以前ここに来たのは何時だっただろう?


少々曖昧な記憶を辿っても、ここ数週間の慌しさからか心と頭が動かないのは明白だった。
が、忙しくて有難かった。色々な事があり過ぎたから。
疲労はピークに達していた。
それでも俺は不安と重圧と、そして淡い期待を胸にここに降り立った。


暖房が効きすぎた成田空港は、異国情緒溢れる香りに満ちていた。
どうして空港って奴は、何よりも嗅覚で異邦人を感じさせてくれるのか。
それにも増して困惑を覚える程の郷愁や安らぎ・・・生まれ持った血がここがルーツだと訴えかける。



普段目にする事の無い、それでいて自分を自分たらしめる日本語を辿り
背筋を伸ばし歩き出す。




小木曽雪菜に会う為に。





末次町駅から徒歩15分。
ここに小木曽雪菜が今も住んでいる事は確認が取れている。
美代子さんからは大分文句を言われた。
私は大分前に引退した身なのにって、でも嬉しそうに。



ここだ。
小木曽雪菜が住んでいるこの家。
逡巡、そして尋常でない後悔を乗り越えるまでの数十分間
間違いなく不審人物だった筈。
ようやくインターフォンに指が届く刹那、必死な努力は水泡と化した。





「はる・・・き・・・君 !? 
 ねぇ・・・春希君 !
  春希君 はるきくん 春希君 っっ !」





一人の女性が、容姿に似合わない勢いで
俺の胸に飛び込んできた。





「お帰りなさい、春希君。やっとやっと帰ってきてくれたんだね。
 私ね、ずっとずっと待ってたんだよ。
  春希君がかずさと・・・あれ・・・あれ・・・あなた・・・誰?」





「はじめまして、小木曽雪菜さん・・・ですね。
 俺、北原春菜。春希の・・・北原春希の息子です」





気がつくと、薄曇りの空から雪が降り出していた。









「父は先月、1月15日永眠しました。」


何を言っているのか全く理解出来ない。


「葬儀は現地のスタイルで近親者・・・と言っても母と俺だけだったんですけど。
 本当に申し訳なかったんですが行いました。」


この春希君はいったい何を言っているんだろう。


「父の葬儀後、母から全てを聞かされました。
 両親がウィーンで生きてきた理由。
  恋焦がれた故郷に決して帰らなかった理由。
   そして貴方への両親の思い。」


春希君が死んじゃう訳無いじゃん。


「父から手紙を預かって来ています。
 俺が日本に来た理由はこれを貴方に渡す為です。」


手紙?










封を切るとそこには懐かしい文字。

それだけで、もう抑える事の出来ない感情が
雫となって堰を切り溢れ出して来る。

駄目だよ。
この手紙は、こんな気持ちで読んじゃ駄目だよ。
伝えたい事、最後に春希君が伝えたかった事。

しっかり読まなきゃ。
まだ頭に靄がかかったみたいだけど。
でもこれを読む事は権利であり義務なんだ。


「ごめんなさい、コーヒー入れてきますね。」


彼は懐かしい笑顔で答える。


「砂糖は5杯でお願いします。」











手紙は丁寧に丁寧に書かれていた。

彼は胸を張って謝らなかった。
それは彼を愛した私が誇らしくなる位。
成長したんだね。

優しくて、そして相変わらず酷い男。

私をどこまでも理解する唯一の、最愛の人。




そっか・・・お疲れ様。
大変だったでしょ?
慣れない土地で、味方はかずさしかいなくて。
でも、百人力だよね。
たった一人でも彼女がいてくれれば、大丈夫だったよね。

あ〜あ、ずるいよねぇ。
私だって貴方たちにたくさん、たっくさん報告あったんだよ?
仲間外れにされるの慣れちゃうんだもんなぁ。
なのに何も報告できないまま居なくなっちゃうなんてズル過ぎるよ。
ズルいよ・・・

ズルいよ !

また堰を切りそう。
折角淹れたコーヒー、飲み終わってないのに。


・・・

・・・・・・





その時私は、迂闊にも。
今頃になって気がついてしまった。

私は世界と繋がって生きてこれている。
今までも、そしてきっと哀しいけどこれからも。

でも私が知っている彼女は・・・

「ねえ春菜君、貴方のお母さんは?
 私が知っているお母さん・・・かずさは、
  春希君が居ないと生きていける人じゃない筈なんだ。」







春菜君の表情は、穏やかな微笑みのままで。
もう一通の手紙を差し出した。

それはかずさからの手紙だった。

ちょっと残念な文字の・・・日本語忘れちゃったのかな?
のたくった文字。

私はそこに書かれている事を予感し、
でも読まない訳に行かない事も理解し。
震える手で読み始めた。


「白くて黒くて、世界で一番大好きな不倶戴天の敵。
 雪菜、久し振りだな。
  まさか自分で手紙を書く事があるなんて思ってもいなかった。
   酷い男さ。私に手紙を書かせるなんてさ。
    
    酷い男さ。先に逝っちまうなんてさ。」


本当だよね。なんでこんなにいい女二人が、あんな酷い男に振り回されちゃうんだろうね。



「なぁ雪菜。私は一人じゃ生きていけない。
 そんな事はずっとずっと前から分かってたんだけどな。」


うん。


「あいつギリギリ・・・と言うより、死ぬ直前まで病気の事黙ってたんだぜ。
 おかしいなって、何度も尋ねたのに絶対病気の事教えてくれなかったんだぜ。
  死ぬ間際になって、まるで出張にでも出掛けるみたいに。
  気楽な顔してさ。」


うわぁ・・・


「すぐに後を追いたかったのに、あいつはそれすらさせてくれなかった。
 だから、この手紙が届く頃。
 あいつに文句を言いに旅立つんだ。」


っ !


「正確には、日本時間で2月14日午前零時。
 私は彼の元に行く。
 さよならは言わない。」










春菜君は全てを理解しているような、そんな穏やかな表情のまま帰っていった。
悪魔に魂を売った両親を持つと大変ですよ、と愚痴りながら。

でも、これでみんな赦されるんですよね。
問いかけとも言えない呟きを、最後に残して。









違うんだよ?
春菜君、赦されるのは私なんだよ。

だってかずさは時間まで正確に教えてくれたんだよ。


今度は抜け駆けなしで・・・・


三人でまたあの時間が過ごせるんだね


私も一緒にいていいんだね







あの歓喜に満ちた空間



今度こそ永遠の



三人だけの世界が始まる









あとがき

私の考えたハッピーエンド
転載一部改修 Jakob ◆VXgvBvozh2
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