第50話



7月下旬



 日本にまで送り届けられていた部屋の鍵を差し込み玄関の扉を開けると、そこは数カ月前に
やって来た時と同じように整然とした部屋が開かれる。主がいまだ職場に拘束されている部屋は
新たなる居住者を無言で出迎える。
 この部屋は一応日本スタイルを通しているので、玄関を入ってすぐ靴を脱ぐ。そして靴一足
たりとも置かれていない片付けられているこの場所に俺がいる事を示すように、
まあ控えめにだけど、邪魔にならないように玄関の隅に履いてきた靴を片付ける。
 やはりニューヨークも日本と同じように夏というわけで、エアコンが効いていない室内は
むあっと息苦しい。俺は手荷物を床に置くとエアコンをつけ窓の方へと歩み寄る。
 エアコンをつけたのに窓を開けるのは貧乏性ともいう節約生活が身についてしまった俺と
してはほんの少し迷いはしたが、その愁いを振り払うように窓を開けた。
 気持ちがよい夏の風が俺の後ろへと過ぎ去り、汗ばんだ肌を冷やしていく。と、正午を過ぎた
ばかりなのにもう少しの間だけたそがれるのも悪くはないが、今も全精力をあげて仕事に
打ち込んでいる同居人に申し訳ないわけで、俺は既に届いている荷を整理することにした。



 時は夕方をすぎさり、既にとっぷりと夜を迎えていた。迎えていたと表現したのは、
夕方ほんの少しだけと思って仮眠をとっていたからであり、一応時差調整でもあった。
 時計を見ると、あと1時間ほどで俺の同居人、正確に言えば俺が居候であり、
また千晶流に言えばヒモではあるが、……とりあえず千晶のことは忘れることにして、
俺は食事の準備に取り掛かった。

麻理「北原っ」

 部屋のチャイムが鳴り、急いで玄関を開けると、そこにはパソコン画面では見慣れている麻理
さんが息を切らして立っていた。

春希「駅から走ってきたんですか?」

 感動の再会だというのに俺の気のきかない第一声が、麻理さんの勢いを見事にそぐ。

麻理「走ってはいないわよ。ちょっと早歩きで来ただけ」

春希「でも、息が上がってるじゃないですか」

麻理「そうかしら?」

春希「ええ」

 額にはうっすらと汗の粒が噴き上がっている。確かに外は暑い。けれど、太陽が一番高い
時間帯に歩いてきた俺以上に汗だくなのは、やはり走ってきたとしか思えなかった。

麻理「う〜ん……、わかったわよ。走ってきたのよ」

 そう早々と自白した麻理さんは、事実を告げると顔を横に背ける。
けれど、俺から視線を離すことはせずに、視線だけは俺に捉えて離さないでいてくれた。
まあ、俺が麻理さんの事を目を離す事も出来ずに観察していたからこそ
気がついた小さな事実だけれど。

春希「俺も早く会いたかったです。俺に出来る事は部屋で待つことだけでしたけど」

麻理「北原……」

春希「ほんとうは再会した瞬間にどうしようか、とか、何を言おうかとか色々考えていたんですよ」

麻理「本当に?」

春希「嘘ついてどうするんですか」

麻理「そうよね」

春希「でも麻理さんの顔を見たら、せっかく考えていたプランを全て忘れてしまいました」

麻理「その代替案が「駅から走ってきたの?」なの?」

春希「いや、どうなんでしょうね? 俺も考えて口にしたわけじゃないですから。
  麻理さんの顔を見たらぽろっと出てしまった言葉でして」

麻理「そんなに息が乱れていたかしら?」

 そう麻理さんが言葉にすると、自分の今の状況に今さらながら気がついたのか、衣服の乱れや
汗が噴き出ている事に気が付き慌てふためく。そんな職場では絶対に見せない取り乱した
その行動がなんだか可愛らしくおもえて、愛おしさが我慢できなくなる。

春希「最初に謝っておきますね。麻理さんごめんなさい」

麻理「北原?」

春希「ただいま麻理さん」

 俺は考え抜いた第一声を今さらながら口にすると、俺は麻理さんの許可も得ずに無防備に
突っ立っている麻理さんの体を抱きしめた。きっと麻理さんは非常に汗の状態を気にはしている
だろうが、俺は汗なんて気にせず身を引き寄せる。
 その小さな体を俺の体で記憶させるように脳に叩きこむ。
 もう映像じゃないんだ。触れることだってできる。臭いだってある。
……まあ、汗臭いから嗅ぐなって怒鳴られそうだけど、今回だけは許して下さい。
 そしてなによりも、一度機械で分解して再構成した声ではなくて、
あの耳に心地よく居座ってしまう甘い声が俺の鼓膜を触れてくれる。

