雪菜Trueアフター「月への恋」第五話「罠の舞台〜第3幕」

「シアターモーラス」『届かない恋』閉幕後、場外のベンチにて


「…かずささん! …大丈夫ですか? しっかりして下さい!」
「………ううぅ…うう…」
 板倉は困り果てた。閉幕後、板倉が何度呼びかけてもかずさはベンチにうずくまり、立ち上がろうとしない。
 
 そこへ現れたのは千晶だった。
「いやぁ、そんなに泣かれるほど感動されると役者冥利に尽きるねぇ…」
「…っ!」
 かずさが顔を上げ、涙も拭かず、憤怒の視線を千晶に向ける。
 千晶は鋭い睨みにもひるむことなく、手にしたボストンバッグを床に置くと、飄々と芝居じみた語り口を始めた。
 その口調は雪菜のものを模していた。いや、意図的に慇懃無礼な言葉を選んでおり、彼女を知るものなら怒り出すように意図されたバッドコピーだった。
「いやいや…『本日は脚本、私、瀬ノ内晶。本名、和泉千晶の劇『届かない恋』ご覧いただき誠にありがとうございました。甚く嘆称いただけ何よりです。この度はご感想を頂戴したく参りました』」
 それが、かずさの逆鱗に触れた。

 …わたしの前でその女のマネをするな…
 ゆらりとかずさが立ち上がった。そして、

 ばしっ! …どさっ

 平手打ち一閃。千晶は豆が弾かれたように床に吹き飛んだ。
「かずささん! やめてください! 手を出すなんて!」
 板倉が止めに入る。

 が、その背後で背筋が凍るような冷たい声がした。
「これか…これが足りなかった…」
「!?」
 驚く板倉が目を向けると、千晶がすくりと立ち上がった。

「ピアニストだから本能的に手をかばう、なんて都市伝説だね。フルパワーじゃん。それに、昨日も触って思ったけど鍛えられた硬い手指。鉤爪みたいだね。弱々しい音ばかりの平手打ちとは月とスッポンだ」

「まさか…あなた…」
 板倉は悟った。さっきの吹き飛び方はいくらなんでもおかしかった。手も予想していたように素早く顔を完全にガードしていた。それに、吹き飛んだ先には本人が事前に置いた大きなボストンバッグ。

「…わざと、冬馬かずささんを怒らせて…手を出させた?」
「ご名答」
「なんで?」
「『恋敵に対してするように手を出して下さい』ってお願いしたらちゃんとやってくれた?」
「?? …なんで冬馬さんに…っ!? まさか…」
 板倉は勘付いた。かずさも気づいた。
「そう、演技指導は本人にお願いするのが一番だしね」
 この女、和泉千晶は自分の脚本のために、演技のために、実在の人物を糧とする怪物であることに。

「そうか…そうやって春希たちにも近づいたんだな…なぜだよ…」
 砂でも飲み込んだかのようなかすれた声でかずさは聞いた。
「だって、あたしファンだも〜ん。あなたたちの…そう、付属時代のステージから」
「…っ!」
「あんたたちの三角関係、歌からダダ漏れだったもん。もうはまっちゃってさぁ。絶対これは脚本にしてやろうって。で、大学の三年間、二人を調べさせていただきました〜」

 それから千晶は、かずさたちが聞きに入ったのを見計らい、ぺらぺらと何の罪悪感もなく、どうやって3人の関係を調べ上げたか喋り出した。
 『女を感じさせない女性』を装って春希に近づいた事。『商学部の長瀬晶子』に化けて雪菜に近づいた事。春希からより多くの情報を得るために母との不仲を装い、夜明けまで語りあったことまで…
 かずさは魂を抜かれたように聞き続けた。

 全て話し終えた後で、千晶はそれまでのうすら笑いではなく、にこやかな微笑みを浮かべて言った。
「まぁ、でも、ケリついたみたいだね。あんたたちの関係」
「!? っ! 何を!?」
「アンサンブル増刊号、付属CD『White Album』ボーナストラック」
「!?」

