ホワイトアルバム2(cc〜coda)cc編


『心の永住者』




作:黒猫






1-1 かずさ ウィーン冬馬邸 12月上旬



東京の冬と比べるとウィーンの冬は寒い。
今年で3度目のウィーンの冬であったが、いまだ慣れることができない。
体が寒いだけなのか、心が空虚で何も受け付けないだけなのか、
それともその両方なのかは分からないが、かずさは冬を喜べなかった。
なによりも、冬が来るとどうしても3年前の日本での冬を思い出し、
よりいっそう心が苦しくなってしまう。
そんな3度目の冬であっても、かずさの心の傷は、ふさがることも、
対処することもできずにいた。

ふと時計を見上げると、もうすぐ6時を過ぎようとしている。
朝食をとったのが午前10時ごろ。
その後ずっとピアノを弾いていたとこともあって空腹を感じてしまう。
キッチンに行けば、ハウスキーパーが用意した食事があるはずだが、
どうしてもこの防音処理がされた窓がない部屋から出たくはなかった。
この部屋を出たら、窓の景色を見てしまう。
そして、冬を感じてしまう。
だから、空腹を感じるのを忘れるくらいピアノに没頭するしかなかった。

ふいに部屋の空気が乱れる感覚を覚え、部屋の入口を見ると、
曜子が「ただいま」の挨拶もなしに部屋に入ってくる。
いつものように何も言わず、いつものソファに腰掛け、
しばらくかずさのピアノの演奏を聴いてから、そのまま出て行くのだろう。
しかし、どうも今日はなかなかソファから動こうとはせず、
かずさのことを興味深そうに眺めている。
かずさにその視線がまとまわ付き、くすぐったく感じてしまう。
別に、曜子にみられることが嫌なわけではない。
むしろ嬉しく思う。
いつも何も言わず聴いてくれているだけであったが、
それでも曜子が興味をもってくれていると分かり、安心してしまう。
だから、今日みたいに見つめられると、心がかき乱され、
つい内心とは反対のことを言ってしまう。

かずさ「なんだよ、さっきからずっと。」

曜子「なんだよ?って、それは、あなたの演奏を聴いてるんじゃない。」

かずさ「それはそうなんだけど、いつもはちょっと聴いて、
    すぐどっかいってしまうだろ?」

拗ねた子供みたいな発言だと気が付き、曜子から視線をそらす。
若干顔が赤くなってしまったかもしれない。
顔を隠すように俯くが、それがかえって曜子の心を刺激してしまう。
だから、なにもなかったかのように演奏を続けるしかなかった。
でも、曜子には、そんな行動も全てお見通しなんだろう。
これ以上刺激しても、面倒だし、何も言わないほうがいいだろうか。
あとは胸に秘めておくことにした。

曜子「それはそうなんだけど、今日はあなたに用があったのよ。
   それと、ちょっとじっくりとあなたのピアノ聴いてみたかったって
   いうのもあるかな。」

かずさ「・・・・・ふぅん。」

今のかずさにとっては、曜子が自分のピアノに興味を持ってくれるのならば
素直に嬉しかった。それが、どんな意味を示そうとも。

かずさ「で、・・・・どうだった?」

さすがに誉め言葉だけを期待できるわけではない。
むしろ自分に足りない部分を指摘してもらった方が、これからの為になる。
それでも、誉め言葉を求めてしまうのは、仕方がないといえよう。
少し考えるそぶりをしたが、かずさの方を見つめると感想を述べ始める。
かずさも、それを遮らないように、曜子の声が聞こえるのと同時に演奏をやめ、
じっと鍵盤を見つめ、曜子の声に集中した。

曜子「いつもそうなんだけど、ここにはいない誰かに向かって演奏しているみたい。
   目の前にいる観客なんて関係ないって感じで。
   それはそれでかまわないわ。だって、何かを想って演奏することは、
   私だってあるんだから。でもね、かずさ・・・・・。」

