、かずさ? なんで……震えてるんだよ?」
「っ…………寒い……」
「そっか……もう冬だもんな……」
「ああ……っ」
かずさは俺の胸で顔を拭って、精一杯に強がった笑顔で見上げた。
「WHITE ALBUMの季節だ」
そして俺は、こんなにも可愛くて愛しい恋人に、慰めという名のご褒美を与える。
幼い頃から数々の大会で優秀な成績を残してきたかずさにとって、必死の努力が報われなかった今日がおそらく最初の屈辱を味わった日。かずさはどんな気持ちで、あのアナウンスを聞いていただろうか。
コンクール直後は、二年のブランクがあるとか本選に残れただけでも奇跡だとか、最初から無理だってわかってたとか、まだ口だけは達者だった。でもそれは会場を出たあたりから失速し、電車に乗ってからは口数も一言二言になっていた。熱の冷めた今は、ただ結果だけが残る。
こういうときこそ彼氏として励まさないといけないのに、慰めないとい駄目なのに、俺の口にする言葉は全て薄っぺらくて色がなくて脆くて、かずさの作り出した壁を通り抜ける力がなかった。
やがて俺も万策尽き、岩津町駅からかずさの家までの道のりは互いに無言だった。それも、いつもの倍近くかかって。
「……」
「……」
目的地に到着したのに、足まで冷える冬の寒々しい夜を、物好きにもしばらく立ち止まる。会話をすることもなく、向かい合うわけでもなく、手をつなぐわけもなく。ましてや別れのキスをするでもなく。
「……じゃあ、また」
靴底から伝わる冷気に身体が震えたとき、口の中で霧散するくらい小さな声でかずさは言った。門扉に手をかけ背中を向けるその姿が、俺にはひどく小さく見えた。迷惑なくらい明るい街灯の光が、いつもより弱々しく感じられた。
「……っ」
何か……別れの挨拶以外の何かを言わないと、かずさは曜子さんも帰らない孤独な闇の中で、たった一人過ごすことになるのに。
プライドが高くて、わがままで、才能があって、努力を怠らない。でも打たれ弱くて、一度くじけると立ち直らずにうじうじとその場に立ち止まる臆病者。
俺のクラスメイトで、師匠で、恋人で、何よりも大切な宝石が、今にも輝きを失ってしまいそうで……。
でも俺の脳裏に浮かび上がるものは全て既出の言葉を上塗りするものばかりで、喉の関所を越えることができなかった。
それでも絞り出した言葉は……切羽詰まった声が出したのは――
「すごかった。今日の演奏、すごかった」
気の利いた台詞でもなんでもない、語彙という意味もわからないような、稚拙で幼稚な感想だった。
「素人の俺なんかの感想じゃ、かずさは満足しないと思うけど、曜子さんの評価の方がずっと正確で正しいんだろうけど、それでも俺にとっては、かずさの演奏が一番感動した」
身内びいきの意見なんて今のかずさは求めていない。コンクールでの評価が、一番でないことが全てなのに。頭ではわかっているのに……。
でも止まらない。流れ出る言葉の奔流を止めることができない。
「かずさの言うとおりだった。俺はお前のピアノのこと全然知らなかった。こんなにすごい奴だったなんてしらなかった」
そして、遂には、言わずにしておこうって決めていた気持ちまでも口走ってしまう。
「壁を……感じるくらいに」
――そう、俺が何より気にしていたのは、かずさの心情とか体調なんかじゃなくて。
「このまま俺なんかが関わっていいのか、自信を失くした」
「春希……?」
自分勝手で、身勝手な感情で。
「無知で素人の耳にはピアノの表現とか機微とか全然わからないけど、俺は場違いなんだって。かずさとは住む世界が違うんだって。一生釣り合わない人間なんだって……痛いほど理解した」
「ちょ、ちょっと待てよ。そんなこと言わないでくれよ。あたし、そんなつもりでピアノを弾いたわけじゃない。ただ、春希に――」
意気消沈したのはかずさの成績ではなく、矮小な自分の存在。
「だから!」
「やめろっ!」
「お前を手離したくなくなった!」
「それ以上は――……え」
俺の口を遮ろうと飛びついてきたかずさの体が、目の前で制止した。至近距離で大きく見開かれた瞳は、この世のどんな宝石にも劣らない輝きと魔力を内に秘めていて、俺の心を狂おしいほど魅了する。
こうして俺の側にいて、俺のことをずっと見てて、俺のことを好きでいてくれて。俺が憧れる、俺が恋焦がれる……カッコ良くて、強がりで、小心者で、可愛い……そんな冬馬かずさが、心の底から愛おしい。俺に不釣り合いの宝石が欲しい。誰にも渡したくない。自分のものにしたい。
そんな傲慢で歪んだ独占欲を抱いてしまった、ひどく惨めで矮小な自分。
俺は右手を、かずさの左手に絡めた。鎖の効果を極限まで高める。
「言っとくけど俺、お前が思うほど堅物じゃないぞ?」
「そういうこと前もって断るところが堅物なんだよ……」
かずさは息を吐き、安心したように脱力して全身で俺に寄りかかる。
「全くお前は、いつもいつもあたしの心をもてあそんで……付き合わされるあたしの身にもなってくれよ」
「嫌か? こんな俺は、嫌いか? 俺と一緒にいて、楽しくないか? ……俺とじゃ、嫌か?」
そして、俺の背中に腕を回して、かずさは全身で抱きつく。
「……嫌なわけないだろ。楽しくないわけないだろ。嬉しくないわけないだろ」
俺はその上から、かずさの小さな体を抱きしめる。
「聞かなきゃわからないのかよ、そんなことまで……っ」
くぐもった声で、震えた声で、子供のように駄々をこねるかずさを、世界から隔絶させるように抱擁する。
「ぅ……うっ……ぅぇ……ぇぅっ……」
「どうしたんだ、かずさ? なんで……震えてるんだよ?」
「っ…………寒い……」
「そっか……もう冬だもんな……」
「ああ……っ」
かずさは俺の胸で顔を拭って、精一杯に強がった笑顔で見上げた。
「WHITE ALBUMの季節だ」
そして俺は、こんなにも可愛くて愛しい恋人に、慰めという名のご褒美を与える。
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