麻理「おかえりなさい北原。それと、ただいま」

春希「おかえりなさい」

 麻理さんはもう諦めたのか。自身の汗の事など忘れ、俺に身を任せるだけでなく自分からも
俺がいる事を確かめていく。これが恋人同士ならキスの一つや二つあったかもしれないが俺達に
はあるわけもなく、ただお互いの存在だけを身に刻み込んでいった。
ただ、千晶が見たら、どうみても恋人同士の抱擁でしょって突っ込みが入ってきそうだけれど。







5月下旬



 曜子がフランスでのコンサートを無事に終わらせてウィーンの自宅に帰宅すると、予想通り
静けさだけが彼女を出迎える。ただ、「無事に」というニュアンスを使うと曜子自身が鼻で笑う
かもしれないが、コンサートの観客の満足度が曜子の自信と一致している点は彼女のピアニスト
としての地位を如実に表していた。
 曜子は一カ月ぶりの帰宅だというのに愛娘の出迎えがないことに悲しさや怒りを覚えたりは
しない。そもそも曜子が海外へ出かけていないときでさえかずさが曜子を出迎えることなど
ありはしないのだから。それに、最愛の愛娘が出迎えに来る方がよっぽど気持ち悪い。
 もしそのような事態に出くわしたとしたら、即刻知人に精神科医を紹介してもらうことだろう。
だから曜子は荷物を玄関に捨て置き、かずさがいるはずの自宅に作られているレッスンスタジオ
に足を向けた。あと、玄関に置き去りにした荷物は、おそらく数日以内にフランスで滞在して
いたホテルから送られてくる荷物と一緒に信頼できるハウスキーパーが整理洗濯することになる。
 曜子が自宅の事を気にせずに海外に行けるのも、気難しいかずさの逆鱗に触れる事もなく、
ようはハウスキーパーのステルス機能が高いとも言えるが、家事全般を任せられるからである。
 ただでさえ生活能力の針がマイナスをふっ切っているかずさなのだから、一週間も一人では
暮らしてはいけないはずだ。普通のハウスキーパーがいてもその日のうちにハウスキーパーが
逃げ出すだろうから、一週間と一日だけかずさが生き延びられる事ができるにすぎない。

曜子「愛しのお母様がフランスから凱旋よぉ」

 曜子が防音処理が施されている分厚いドアを開けスタジオに入ると、鳴り響いているはずの
ピアノの音色は聞こえてはこない。そもそも部屋の中央にあるグランドピアノの前にかずさが
いないのだから当然ではあった。
 お風呂にでも入っているのだろうかと思いめぐらすが、
そもそもいつもなら今の時間帯にお風呂に入ってはいない。
それならばトイレかお腹が空いてハウスキーパーが用意した食事をとりに冷蔵庫を
漁りに行ったのかもしれないと考えがまとまっていく。
 けれど、その推理もほどなく終了した。端的にいえば、かずさはレッスンスタジオにいた。
 床にちらばった楽譜や食べかけのお菓子類などが広いスタジオを雑然と狭く見せてしまう。
それでもピアニストのせめての意地なのか、一千万を超えるグランドピアノの周りだけはゴミが
なかった。いや、もう一か所だけ綺麗に片づけられている場所があった。
 それはかずさがいる箇所だ。
 よく観察すれば、かずさが座るソファーの周りには、元々ソファーにあったゴミが
強引にソファーから遠ざけただけだと判断ができる。

曜子「かずさ? 寝てるの?」

 ソファーの上で膝を抱えるように身を小さくして寝転がっているのだから寝ているわけでは
ないだろう。曜子も戸惑いのあまり適当な言葉を投げかけたにすぎなかったのだが。

曜子「練習中なら気にしないけど、何もしていないんだからおかえりの挨拶くらいしなさいよ」

 苛立ち半分、諦め半分の声をかずさに投げかけても、かずさは肩を震わせる事さえしない。
こうなると本当に寝ているか、病気で動けなくなっているかという考えが再度浮かび上がって
来てしまう。

曜子「ほら、こっちを向きなさい。…………えっ?」

 曜子は強引にかずさの肩に手をかけ振り向かせる。
 しかし、曜子が目にしたのは、予想を斜め上に大きく外れる結末であった。

曜子「えっとぉ、かずさ?」

かずさ「あ、母さん。帰ってたのか。おかえり」

曜子「うん、まあ、ただいま」

 かずさは曜子が帰ってきた事を確認すると、再度かずさの視界から曜子を消してしまう。

曜子「ちょっと、ちょっと待ってよかずさ」

かずさ「なんだよ?」

 自分の世界からリアルに引き戻されたかずさの機嫌は急激に下降していく。それは母曜子で
あっても例外でない。曜子ものりのりでピアノを弾いているときに声をかけれると無視するわけ
だから似たようなもので、自分の場合も覚えていてほしいと言われそうだ。

