雪菜Trueアフター「月への恋」第三十四話「夏と海とバンドと(7)」



「お、もうリハ終わったのかい?」
「今終わったトコだよ。早くみんな座りなよ〜」
 「ミーティングルームB」と書かれた宴会場に続々と浴衣姿の面々が集まりだした。千晶に至ってはリハから聞いていたようで、既に座机につまみと日本酒を広げてすっかりできあがっている。
「どうぞどうぞ、リラックスして聴いてください」
 小春が演壇から降りて座布団を広げる。
「いいよいいよ。こっちでやるから」
 依緒は座布団を受け取ると手早く観客席に皆を案内した。

 小春たちは自分たちで作った『だれとく』ロゴ入りのオリジナルTシャツ姿、美穂子がコンタクトなのはいつものステージどおりだ。
 小春が演壇に戻ると孝宏がポテチの袋を開け、小机の上の皿に広げ始めた。かずさが期待に満ちた声を上げる。
「お! 『やけぐいポテトチップ』か。ポテチ食べるパフォーマンスまでやるんだ」
「え? なになに? ポテチで何かするの?」
 『やけぐいポテトチップ』を聞いたことのない雪菜や春希が不思議がる中、千晶が笑いをこらえながら先を促す。
「まあまあ、仕掛けをご覧じろ、ってやつよ。はやくして〜」

 それに応じ、小春がマイクの前に立って口上を始めた。
「は〜い。では。
 みなさん、こんばんわ。『だれとく』です。
 全員付属上がりの峰城大3年生。
 作詞作曲を担当しているのはキーボードの美穂子ちゃん。
 強気な演奏で皆を引っ張るベース兼ヴォーカルの早百合ちゃん。
 がんばるセカンドギターの亜子ちゃん。
 頼れるドラムの孝宏くん。
 そして、私、ギター兼ヴォーカルの小春の5人で〜す」

 小春のメンバー紹介に虚を突かれた孝宏が呟く。
『メンバー紹介で名前呼びされるなんて初めてだな』

 小春はそのまま曲の紹介に入る。
「これからやる『やけぐいポテトチップ』は昨年の峰城祭で大好評だった曲で、まあ、楽しいというか笑える歌です。とりあえず見て聞いてください。
 世界的ピアニストのかずささんにはお耳汚し大変申し訳ございませんが、わたしたち楽しんでやってますんで、皆さんにも楽しんでいただけたらと思います。
 それでは…」
 小春が小机のポテチを一枚手に取るのと同時に、『だれとく』各自がポテチをそれぞれ一枚取る。

 ぱりっ

 皆がポテチをかじるのと同時に孝宏の脇の電子ドラムから奏でられたポテチをかじる合成音で曲は始まった。

♪ あ〜あ 今日ふられちゃいました
  こてんぱんに大敗北です
  相手にもされませんでした

  こんな日は
  ぱりっぼりっ
  ばりばりぼり ぼりぼり
  やけぐいやけぐいやけぐいポテトチップ ♪

 軽快な明るい曲に乗って小春と早百合のヴォーカルが響くと、観客の皆もノッてきた。
 曲のあちこちで演奏者がポテチをかじる度に「ぱりっ」というパーカッション音がして観客の笑いを誘う。

 そして、間奏でのパフォーマンスが始まった

 ぽんっ

 小春がブリングルスのふたを飛ばし、中のポテチを口に入れると筒ごと美穂子に放り投げる。
 美穂子がそれを受け取り、自分の分を取ると孝宏に放り投げる。
 この際、孝宏は片手で演奏、片手で受け取らなけばならない。この曲の難所(?)である。

 ぱしっ
 孝宏は上手く受け取った。が、感触がおかしい。
 残りポテチを口に放り込んだが2、3枚しかない。元々、間奏中に3人で平らげられるよう枚数抜きしているがそれでも少ない。
『去年は取り損ねで自分が大変な目にあったし、小春が用心して多めに抜いたのかな?』
 確かめる暇はない。孝宏はポテチの筒をスティックで叩き潰して脇に叩き飛ばした。

 曲の後半が始まり、まもなくして孝宏は異変に気づいた。
 観客の一部が笑いをこらえ、一部は驚きハラハラとした表情になっている。その視線の先は…
『矢田が取り過ぎたんだ!』と孝宏は気づいたがどうしようもない。
 美穂子は喉を詰まらせつつ懸命に曲の後半を弾く。
 ミスをしないのが不思議なくらいの苦悶の表情だ。

♪ やけぐいやけぐいやけぐいポテトチップ ♪
 曲のラストで依緒が『ひっ!』と短い悲鳴をあげた。
 美穂子がラストのポテトチップを口に含む
 『もう無理だっ。やめろっ!』
 観客と孝宏は心の中で叫んだ。

