「ごめん、北原」

 二学期終業式当日。大学入試や就職試験や、人生を左右するイベントがこの後に控える三年生にとっては、今日が卒業の実質的な最終判定日。

 そんな、人生の節目となるべきこの日に、冬馬かずさは、とうとう期末試験全科目の合格点を取りつけた。

……ちなみに俺は一週間前には余裕で取りつけていた。

 五科目七回におよぶ追試の歴史も、今となってはいい思い出だ。

 めでたくも卒業がほぼ決まったと言っても過言ではない記念日。祝勝会の会場である第二音楽室に移動した途端、浮かない顔をした冬馬が突如頭を下げた。

 こいつが人に謝る姿……初めて見た。教師に使う、全然謝意の感じられない空謝罪をのぞいて。

「どう切り出そうか悩んでて、北原にずっと黙っていたことがある」

 頭を下げたまま言う冬馬。さらさらの黒髪が床に着かんばかりに逆立っている。

「実はその……今度、母さんが日本に帰ってくることになって」

「あの冬馬曜子が? でもメディアでは全然取り上げられてないよな」

「コンサートとかじゃないんだ。今回は完全にプライベートで」

「へえ。つまり冬馬に会いに来るってことか」

「……半分」

「他の用事もあるのか。まあ何にせよ良かったな。冬馬ずっと母親のこと気にしてたし、この際だから言いたいこと全部ぶちまけようぜ」

 冬馬の家庭事情は既に知っていた。ピアノ・ギター・サックスその他なんでも一通り演奏できる音楽の申し子の冬馬が俺の隣の席に座っている、その理由を。

 実は冬馬かずさは世界的ピアニストである冬馬曜子の娘であり、この学校に多額の寄付をしている彼女のツテもあってこの学園に入学した。当然ピアノ専攻で二学年まで音楽科に在籍していたのだが、海外に自分を連れていかなかった母親に不満を抱き、ふて腐れ、学友のみならず教師にも冷淡な態度で接し、学園にも真面目に登校していなかった。

 ギリギリ三学年に進級した冬馬であったが、進んだのは音楽科ではなく俺たちの在籍する普通科。本人曰くピアノをやめるつもりだったとのことだが、ピアニストの性か、とある男子学生の過度なお節介のせいか、彼女はまだピアノを細々と続けているのであった。

 かくいう経緯で唯一の肉親である母親と隔絶のある冬馬なのだが、今回その冬馬曜子がフランスから娘に会いに来るという。目的は判然としないものの、ようやく雪解けの機会が訪れたわけだ。

 未だにフキノトウの芽すら生えない俺にとっては、羨ましく、そして心から嬉しいニュースだ。だから冬馬に気を使われて謝られることなんて何もない。

「それで、いつ来日するんだ? もしかして今一緒に住んでるとか?」

「十二月二十四日」

「…………」

 しかし冬馬が告げた日付に、俺は心身共に瞬間フリーズされた。

「……えーっと。ごめん、よく聞き取れなかった。もう一回いいか?」

「十二月二十四日。……クリスマスイブに」

 冬馬の謝罪の真意を理解した瞬間だった。

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