曜子「気持ち悪いくらいにやけちゃって、どうしたのよ?」

 たしかに曜子がかずさの機嫌を損ねる直前までかずさはにやけまくっている。曜子の認識と
他の人間の感想に隔たりがあるかもしれないが、それでもかずさは蕩けきった顔をしていた。

かずさ「べつに休憩中くらいリラックスしていてもいいじゃないか」

曜子「それはかまわないんだけど、でもねえ……」

かずさ「なんだよ?」

曜子の視線がかずさの手元で止まる。そしてかずさが逃げる前にかずさの手を両手で抑え込んだ。

かずさ「ちょっとやめろって。やぶけたらどうするんだよ。のびちゃうだろ」

曜子「あんたが大事そうにしている手袋には触っていないじゃない。ほら、こうやって手首を
  抑えてるんだからのびやしないわよ」

かずさ「わかったよ。わかったから手首を抑えるな。どうせ今隠してもあとでいじられるだけだからな」

曜子「わかってるじゃない。だったら最初から素直になればいいのに」

かずさ「何言ってるんだよ。そっちがいきなり襲いかかってきたんじゃないか」

曜子「そうだったかしら?」

かずさ「そうだったんだよ。……もういいよ」

曜子「じゃあ説明して貰おうかしらね」

かずさ「別にあたしが話さなくても母さんはわかってるんだろ? 
   だったらあたしが話す意味はないじゃないか」

曜子「意味なるあるわよ」

かずさ「どんな意味だよ」

曜子「恥ずかしさに悶える愛娘の姿を見られるじゃない」

かずさ「消えてくたばれっ」

曜子「まあいいわ。春希君からの誕生日プレゼントなんでしょう」

かずさ「まあね」

 かずさは愛おしそうに手にはめているクリーム色の手袋を撫でる。その姿だけでも嬉しさに
悶える愛娘を堪能できているわけではあるし、また、曜子がかずさに尋問する前にすでに
だらしないほどに悶えまくっている愛娘も堪能しまくっているわけで、さらに恥ずかしさに悶える
愛娘まで求めるのは、かずさにとって屈辱以外のなにものでもなかった。
 それに、かずさが手にはめている木綿の手袋以外にも、国際便で送られてきただろう箱とその
包み紙がソファーの側に転がっているわけで、今日が5月28という事実を組み合わせれば
容易にプレゼントの贈り主を推測する事もできた。
 ただ、曜子がその推理だけで満足できるかは別問題ではあったが。

曜子「これでこの惨状も理解できたわね」

かずさ「惨状って?」

曜子「別に大したことではないのよ」

かずさ「だったら言葉にして言うなよ。頭の中だけにしとけばいいのに……。
  それとも、もうボケ始めたのか?」

曜子「ひっどい事をいうのね。色ぼけした発情娘に言われたくはないわ」

かずさ「なっ……」

曜子「ふぅ……。あなたが自覚しているだけましってところね」

かずさ「ふんっ」

曜子「一応言っておくけれど、さっき言った惨状っていうのはね、
  ソファーの周りだけ綺麗になっている理由がわかったってことよ」

かずさは曜子が言っている意味が全く理解できないようで、小首を傾げて続きの解説を催促した。

曜子「やった本人が自覚していないっていうのは重症ね」

かずさ「どういうことだよ?」

曜子「あなた、自分の周りを見てみなさいよ」

かずさ「ん? べつになにもないけど?」

 かずさは曜子の指示通りに自分の周りを見渡す。母親の言葉に素直に従うところは、
普段の曜子への態度と言葉使いを別にすれば、純粋で、親子の仲も非常にいいことが分かる。
 まあ純粋な心の持ち主うんぬんは、かずさ本人は認めないだろうし、
曜子も「たんにこの子が世間知らずなだけでしょ」って一蹴しそうではある。

曜子「だからね。あなたの周りだけ綺麗にして、春希君からの荷物が汚れないようにしてる
  なって気がついたのよ。ちょうとソファーを中心にゴミを外に追いやったのがよくわかるわよ。
  うん、綺麗に手でどけたのがわかるように半円ができてるわね」