 ぱりっ

 締めのパーカッション音とともに美穂子は椅子から崩れ落ちた。




「いやはや。あそこまで去年の学祭再現するとは思わなかったよ。すごいじゃん!」
 千晶の激賞にようやく人心地ついた美穂子は答える。
「ごほ…ふう…ワザとなわけないじゃないですか! すごく苦しかったんですから!」
 かずさが神妙な顔で感心している。
「倒れるまで演奏を止めないその精神は見習わないとな」
 『プロが何言ってるんだか…』皆、心の中でツッコんだ。

 演奏が終わるや水コップを持って真っ先に美穂子に駆け寄っていた春希が心配そうに言う。
「矢田さん…。無理はやめようよ。途中でやめても良かったじゃないか」
 美穂子はそれに対してキッパリと返す。
「学祭の大舞台だろうが、余興だろうがステージはステージです。途中で止めるなんてあり得ません。次の曲いきますから」
 かずさがうんうんとうなづく。

 仕切り直して再び小春の曲紹介からステージは再開する。
「いやあ、ちょっとハプニングありましたけど、次の曲です。
 といっても、これが最後の曲ですが、なんと新曲です! できたてホヤホヤです!
 この曲は『お祝い』のために作りました。おやおや、ちょうど婚約したての方がいますね。おめでとうございます!」
 ひゅ〜、ぱちぱちぱちぱち…
 照れる雪菜と春希に囃す周りの皆。小春は続ける。
「え〜。わたしたち『だれとく』が結成して、ちょうど2年とひと月ちょいになりますね。
 わたしたちのバンド、最近は『やけぐいポテトチップ』のような騒がしい曲中心にやってますが、最初はゆっくりとしたバラードっぽい曲ばかりでした。
 ま、ぶっちゃけ演奏ヘタでアップテンポの曲ができなかったんですが」
 観客から笑いが漏れる。
「今日は初心に帰って、スローでムーディーにいきたいと思います。
 それでは『おめでとうをつたえたくて』いきます」

 ゆったりとしたメロディが始まり、小春の歌声がなびくように紡ぎだされた。

♪ 迷い苦しんでたこと わたしは知っていたよ
  いつまでもいつまでも そばで見ててあげたかったけど
  やっとたどり着いたんだね あなたの歩む道へと

  心から 心から
  いまふたりを祝福してあげたい おめでとう
  ちょっと くやしいけど ♪

 声量は足りていない。メロディーは単調。つたないがしかし真剣さを感じさせる歌に、皆心打たれた。
 雪菜は気づいた。他にも何人か気づいたようだ。これは祝福の歌と同時に失恋の歌でもあった。
 悲しみをこらえつつ笑顔で祝福のメッセージを綴る健気さが、何でもない祝福ソングに優しい輝きを添えていた。皆、固唾を飲んで見守った。

 美穂子が演奏中、一筋落涙したのには観客全員が気づいた。
 しかし、小春が目の端に涙を一粒だけ浮かべていたのに気づいたのは武也だけであったろう。

♪ あなたの明日 あなたの未来
  照る日もあれば 降る日もあるでしょう
  でもあなたは きっと大丈夫
  わたしは明日も あなたの未来に
  幸多かれと 祈っているでしょう
  それじゃ サヨナラ ♪

 しばらくの曲の余韻の後に惜しげ無い拍手がステージに向けられた。
 春希と雪菜が口々にほめる。
「すごいな。プロみたいだ」
「カッコいいね! なんか押し出しがいいって言うか、5人が一つにまとまっているね」

 武也や依緒も手放しで絶賛した。
「いや、俺たちの付属の時のステージとは完成度も熱量も違うわ。なにより『いい味だしてる』カンジがある。そこいらの仲良しバンドとは段違いだな」
「やっぱり、ろくでもない部長の同好会バンドとはちがうね」
「うるさい」

 かずさは皆の感想を聞いて、しばらく小難しい顔になっていた。
 皆の賞賛に照れていた小春もそれに気づき、我に帰ると恐る恐る聞いた。
「あの…かずささん楽しんでいただけました?」

 かずさは表情を緩めて答えた。
「ふん、どこぞの耳のない物書きは『プロみたい』などと言っていたが、プロでは無い良さがあるな。
 いいよ。素晴らしい。楽しませてもらった」
「よかったです! どうも」
 小春はかずさに誉められ顔を明るくした。

 しばし思案顔だったかずさであったが、やおら立ち上がって言った。
「よし、やるぞ。負けてられない」
 虚を突かれた春希が聞く。
「やるって何を?」
「いや、春希たちの結婚式。ピアノ弾いてやる予定だが、バンドもやろう」
「え? それって」
 呆気にとられている春希と雪菜に、かずさはニヤリとして言う。
「そう、軽音楽同好会再結成だ」
「ええっ〜!」
「今の『だれとく』に負けないよう盛大に祝ってやろう。どうだ、部長?」
「お、おお! 願ってもないさ!」
「雪菜、春希はどうだ?」
「い、いいのか?」
「すごいよ! かずさ! 楽しそう! …でも、本当にいいの?」
「もちろんさ!」
 かずさは今の演奏に闘志をかき立てられたようだ。
 いきいきとした輝きが目に満ち、表情に花が咲いたようだった。
 そんなかずさを見て、雪菜、春希、そして武也は「やってやるぞ」と心の中の見えない契約書にサインした。