そこで言葉を閉じ、続きを言おうとしない。
曜子の言葉の続きが予想できてしまい、それがかずさの心を乱してしまう。
しかし、曜子の言葉の続きが気になり、曜子に視線を向け、先をうながす。

かずさ「でも、なんなんだよ。」

少し荒げた言葉になってしまったかもしれないが、できる限り冷静な言葉で
先をうながそうとした。それでも、かずさのいらだちを覚えた顔を見てしまえば
それが強がりだと曜子にはわかってしまう。

曜子「うぅ〜ん、そうね。艶っぽくて、色気を感じる演奏だとは思うのよ。
   これはこれで演奏家として成長はできてる。このまま続けてても
   きっとお色気全開のピアニストが出来上がって、それなりに評価も
   されるんじゃないかしら。」

かずさ「あたしは、そんな評価望まないけどな。」

そう言うと、不本意だとばかりに視線を背ける。そんな態度をとることも
曜子には予想できていたのか、かずさにかまわず話を続ける。

曜子「で、ね。こころから本題なんだけど、あなた、私と一緒に年末日本に行かない?
   ちょうど大晦日に日本でニューイヤーコンサート企画してて、
   12/20〜1月末まで日本にいく予定なの。」

「日本」という言葉にぴくっと肩を震わせてしまう。
忘れようとしても忘れられない故郷。
いや、日本そのものに興味はなかった。
彼がいる場所ならば、そこがアメリカでも南極であってもどこでもよかった。
ただ、「日本」という場所が春希と結びつけてしまうために、反応してしまう。
しかし、忘れようとしてはいるものの、曜子の指摘通り、
いつも日本にいる春希に向けて演奏しているかずさは、まさに矛盾を含んだ行動をしていた。
ピアノの演奏後しばらくしたら春希を忘れようとするも、朝になったら
もう一度ピアノと向き合って見えない春希とピアノを通じて会話をする。
いや、忘れること自体、春希を忘れるふりをして、
春希を思い出していただけかもしれないが。
そんな矛盾に満ちた毎日が3年も続けられていた。

かずさ「あたしは、ここに残って練習してるからいいよ。
    日本に行っても寒いだけだしさ。」

曜子「こっちに残っても寒いじゃない。」

穴あきだらけの防波堤は簡単に崩れていく。

かずさ「ここから出なければ、寒くないだろ。」

それでも、必死に穴をふさごうと応戦するも、相手の方が一枚も二枚も上手で
穴をことごとく打ち壊される。

曜子「日本に行っても、あなたのことだから、部屋にこもってるだけじゃない。
   いい年した若い娘がこんな部屋にこもってないで、たまには外に出なさい。」

かずさ「そのいいよう、年寄り臭い。」

曜子「うるさいわね。」

少し照れくさそうに横を向く曜子を見て、してやったりと思うかずさではあったが、
結局は曜子に圧倒されてしまう。

曜子「私としては、このままあなたが小さくまとまってしまうのは避けたいのよ。
   一応私を目標に頑張ってるんでしょ?」

わざとらしくかずさに挑戦的な目線を送ると、まんまとはまったかずさが
曜子に反骨的な目線と言葉をぶつける。

かずさ「今だけだ。あと5年。いや3年であんたの尻尾くらいは掴んでみせるさ。」

曜子「だったら、私の言いつけに従って、日本に一緒に行きなさい。」

かずさ「それとこれとは・・・。」

ほんの数秒までの勢いはなくなり、声が小さくなってしまう。
それと同時に体も小さく丸まっていく。

曜子「今のままが全て悪いってことじゃないのよ。
   でも、今のままもよくないって感じるのよ。
   それに、もうハウスキーパーには20日から1月末まで休暇だしちゃったし。」