かずさ「べつにそういうわけじゃあ……」

曜子「そう? どうせ荷物を受けとたったら……、ねえ、かずさ」

かずさ「な、なんだよ?」

 曜子の鋭い視線にたじろぎ、かずさは逃げるようにソファーに身を沈めていく。

曜子「どうやって荷物を受け取ったのかしら? いつもだったら荷物はハウスキーパーの
  ホフマンさんが受け取ってるわけよね。そうねぇ……、一度でもかずさが荷物を受けとった
  事ってあったかしら? ううん、玄関のチャイムが鳴っても全て無視しているわよね。
  そう考えるとチャイムが鳴っても受け答えさえしたことがないことになるのよねぇ……」

かずさ「うるさいなっ。朝頼んでおいたんだよっ。荷物がきたら持ってきてほしいってホフマン
  さんにお願いしておいたんだ。それだけだ」

曜子「なるほどね。根回しはしっかりとしておいたか」

かずさ「嫌な言い方だな。ただたんに荷物がきたら持ってきてほしいとお願いしただけじゃないか」

曜子「たしかにね」

かずさ「だろ?」

 かずさはようやく曜子から解放されると思ったのか、最後くらいにこやかに答えてさっさと
この場から逃げようと考えた。いくら曜子であってもピアノの練習に入ったかずさにはちょっかい
はださないはずではある。しかし、かずさの儚い願いも叶わず、曜子による追及は緩まる事はなかった。

曜子「でもおかしいわね」

かずさ「なにがだよ? あたしが荷物を持ってきてほしいとお願いするのがどこがおかしいんだよ?」

曜子「ううん。その事自体は別に何とも思ってないわ」

かずさ「だったらなんだよ」

曜子「だからね。なんで今日、つまりかずさの誕生日に春希君から誕生日プレゼントがくるって
  知っていたかって事よ。だってあなた、春希くんとは連絡とっていないのでしょ?」

かずさ「まったくってわけではない」

曜子「そうよねぇ……。ヴァレンタインにホワイトデー。あとは4月の春希君の誕生日には
  プレゼントと、今時珍しい手書きの手紙のやりとりをしてたっけ」

かずさ「別に手紙が珍しいってわけではないだろ? いくらメールで瞬時にメッセージをおくれる
  ようになったとしても、手紙という習慣がなくなったわけじゃない」

曜子「たしかに……。それに、メールよりも手紙の方があなたも喜んでいるわけだし」

かずさ「どういう事だよ?」

曜子「だってねぇ……」

 曜子の含みがある笑みにかずさは再度後ずさる。かずさも全く経験をいかせていないわけで、
自分がソファーにいることを覚えてはいない。それだけかずさが追い詰められていると考える事
も出来るが、すでにこのやり取り、毎度のパターンとなっているとつっこめる人間がいない
ことが、かずさにとっての一番の不幸なのだろう。

曜子「だってあなた。夜寝る前には必ず春希君からの手紙を読んでから寝ているじゃない」

かずさ「見たのか?」

 かずさがすごんで見せても曜子は全く意に介さない。むしろにたにたと喜びながらにじり寄る
ものだから、かずさの怒気は一瞬で霧散してしまった。

曜子「見てないわよ」

かずさ「じゃあなんで? あっ、かまかけたな?」

曜子「違うわよ。かまなんてかけなくても簡単に想像できるじゃない」

かずさ「ふんっ……、言ってろ」

曜子「まあまあ、可愛いところがあって春希君も喜ぶんじゃないのかなぁ。だってあの北原春希
  君よ。堅物で優等生の春希君があなたの為にまじめぇ〜な手紙を書いてくれたんでしょ?」

かずさ「見たの?」

曜子「見てないわよ。いくら私でも、かずさ宛にきた手紙を勝手にみないわよ」

かずさ「でも、この部屋に忍び込んできたときに偶然見たっていう可能性もあるじゃないか」

曜子「忍び込んだとは心外だわ。ちゃんと「ただいまぁ」って言って入って来たわよ」

かずさ「そ、そう……。ごめん」

 実際には「愛しのお母様がフランスから凱旋よぉ」だったが、
曜子本人さえ自分がなんて言ったか忘れていた。

曜子「別にいいわよ。私が部屋に入ってきたときは、かずさったらその今手にはめている春希君
  からの手袋を見ながらにやにやしているだけだったじゃない。我が娘ながらあんなににやけ
  悶えちゃっていて、ちょっとひいちゃったかな」

