大晦日のコンサートに向かったら 第八話

1月1日 10時10分

かずさがマンションを出ると、通りに一台のハイヤーが見えた。そのハイヤーの窓から白い手が伸び、手を振ってきた。

「――おはよう母さん、美代子さんも」

「おはよう、かずさ」

「ああー良かったぁーかずささん無事で。社長が男に連れてかれた何て言うから私心配しちゃって。服とかボロボロにされてたらすぐに警察に連絡入れるところでした」

「もー美代ちゃん考えすぎよ。それに、ボロボロにされちゃったのはかずさじゃなくて、相手の男の方みたいね」

「いや、あの、それは…」

「ひ、否定しないんですか?」

驚く美代子に、うろたえているかずさ。そうしている間、曜子はかずさの顔を眺めていた。

かずさが女の顔をしていた。そんな顔を見るのは、かずさがピアノを弾いている時以外では初めてだった。

いや、三年前の学園祭、キーボードとサックスそれとベースを弾いている時もそうだったか。

かずさには、これからずっとそんな顔をしていてもらいたい。そしていつか、母親としての表情もできるようになってもらいたい…

そしてかずさを母親にしてくれそうな男は、ある能力を持っている。

「あのねぇかずさ」

「何?」

「これは母親としてもピアニストでもなく、冬馬曜子オフィスの社長として言うけど。ギター君、おそらくあなた限定で、マネージャー能力すっごく高いわよ」

「ま、マネージャー?」

「マネージャーでありプロモーター。彼はあなたの良いところも悪いところも知っている。そして一般の人はあなたの悪いところしか知らない、そしてあなたは自分の良いところを他人に見せられない。けれど両方知っている彼はあなたの良いところを伝える能力を持っている。
あなたの記事の載ったアンサンブル、あれ書いたの彼だってもう知っているんでしょ?」

「う、うん」

「ちょっと今は疲れちゃってるみたいだけどね。とりあえず大学は出させておきなさい。この国で彼の出身大学の名前は色々と便利よ。大学を出てから。ウィーンに連れて行きましょう」

「ちょ、ちょっと話が進みすぎだ!」

「ええ、ちょっとね、一年後だもの。三年間連絡一つしてなかった、あなたたちにとってはちょっとの時間でしょうね。もういつでもお互いの声聴けるし、メールもできるし。最近はパソコンでお互いの顔見ながら話すこともできるし。その一年間でドイツ語の勉強をしておいてもらいたいし……かずさ?」

「――え?」

「あなた気がついてる? 私が彼をあなたのマネージャーにするって話を始めてから、顔がにやけっぱなしよ」

「う、うるさいな!」

「あなたがマネージャーにしないのなら、あたしがもらっちゃおうかしらね。これからあたしの良いところも悪いところも彼に知ってもらって…」

「ふざけるな! 春希は! あいつは! あたしの…」

「ふふふ、冗談よ。そろそろ彼のところに戻りなさい。ちゃんと看病してあげるのよ」

「頑張ってみる…」

「もし熱がひどくなっちゃうようだったらすぐに救急車呼びなさい。男性の場合、高熱が続くと精子がやられちゃうのよ」

「ほ、本当なのかよ!」

「うーん、まぁそういうこともたまーにあるって聞きますけどねぇ」

美代子は苦笑いをしている。

「孫の顔、見られなくなるのはイヤよぉ」

「す、すぐに戻る!」

かずさは踵を返し、ゴロゴロとトランクを転がしながら、早足でマンションへ戻っていった。

「(えっとこれからどうすればいいんだろう。冷やしたタオルをのせて、ごはんを食べさせて、薬を飲ませて、不安だ…もう救急車呼んだ方がいいのか?
でも軽い病気でも救急車をタクシーがわりに使うヤツが社会問題になってるんだっけ、この国では…)」

「冬馬!?」

「え?」

突然名前を呼ばれ、歩みを止めるかずさ。日本に親しい人間などいない、自分を知っているということはクラシックファンだろうか、しかしその声には聞き覚えがあった。

声のする方に顔を向けると、そこにはぽかんと口を開けている武也と、その後ろに隠れるようにしている依緒の姿があった。

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