かずさ「なっ!?」

日本という言葉に受けた衝撃以上のショックを受ける。
これはもやは死刑宣告とかわりがない。
生活能力ほぼゼロのかずさに一カ月以上も寒いウィーンで
一人生き抜くことなんて不可能といってもいい。
そもそも、曜子はかずさにお伺いをするためにやってきたのではなく、
決定事項を伝えに来ただけだとわかってしまった。

曜子「それでもあなたがここに残りたいって言うんなら、もう止めはしないわ。」

これでもかっというほどわざとらしい演技がかずさの神経を逆なでする。

かずさ「その場合は、ハウスキーパーを呼びもどしてくれるんだろうな。」

曜子「それは無理よ。彼女も、もうクリスマスの予定をいれてるだろうし。
   日本人でもクリスマスの予定をキャンセルさせたらがっかりさせてしまうのに、
   この国でそんなことしたら、もっとかわいそうなことになるんじゃない?」

かずさ「それわかってて、計画立てたんだろ。」

だんだんと曜子にたてつくのが、馬鹿らしくもなってしまう。
これ以上たてついても自分の言い分が通ることはないと経験上わかっているから。

かずさ「わかったよ。でも、練習は休みたくない。」

曜子「大丈夫よ。ピアノは用意してあるわ。日本の自宅、まだ売れてないから
   そこ使えるようにしておくわ。そのほうがあなたも気が楽でしょ。」

日本の自宅という言葉で、本日3度目の衝撃を受ける。
日本の話が出てから身構えているものの、受け流すことができない。
それだけかずさにとって大切な事柄と言えるが、
それさえも自覚しないようにしてしまっていた。

かずさ「そっか・・・。」

そうつぶやくと、もうこれ以上聞くこともないだろうと主張してか、
ピアノの演奏を再開する。心は既にここにはないという感じの表情で、
どこか遠くを見つめているようだった。
ただ、その視線の先には、はっきりと見えているものがあるのだろう。
曜子にも何が見えているか推測できはしたが、あえて尋ねようとはしなかった。
そして、これ以上の話をすることを諦め、そっと部屋を後にした。
かずさは、曜子が部屋を去ったことにも気がつかず、午後9時30分すぎまで
練習を続けた。

かずさ「お腹すいたな・・・。」

そう一人つぶやくと、のそのそとキッチンに向かう。
窓の外を見ても、真っ暗でよく目をこらさないと何も見えない。
しかし、閑静な高級住宅街といっても、昼間に出歩けばクリスマスを意識できる。
そんなわずかな冬の情報さえも拒絶するかのように、窓の外をあまり見ない。
そんな自分が小さい人間だと、逃げている人間だと自覚してしまう。
外は暗く、廊下の寒さだけが冬を伝えてくる。
それさえも振り払おうと、冬の寒ささえも自分から切り離そうとした。







1-2 かずさ 成田空港 12/20 月曜日




空港内は空調がきいているおかげで冬を肌に感じることはない。
しかし、空港内の人々を見ると当然だが冬の装いをしているせいで、
いやでも視覚から冬を感じてしまう。
しかも、ここは日本。ウィーンならば、日本人、アジア系の人間をこれほど
見ることもないので、日本の冬を思いだすきっかけにはなっても、
なんとか押しとどめることができた。
だけど、・・・・ここ日本ではそれはできそうもない。

曜子の少し斜め後ろに付き、何も考えないように曜子の後姿だけを追って
進んでいったものも、ふと前を見ると、その曜子の姿がない。
周りを見渡してみるが曜子を見つけることは出来なかった。
どうしたものかと考え、案内掲示板を見上げると、3年前に彼と通ったはずの
場所をさしているようだった。
ここまま進めば、あの時迎えに来てくれた彼と乗った電車で東京に行くこともできる。
それも魅力的な選択だと思えたが、すぐに選択肢から除外した。
ここには、そんな思い出を追想するためにきたわけではない。
そう自分に言い聞かせ、いつもピアノを通して語り合っていた彼を頭から
追い出そうと必死にもがいた。
彼を意識しないようにするために、意識して彼を頭から追い出そうとする。
「意識しない」為に「意識する」なんて
終わりのないイタチごっこを繰り返すしかない。
曜子がどこに行ったかわからず、どこに向かえば分からないように、
ただその場にたたずむしか、かずさには選択肢が残されていなかった。