 武也とかずさは作戦会議を続けていた。
「式の余興としては私のピアノ一曲、同好会バンド一曲というところか」
「そうだな、しかし問題は…」
 武也は会場の隅の春希に視線をチラリと移す。

「ほら! ちがう! 何やってるんですか! 先輩!」
「ちょ、ちょっと…まだ指が慣れてなくて…」
「ホントに先輩、昔『Sound of Destiny』のソロとか弾いたんですか? 腕落ちるにもほどがありますよ。『時の魔法』とかたった半年前ですよね?」
「うるさいよ…すぐ慣れるさ…」
 小春にしごかれる春希にかずさと武也は溜め息をつく。
「部長がベースもできる、ってのは嬉しい誤算だったんだがな…」
「主役があれじゃな…お〜い春希、こっちは弦4本だし、こっちにするか?」
 早百合から借りたベースを掲げてからかう武也を睨み返して春希はつぶやく。
「うるさい…もう少し…」

「春希く〜ん。早くしないとシャンパンぬるくなっちゃうよ」
「北原さ〜ん。はやくこれ飲ませてよ」
 雪菜と孝宏がシャンパンの入った保冷バッグを手に春希を煽る。

 「峰城大付属軽音楽同好会」は今日、再結成と共に新たなメンバー、ドラムの小木曽孝宏を迎える事となった。『だれとく』とのかけもちにはメンバー一同から快諾を得られた。
 再結成&新メンバー歓迎の乾杯の前に「ちょっと各自鳴らしてみよう」とかずさが言い出したことから今の事態に陥っている。

 千晶や美穂子らもニヤニヤしながら春希のギターを生暖かく見守っている。かずさは溜め息混じりに言う。
「はあ、せっかく教え込んだのにこの体たらく…なんて教えがいのない弟子…」
 小春がそれを聞いて春希を庇う。
「あの…式までの3ヶ月でなんとかしますので先輩を見捨てないであげてください」
「はいはい。春希もういいぞ。あとは式までに何とかしよう」

「グラス借りてきたよ〜」
 そこへちょうど依緒が人数分のグラスを持って現れた。
「よし、じゃあやるか」
 ぽんっ
 かずさの手でシャンパンの栓が開けられ、皆のグラスに注がれた。
「すごいなぁ。ホンモノのドンペリだよ。大ラッキー♪」
「こんなめでたい場に居合わせられて光栄です!」
 千晶や小春たちもおこぼれに預かり上機嫌だ。
「それでは、同好会の再結成と新メンバーの加入を祝って」
 かずさの乾杯の指揮でグラスが輝いた音を鳴らした。




 宴会場を片付けて部屋に戻った小春たちのもとに雪菜が訪ねてきた。
「あれ? 雪菜さん? どうしたんですか? 部屋で飲み直しじゃなかったんですか?」
「いや、ちょっとかずさが部屋にいなくて探してるんだけど…」
「美穂子。かずささん知らない?」
「こっちには来てないです」

「もう…かずさどこ行っちゃったんだろう…」
 雪菜はちょっと困り顔だった。
「お風呂とかは探されました?」
「ううん、まだ。ちょっと探してみるね。おじゃましてごめんね」

 そう言って行こうとした雪菜だったが、ふと足を止め、小春と美穂子に振り返った。
「どうかしました? 雪菜さん?」
「あ、あのね。今日の『おめでとうをつたえたくて』の歌詞なんだけど、歌詞を『こう変えたらいいな』と思うところがあってね…」

 それを聞いて、美穂子が真っ直ぐに雪菜の目を見る。彼女のプライドに若干さわったらしい。表情がやや真剣だ。
「どこですか? 雪菜さん」
 雪菜は遠慮がちな笑顔を返して答えた。
「ちょっと、一ヶ所だけなんだけど、差し出がましくてゴメンね。
 最後のフレーズだけど、『それじゃ サヨナラ』より『それじゃ またね』のほうがいいかな、って思ったの」

「!」「!」
 小春と美穂子は雪菜の意を解したようだ。同時に、雪菜が今日の新曲の意をわかってくれていたことも。
「ありがとうございます、雪菜さん。…それでは、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね。それじゃあ、またね」
 ふたりに見送られ、雪菜は小春らの部屋を後にした。

「小春〜。もうひとっ風呂早く行こうよ〜」
 部屋の奥から早百合が小春らを促した。
「あれ? そういえば、亜子ちゃんどうしたの?」
「そういえば、さっきアコ持って出てったけど…」
 部屋の隅に空になった亜子のギターケースがあった。



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