かずさ「だったら見るなっ」

曜子「はいはい。……でね、だからかずさがにやけているだけだったから、
  手紙があるなんて知らなかったわよ」

かずさ「そっか」

曜子「じゃあ、春希君の誕生日プレゼント贈った時のお礼の手紙に、
  今日プレゼント来るって書いてあったの?」

かずさ「いや、書いてないよ」

曜子「じゃあ、どうして今日プレゼントがくるってわかっていたのよ?」

かずさ「春希がプレゼントを今日届くようにしていたかは知らないよ。でもね、
  春希ならきっとプレゼントを送ってくれるってわかってたからな」

曜子「なるほどね。固い絆で結ばれているってことね。お熱いことで」

かずさ「春希はどこかの母親とは違って、あたしの誕生日をしっかりと覚えてくれている
  からな。まあ、聞いた話では、娘の誕生日を忘れてフランスまでコンサートに
  行ってしまった薄情な母親もいるそうだよ」

曜子「何言ってるのよ。こうやって誕生日に合わせて戻ってきたじゃない」

かずさ「最初の予定だともうちょっとフランスにいる予定だったじゃないか」

曜子「まあね。でも予定よりも順調に進んでくれたおかげね。コンサートの日程だけはずらせ
  ないけど、インタビューとかはどうにか短縮できてよかったわ」

 曜子は軽く言い放ってはいるが、曜子の陰で優秀なアシスタントの血のにじむような
はからいと交渉があったことは、かずさであっても容易に想像ができた。

かずさ「美代ちゃんに感謝しないとな」

曜子「そうね。でもこうして頑張って帰ってきても、
  最愛の娘は母親よりも男に夢中ってわけで、泣けてくるわね」

かずさ「言ってろ……。でも、春希が待っててくれるって言ってくれているからあたしは
  今ピアノに集中できるんだ」

曜子「そうね。私たちの我儘に付き合ってくれる春希君に感謝しないといけないわね。でも春希
  くんったら、なにを見て手袋を送ってきたのかしら? 今時寝るときに手袋をして寝ている
  ピアニストなんていないわよ。精々手タレモデルくらいじゃないかしら?」

かずさ「そのことは手紙にも書いてあったよ」

曜子「あら? なんて書いてあったの?」

 曜子も春希の事を馬鹿にしているわけではない。子供にピアノを習わせている一部の親の中に
は、寝るときには子供に手袋をつけさせる親は今でも存在している。
 だから、もし春希がその事を知ってかずさに手袋を贈ったとしても、口ではかずさを
からかっても、本心から春希を馬鹿にする事などはないし、かずさもそれをわかっていた。

かずさ「別になんだっていいだろ。ないしょだ、ないしょ。あたしと春希だけの秘密だ」

そのかずさの慌てようと照れ具合からして、実際手紙を読まなくとも、曜子にはおおよその見当
くらいはつけることはできた。おそらく手を大事にしてほしいとか、一緒にいられないけどこれ
くらいは、とか。もしかしたら、この手袋を見たら自分を思い出してほしい……、寝るときは
一緒だ。……だんだんと春希の性格からかけ離れていく推理になっていくが、
あながち見当違いではないのかもしれないと曜子は結論付け、ほくそ笑む。

曜子「まあいいわ」

 そう曜子が呟くと、曜子は春希からのプレゼントを撫でようと手を伸ばす。
 これがほのぼのした母娘関係ならばここで終わるのだが、かずさが春希からのプレゼントを
曜子に触れさせないように伸ばしてきた手を叩き落とすあたりは冬馬親子らしいといえるのだろう。
 このかずさの独占欲が、母娘のじゃれあい第二ラウンドの合図となった事はいうまでもない。





第50話 終劇
第51に続く



第50話 あとがき


 地の文を三人称で書いてみましたが、いかがだったでしょうか?
春希が語っていると考える事も出来ますが、いかんせその場にいないわけで
ちょっと変な感じも致します。
最初は曜子視点で書こうかとも思いましたが、三人称の練習も兼ねて書いてみました。


来週も月曜日に掲載できると思いますので、
また読んでくださると大変嬉しく思います。


黒猫 with かずさ派

このページへのコメント

更新お疲れ様です。読むのがだいぶ遅くなってしまいましたが、早くからかずさとの絡みをみたいと思いました。次回もすぐに読みます(笑)

0
Posted by バーグ三世 2015年06月24日(水) 01:57:55 返信

更新お疲れ様です。
久しぶりのかずさ登場で春希への変わらない愛情とそれをからかう曜子さんというお約束の展開堪能させていただきましたが、その裏で春希が麻里さんとNYで抱擁しているところがちょっと切ない気持ちにさせますね。今回麻里さんにしたことを春希がかずさにするのはいつになるのか次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2015年06月15日(月) 20:41:44 返信

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