曜子「どこ行っちゃったのか探したわよ。
   久しぶりの日本だからといって、・・・・・・。」

かずさの肩の手をかけ、軽く振り向かせようとすると、そのまま曜子の胸に
かずさが倒れこんでくる。そこまで強く引っ張ったわけではないので少し驚く。
もう片方の手も肩にやり、顔を見ようとかずさを少し引き離し、尋ねる。

曜子「どうしたの?」

その問いかけに反応して、かずさがゆっくりと顔を上げるが、
その顔を見た曜子は何も言えず、かずさを抱きしめることしかできなかった。








1-3 かずさ 日本・冬馬邸・地下スタジオ 12/24 金曜日 




成田空港から直接タクシーで冬馬邸に来たかずさは、
その日から一歩も外に出ることはなかった。
しかも、ハウスキーパーが用意した食事を食べるときや、
トイレ、入浴のとき以外はずっと地下から出てくることはない。
寝る時も地下スタジオのソファーで横になり、毛布を頭からかぶって寝ていた。

どうしてもこの部屋にいると、あの二人の事を強く感じてしまう。
楽しくもあり、身を引き裂かれそうな辛い思い出を思い出さずにはいられなかった。
何度もこの部屋から飛び出し、家の外に逃げ出そうと考えもした。
しかし、どうしても最後の最後で、部屋のドアの前で立ち止まってしまう。
一歩でも家の外に出たら、駈け出していただろう。
あの日、あの雪の日見上げた、彼と抱き合ったマンションに行ってしまう。
いまさらどんな顔をして、彼に会えばいいのだろうか?
彼は、何も言わずあたしを抱きしめてくれるだろうか?
彼は・・・・・・、春希はあたしを忘れないでいてくれてるだろうか?
春希の腕に抱かれたい。そして、思いっきり春希の匂いを吸い込み、
春希に満たされたい。何もかも忘れ、春希だけを感じていたかった。

だけど・・・・・。
どうしても、春希に寄り添う自分のことを親友だって言ってくれた彼女を
思いだしてしまい、ドアノブにかけた手をおろしてしまっていた。
雪菜は、きっとあたしのことを許してなんかくれないだろう。
もう親友だなんていってもくれないはずだ。
そんな雪菜が春希の側にいるかもしれないのに、春希がいるマンションに
行く勇気なんかかずさには持ち合わせていなかった。

世間ではクリスマスイブで盛り上がっているが、そんな日付の感覚さえ忘れ
地下にこもっていたかずさであったが、久しぶりの訪問者によって
今日がクリスマスイブだと思いだす。

曜子「元気にしてた?」

かずさ「あいかわらず突然だな。」

曜子「クリスマスイブだっていうのに辛気臭いわね。」

かずさ「ほっとけよ。」

数日ぶりに発した言葉は、うまく声にすることができた。
成田からここに連れられ、そのまま放り出されたが、あえて干渉してこない曜子に
感謝を覚えていた。
たしかに、少しは、いや何度も薄情な母親だと呪ったが、
なにも言ってこない曜子の対応は助かっていた。
もし、なにか言われたとしても、
どんな顔をして、何を言えばいいかわからなかったから。
今も、何を言えばいいかわからない。だけど、こんな軽口くらいなら言えるくらい
回復していると思えた。