「3人の和解の産物。あなたから声掛けないとあり得ないよね。あんな曲売られるの」
「………」
「春希とおめでとう、とだけ言わせてもらうわ。これだけは心から言える。」
「何…を…?」
「わたしが2年前最後に2人に合った時も雪菜ちゃんとの仲冷えてたしさ。特級スーパーかずさとして凱旋してきたあなたなら春希くんも鎧袖一触一発撃沈〜。そりゃあ雪菜ちゃんも笑ってあんたに譲るしかないさ」

「…違うんだ…」
 かずさは弱々しい声で訂正しようとするが、千晶は聞こえないふりをして続ける。
 かずさの口調を真似て。
「トドメに『過去の事は忘れたさ。3人であの日に戻ってみるか。さぁ、わたしのピアノについて…』」
「違うんだってば!」
 いつの間にかかずさの目から滂沱と涙があふれている。千晶は驚きの表情を見せて聞き返した。
「え? 何が?」

「………」
「まさか?」
 千晶が不安げな表情をつくり、かずさを見返す。
「……うぅっ」
 かずさは答えられず。ただ眼から涙を流し続ける。
 その様子を念入りに伺って、千晶は言った。
「あ〜。誰かに話したほうが楽になれるよ? …例え相手が最低のクソ女でも」

 かずさは訥訥と語り始めた。
「もう、春希は…」
 ストラスブールでの再会。日本での公演を決めたわけ。日本での再会。イラついて板倉にあたり、春希に助けを求める羽目になったこと。
 母親の悪だくみ、いや、計らいで春希の隣室で過ごした日々。
 しかし…
 コンサートの時に来なかった春希とズタボロの演奏。
 旧冬馬宅まで逃げた自分を追ってきた春希。自分を支えようとする春希。
 だが…

「わたしは…春希を信じることができなかった…自分の親ですらも…」
 そして、知るべきでなかった真実を知ってしまう。母と春希が隠していた、母を蝕んでいた病魔…
 世界を失い、部屋に籠る自分を助けに来たのは…
 
「雪菜…だったんだ…」
 雪菜を拒絶した。しかし、かずさを恐れず、春希を失うことも恐れず、自分の持てる力の限りの世界を巻き込んで、ただ自分を救おうとしてくれた雪菜に…
「完敗…だった」
 元より周回遅れだった自分は身を退くしかなかったのだと。
 言い終わったかずさの手足から力が抜け、かずさはその場に崩れ落ちた。

 千晶はその結果に唖然としているかのように口を開けていたが、すぐに涙を流して見せた。
「ごめんなさいっ! そんな事になっていたなんて…知らなかった…全然想像もつかなかった!」
 慌てて駆け寄り、慰めようとかずさの肩を抱く千晶。

 その鼓動のリズムはゆっくりと、規則的だった。あの時の、春希と同じ…
「………っ!」
 だからこそかずさは気づいてしまう。感情を押し殺し、何かを隠そうとしている鼓動だと

 どんっ!
「きゃっ!?」

 かずさから両手で突き放され、慌てて声をあげ、距離をとる千晶。
「だからぁ………悪かったって……」

 だが、かずさは暗く震えた口調で千晶を問い詰める。
「『知らなかったから』悪かった…って、本当に思っているというのか?」
「え?」
「本当に『知らなかった』『想像もつかなかった』と言うのか?」
「何を?」
 千晶はあくまでシラを切ろうとした。

 しかし、かずさは追及の刃を振り上げる。
「嘘を吐けっ! お前のシナリオでは雪音が勝っているだろう!
 雪音はっ、自分を省みず榛名を助けに来たじゃないか!
 わたしが雪菜に勝ったと思っているならなんで、わたしを怒らすのに雪菜のマネをしてみせたんだっ!
 おかしいんだよっ! おまえはっ!」

 掴みかからんばかりの剣幕に慌てて板倉が間に入ろうとするが、かずさの手足には未だ立ち上がる力は戻っていなかった。

「…ちぇ…おかしいのはあんただよ」
 千晶の目からは既に涙は引いていた。千晶は舌打ちすると先ほどまで被っていた仮面の表情を一枚外し、不機嫌そうに眉を寄せて言った。
「…明らかに判断材料は足りていないのに…推論を勘だけで確証づけて正解に至ってしまうタイプ…あたしの一番むかつくタイプだ」
「…っ!」