曜子「あなたをほっといたのは、悪かったと思ってるわ。」

かずさ「本当にそう思ってるならな。」

曜子「まあ、いいわ。忙しかったのは確かなのよ。調整にリハーサル。
   それに、うんざりするような取材、取材・・・・・取材。
   美代ちゃんったら、久しぶりの日本公演だからって、張り切りすぎなのよ。」

曜子は、取材が嫌いなわけではない。
かずさが知っている曜子は、派手な行動をマスコミに隠そうとはしていない。
いや、むしろ自分に注目を集めるために
わざと目立つ行動をしていると思えることもある。実際そうなんだろう。
その曜子がうんざりするような取材の量って、ちょっと興味を覚える。
もし自分だったら、最初の取材で椅子を蹴飛ばし、部屋を去っていたと確信できるが。

かずさ「それで、今日はどんな用で来たんだ?
    クリスマスプレゼントでもくれるのか?」

別にクリスマスプレゼントが欲しいわけでも、期待しているわけでもない。
ただ曜子との軽口を続けようとしただけ。
それなのに返ってきた言葉は意外なものだった。

曜子「なんでわかったの?」

曜子はほんとうに驚いたのか、わざとらしい演技をみせる。

かずさ「え?」

曜子「なにを自分でふってきた話題で驚いてるのよ。
   ちょっとしたプレゼントを用意したのは本当。
   でも、それよりも食事に行かない? 
   今日はイブだし、親子で食事といきましょう。」

かずさ「食事に行っても、カップルばかりでうざいだけだ。」

曜子「別にむこうじゃ家族で過ごすのが普通なんだし、どうでもいいんじゃない?
   誰と過ごそうが、自分が過ごしたいと思う人と一緒にいるのが一番よ。」

かずさ「自分が一緒にいたい人か・・・・。」

そう小さくつぶやくとピアノの鍵盤に目を落とす。
そして、ピアノの向こうにいる春希を見つめようとするが、
曜子はかずさのつぶやきを聞こえないふりをして、話を続ける。

曜子「さ、私お腹すいちゃった。早く行きましょ。
   そんな服装じゃ風邪ひくから、とっとと着替えてきなさい。」

部屋のエアコンの温度が高めに設定しているため、かずさは半袖のシャツに
7分丈のデニムといった夏の装いをしている。
ウィーンの自宅でも、一年中同じような服装だが、
さすがに真冬の東京に身をさらさなければならないのならば、着替えなければならない。

かずさ「わかったよ。」

そう短く答えると、思考を中断して着替えが入ったトランクをあさり、
冬服を身に付けた。
これ以上考えると深みにはまるし、それで曜子に心配を
かけさせるのも嫌だった。
そして、心配した曜子から、かずさの思考が言語化されて目の前に突きつけられるのは
なによりも避けたかった。






1-4 かずさ 御宿・宿泊ホテル・レストラン 12/24 金曜日 




クリスマスイブということもあって、レストランは満席だった。
普段は値がはる価格設定のレストランともあって若い客は多いとはいえない。
しかし、今日という特別の日のために予約しただろうカップルが
いつも以上に陣取っている。
逆に、曜子とかずさのような親子連れの方が目立ってしまうほどである。
この目立つ要因が二人の人並み離れた美貌によるもののほうがでかいが。
そして、今まさにワイングラスを掲げ、今日という日を祝福される言葉を
ささやく絵は、映画のワンシーンのようでもあった。

曜子「乾杯。」

かずさ「なににだよ。・・・・じゃ、あんたのコンサートの成功を祈って。」

本来メリークリスマスと言うべきところを、そのことを既に忘れているあたり
冬馬親子らしいと言えばらしかった。
かずさは、そっけなく曜子のコンサートの成功を祈り
ワイングラスを軽く傾け、一気にワインを喉の奥に流し込んだ。
その様子を面白そうに眺める曜子は、自分もと軽くグラスに口をつける。

曜子「私のコンサートの成功なんて祈らなくてもいいのに。
   どうせ大成功よ。」

たしかに曜子がコンサートで失敗する姿など想像もできない。
自分が描く曜子は、はるか上をお気楽な顔をして優雅に歩いている。
その土台となる鍛錬や精神力は、この3年、目の前で見てきて、
これでもかというほどの実力の差を実感させられてきている。
だから、コンサートについてなにも不安などあろうはずもなかった。

かずさ「それならそれでいいよ。ただ、なにも言うセリフがなかっただけだ。」

曜子「そっかぁ。」

そうため息にも似た返事をした曜子は、つまらなそうに付け加える。

曜子「じゃあ、あなたの成長と成功を祈って。」

かずさ「それこそなんなんだよだ。あたしは成長してるさ。
    毎日練習だってしてる。」

曜子「それは当然のことでしょ?」

かずさ「そうだけどさ。」

毎年何人ものピアニストが、自分の実力に見切りをつけてピアノから去っていく。
そういう人間をウィーンでも何人も見てきている。さすがに恩師のレッスン以外は
自宅に閉じこもっているかずさであっても、コンクールに出れば、
世間のピアニスト事情を垣間見てしまう。
何人ものピアニストがコンクールに挑み、そして、夢破れて去っていく。
自分ももしかしたら、その一人になっていたかもしれない。
それでも、今まで生き残れたことについては、自信を持っていたし、
なにより母曜子に感謝していた。

自分が言ったことが、いかに幼稚だったかを隠すようにグラスの淵を指でなでる。    

かずさ「そんなこと言いたかったんじゃないんだ。」

曜子「わかってるわ。あなたの3年間を見てきたんだから。」

かずさ「ありがとう。」

何についての「ありがとう」かは、かずさ自身分からなかった。

ウィーンに連れ出してくれたことにか。
ウィーンで最高のレッスン環境を用意してくれたことにか。
曜子の才能を受け継げたことにか。
日本に連れ戻してくれたことにか。
それとも、別の何かかもしれない。だけど、曜子に感謝の気持ちを伝えたかった。
曜子は何についての感謝の言葉か理解しているのだろうか?
ふと気になりもしたが、これ以上追及すると再び闇に飲まれそうになりそうなので
再び食事に意識を集中させた。




おおむね食事が終わり、デザートの時間になっていたが、この二人のテーブルだけは
違っていた。今からがメインともいえるような品ぞろえといえる。
テーブル狭しと言わんばかりに、店の全メニューのデザートが並べられている。
そして、今日という日の象徴の一つであるクリスマスケーキもホールごと
テーブルの中央に存在感を醸し出していた。

曜子「ところで、あなたに渡さなきゃいけないものがあったわ。」

そう言うと、今までずっと忘れられていたクリスマスプレゼントを差し出す。
もちろんかずさも、そのプレゼントがずっと視界に入っていた。
だからといって、自分から催促するのも癪なので黙っていたが、
ここでようやくその中身がわかる。別になにか期待したわけでもなかったが
曜子からのプレゼントとなれば、自然と嬉しくもなる。

かずさ「ありがと。」

曜子「メリ〜クリスマス。」

にこやかにほほ笑みウィンクするあたり、きざすぎるが、さまになっているので、
我が母親ながらなんともいえない。
ちょと恥ずかしそうに下を向きながら受け取ると、そのまま中身を確認する為に
包装紙をはぎ取る。
中身は包装紙の上から予想した物の一つであったから、驚くことはなかった。
しかし、その雑誌の表紙を見ると、いやでも顔に血が昇っていくのと感じ取れた。

かずさ「な、な・・・・・・・・、なんなんだよ、これ!。」

静かに落ち着いていたレストランにかずさの声が響く。
それと同時に、全ての人の目がかずさに向けられる。
しかし、そんな視線など気にもせず、言葉を続ける。
さすがに他人のことを気にはしないが
自分に注目がこれ以上集まるのはうっとうしく思え、声は抑える。