 千晶は思った。
 慰めさせてももらえないか。
 じゃあ、あんたに本当に必要なモノをくれてやるよ。春希も、あんたの母親もしてくれないことをね。あんたのファンだからね。
 ここまでする義理なんてないけど。蛇足だけど。
 副作用の強い『劇』薬だけど。くらいやがれ。
 そして、一週間で立ち直れよ。

「ああ、そうだよ。振られたのはあんたの方だって、ハナから気づいてたよ。あんたに勝ち目はないって」
「…っ!」
「あんたの話を引き出して、自分の脚本の『答え合わせ』したかっただけだよ。ペラペラしゃべってくれてありがとさん」

「…なんで、わたしが…ふられたと…」
「だってそうじゃん。自分から和解を申し出られるくらいなら、3年間2人に音沙汰なしなんてはずがない。
 雪菜の方だろ。あんたに足蹴にされても和解を求めたの」
 容赦ない言葉の刃がかずさを血まみれにする。
「逃げてたんだろ? 春希の想いから! 空港であんたを抱きしめてくれたやつから! 恋人の前にもかかわらず!」
「…馬鹿やろう…あたしが…どれ…だけ…」
 消え入りそうなかずさの声に、千晶は容赦ない凍てつかんばかりの冷水を浴びせる。
「ああ、全く想定内の負け犬の遠吠えならぬ遠ピアノだね。全部ピアノにぶつけてやんの。
 帰ってきても中身は高校生のガキのまんま。ぶっぶー」
「………」
「…雪菜はね。じっと待ってた。選ばれるのが自分でない可能性に怯えつつも。春希の側で傷付きつつも、ね」

「………あ…あぁ…」
 千晶は頃合いを見極め、トドメを入れた。
「春希や雪菜のイメージの中のあんたはともかく、実物のあんたを見てると反吐が出る。
 脚本家の対象外。『お話にならない』ってやつさ。
『悪いのは自分だ、こんな自分は誰にも愛される訳がない』なんて、あんたを想う人を踏みにじる有り得ない言い訳に逃げ帰りな、冬馬かずささん」
 
 かずさの目から涙も、光も何もかもが消えた。 

「ひどい…ひどいです。瀬ノ内さん。人を何だと思っているんですか!」
 板倉が動かないかずさを抱きしめつつ、泣きそうな声で千晶を責めるが、千晶は口調を変えずに答えた。
「そだね〜。『これも役作りのため。わたしにとっては芸がすべて』かな。あんたが聞きたがっていた『瀬ノ内晶さんの役作りの秘訣は何ですか?』の答えがこれ。記事にしていいよ」
「…っ!」
 板倉はくちびるを噛んだ。記事にしてこの怪物を懲らしてやりたいのはやまやま。しかし、それが冬馬かずさを再び傷つけるのは明白。記事にできようはずがない。千晶もそれがわかって言っている。

 魂まで打ち砕かれたかのようなかずさが、床に手をついたままで口を開く。
「…最後の…質問だ…」
 千晶は人を喰った態度を続ける。
「〜ん〜。最後だなんて名残惜しいねぇ。でも、まぁ、何でも聞いてちょ」

 かずさが絞り出すような声で質問を紡ぐ。
 「話にならないわたしは…ともかく…なぜ…榛名は和希と…話の中で結ばれない…」
「へ?」
 亡骸のような様子だったかずさの首が持ち上がり、死霊のような呪いの声を上げる。
「なぜ榛名は和希と結ばれなかったのかと聞いているんだっ! 結ばれる結末はなかったかと聞いているんだっ!」

 完全に予想外の質問だった。千晶は平静を装うことすらできず、今日初めてかずさの前でうろたえる姿を見せる。

「答えろっ!」
「………」
 役者、和泉千晶は何のアドリブも返すことができず。立ちつくした。


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