かずさ「なんであたしが載ってるんだよ?」

曜子「この前のコンクールであたなが2位になったから。
   それと、これの前にのった記事も評判良かったかららしいわよ。」

端的にかずさの質問に答えていく。
つまらないこと聞くのねといったふうに、フォークでケーキを口に運ぶ。
そして、気にいらない味だったのか、そのケーキの皿をかずさの方に押しやる。

かずさ「それで、表紙にもなった雑誌を見て、あたしに喜べって言うのか?」

曜子は話を聞きながらも、ケーキの物色を続ける。

かずさ「こんな雑誌貰っても、うれしくなんかない。
    どうせあることないことおもしろおかしく書かれているだけだ。
    そんなの見ても、気分が悪くなることがあっても、嬉しく思うことなんてない。」

今度のケーキは好みなのか、すぐに皿を空にし、追加注文をする。

かずさ「聞いてるのか?」

曜子「聞いてるわよ。ちゃんとね。
   そんなこと言わないで、読んでみなさい。
   えっと、たしか12ページから16ページだったかな。」

そう言われると、コンクールで撮られただろう写真がアップで載っているページを
いくつかとばし、指定されたページを開く。
どうやらかずさの生い立ちから学生時代について書かれている記事のようだった。
その見出しを見ただけでも、どんな内容かかかれているか予想でき
眉間にしわが寄っていく。

曜子「そんな顔しないで、読んでみなさい。」

かずさ「・・・・・・・。」

高校入学時から始まり、母曜子とのすれ違いによる確執についてまで、
こと詳細に触れられている。ここまで突っ込んだ内容を書くとなると、
膨大な時間と労力が必要だったと、かずさ自身でもわかる。
それは、かずさについて知っている人物が限られていることに起因する。
ましてや、かずさを知っている人間でさえ本人の深層心理まで知っているわけではない。
だから、この記事を書いた記者は、よっぽどのキレ者か、それとも、・・・・・・。
それとも、初めからかずさの身近にいて、かずさをよく知っているただ一人の
人物でしか書くことができない。
そう、春希が記者にかずさのことを話したとしか。

かずさ「これって、春希がインタビューに答えたのか?
    いや、春希が・・・・・、でも。」

ここにいない彼に話しかけたのか、そのままかずさは一人記事を読み進める。
曜子は、そのかずさの何度も変化していく表情を、興味深く観察しているだけだった。
何も言わず、ただ、心の奥を覗き込み、かずさの真意を解き明かそうと。

指定された16ページまでを一気に読み終えると、もう一度12ページから読み直す。
今度はじっくりと、記事の言葉遣いまで理解するように頭に叩き込んでいく。
かずさの本能が、ウィーンで3年間恋焦がれていた彼の言葉だと察知し、
心に刻んでいく。
そして、最後まで読み終えると再び最初から、今度は心に刻んであった彼の声と
雑誌の文章を照らし合わせるように読みこんでいく。
そこまでの作業は終わり、ほっと一息つき、窓の外の見ると雪が舞っている。
ホテルに来る時も降っていたのかもしれないが、その時はとくに気にしていなかった。
気にしなかったのではなく、見ないようにしなかっただけだが、
今は彼との思い出を強く結び付けてくれた。そっと指で唇を撫で、
雪の日の彼の唇の感触を思い出そうとしたが、窓に映る曜子の視線を感じ、
急ぎ手をテーブルの下に隠した。

曜子「どうだった?」

かずさをじっくりと観察していた曜子は、満足した顔を隠しつつも、いつもとは違い、
かずさを冷やかすこともせず、記事の感想を求めた。

かずさ「これ書いたのって、春希だろ?」

曜子「どうして、そう思うの?」

かずさ「春希が人に話すはずがない。もし話すとしても、自分が直接書くはずだ。
    それに、こんな上から目線の、説教じみた記事を書く奴なんて
    あいつくらいしかいない。」

曜子「別に、上から目線で、何も分かってないのにえらそうな記事書く記者なんて
   たくさんいるわよ。」

わざと揺さぶりをかけようとしているのか、かずさの反応を見逃さないように
視線を固定する。

かずさ「そうじゃない。この言葉遣い、間違えるはずがない。」

そういうと、自分の正しさを証明する為か、もう一度記事を確認する。
そして、その正しさを伝えようと曜子の顔を見ると、自分がしていることに気づく。

かずさ「あっ・・・・・。」

曜子は慈愛に満ちた顔をしていた。
それは、ただの親心か、それとも、同じ女としてなのか。
そもそも「普通の女」と規格が外れている二人であるから、常識に照らせばだが。

曜子「そのクリスマスプレゼント気にいってくれた?」

かずさ「・・・・・・。」

なにも返事がないことは、気にいった証拠とみなし、次の話題をふる。

曜子「それでね、その記事を書いた彼。今度のニューイヤーコンサートに
   招待したから。ちょうどあたなの隣の席を用意したから、
   ゆっくり話すといいわ。」

かずさ「春希が・・・・・。」

曜子の言葉に心が躍ったが、すぐさま心が冷え込む。
テーブルの下で右の指で左の指を確認するように一本一本いじるまわす。
だが目は伏せ、迷走する指さえも見てはいなかった。

曜子「かずさ?」

かずさ「ああ、聞いてるよ・・・・・・・・。」

かずさが聞いているわけがない。
それでも、もう一度言葉を投げてみる。

曜子「私は、春希君が書いたなんて一言も言ってないわよ?」

そのボールはかずさを素通りして、遥か後ろに転がっていくだけだった。
曜子が窓を見上げると、雪はさらに強くなっている。
窓の隅から雪が溜まりつつあった。




第1話 終劇
第2話に続く






黒猫--アップ情報

WHITE ALBUM2


『ホワイトアルバム 2 かずさN手を離さないバージョン』長編
(かずさNのIFもの。かずさ・春希)

『心はいつもあなたのそばに』長編
(かずさNのIFもの。かずさ・曜子・春希)

『ただいま合宿中』短編
(かずさ編・雪菜編)

『麻理さんと北原』短編
(麻理ルート。麻理・春希)

『世界中に向かって叫びたい』短編
(かずさT。かずさ・春希・麻理)

『誕生日プレゼント〜夢想』短編
(夢想。かずさ・春希・曜子)

『心の永住者』ホワイトアルバム2(cc〜coda)cc編 長編
(cc〜coda・cc編。かずさ・春希・曜子・麻理・千晶・雪菜)


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。


『やはり雪ノ下雪乃にはかなわない』短編
(由比ヶ浜誕生日プレゼント後あたり。雪乃・八幡)

『やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部』長編
(リメイク作品。雪乃・八幡・由比ヶ浜・陽乃)

このページへのコメント

毎回感想をいただき、ありがとうございます。
色々話したいことがありますが、ネタばれになってしまうので、しばらくはご容赦ください。
cc〜codaとなっている通り「cc」「〜」「coda」の3つの時間軸から成立します。
つまりccとcodaの間の時の流れも描く予定です。

0
Posted by 黒猫 2014年06月17日(火) 06:05:37 返信

cc~codaという事はcc編でかずさと春希は再会しないのでしょうか?それとも今までとは違う切り口での再会があるのか楽しみです。春希と別れてからのかずさが目の前にいない春希の事を思ってピアノを弾き続けたのが彼女の評価を高めたのは皮肉な事ですが、おそらく曜子さんだけはある程度予測していたのかもしれないですね。それとハウスキーパーの件でのかずさと曜子さんのやり取りに後にcoda編で曜子さんに指摘されるかずさの曜子さんへの依存の高さが感じられますね。

0
Posted by tune 2014年06月10日(火) 19:47:37 返信

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