雪菜Trueアフター「月への恋」第三十二話「夏と海とバンドと(5)」



 ご〜
 ぱちぱちぱち…

 孝宏の手にしたガスバーナーの炎により、網の上の赤味噌が塗られたおにぎりにほどよい焼き色がつく。
 サロンの方から千晶が中華鍋をカンカンと叩いて掲げて言う。
「海鮮焼きそば完売したよ〜。あと、シュラスコもうなくなったよ〜」
「いいペースっスねえ。今別の料理ができるから待っててくださ〜い…杉浦。アヒージョできてるから向こうに一つ持っていって。矢田はカルビをもっとガンガン焼いて。向こうで食う分もあるから」
「了解〜」「らじゃ〜」

 小春が孝宏の指示通り、エビのガーリックオイル煮の入った100スキをサロンに運ぶと歓声が上がる。
「うまそうだな! 早速いただくぞ…うわ、美味しい!」
「冬馬さんにお喜びいただけて光栄ですね。シュラスコもう一本焼きます? それとも、次スペアリブいきます?」
「! スペアリブあるのか!? それそれ! 早く焼いて!」
「オーダー入りました〜。小木曽、こっちでスペアリブ焼くね」
「了解〜。こっちは焼き味噌握りあがったよ。いつでも持ってって。ふう」
 と、孝宏が一息ついたところで亜子がウーロン茶を、美穂子がカルビの乗った皿を孝宏に出す。
「ほら。シェフも食べて食べて」
「さんきゅ〜。…はふ。あ〜、うめ〜」

「皆さんも飲み物いいですか〜?」
「こっちこっち〜。次はカクテル〜。何がある?」
 千晶に聞かれた亜子がクーラーボックスを覗く。
「スクリュードライバーに、ジントニックに、モスコミュール、マンハッタン、カシスソーダにモヒート、サイドカー、あとは…」
「モヒート! 海の男はラムを呑まなきゃね〜」
 千晶の注文に亜子は嬉々としてカクテル缶を開けた。

「向こうはそろそろ肉切れみたい。スペアリブ取りあえず向こう持ってくね」
「ほいほい。こちらはチキンがもう少しかかるな。エノキバターの方はもういける」
「了解。肉系が薄くなりそうだからシュラスコの残りも投入して 」
「あいよ〜。あれ時間かかるからな…」
 小春と孝宏のグッディーズコンビがフル回転で11人の胃袋を満たす。
 やがて焼きあがってきたスペアリブをぱくつき、千晶は上機嫌で言った。
「…むう。くは、うめぇ〜! さいこ〜! 宏子ちゃん、いい嫁さんになるわ」
「…園田、和泉さんのドリンクに毒盛って」
 孝宏のジョークに亜子は応じる。
「はい。和泉さん、そのモヒートにサイドカーとスクリュードライバーちゃんぽんしてみません?」
「…何その危険そうなカクテル。いいわよ。挑戦に乗ってやろうじゃないの」
 かずさは『やめとけ、千晶』と言いかけたが、スペアリブをかじるのに忙しく声にならなかった。




「そろそろデザートいかがッスか? 焼きマシュマロ、焼きバナナ、あと、クラッシュゼリーのソーダ割りとありますが」
「お、じゃあ焼きバナナいただけるかな?」
「いいね。それ全部」
「うぷ…ソーダ水だけちょうだい…」
 しばらくして全員がゆるゆるとデザートに移行する中、千晶だけが酔いつぶれる寸前であった。亜子の必殺ドリンクが効いたのだろう。

 マシュマロが焼きあがるころ、武也が叫んだ。
「あ、染まってきたぞ…」
 見ると、岬の黄色味を帯びた岩肌が夕日をあびて黄金色に染まりつつある。
「黄金でできた城みたいだな」
 春希の感想に雪菜がうなづく。
「ほんと、きれいだね…」
 かずさはそんな2人をチラリと見つつ、焼きマシュマロをクラッシュゼリーで流し込んだ。
 
 焼きバナナが生クリームとともに紙皿に盛り付けられると、バーベキューセットは用済みとなり撤収が始まった。
 孝宏が砂の詰まった缶の中に炭を放り込んで手早く始末するとセットを畳んでデッキのスペースを開けた。
 サロンの中の春希達は美しく染まりきった岬を鑑賞するために前後のデッキに出てくる。
「ほんと、ここは特等席だな。岬の上からではこれほど臨場感のある光景にはならないだろうな。
 この場所を見つけたのは杉浦かい?」
「はい! 地元の方に聞いたりして見つけました!」
 春希の好評を受けて小春が自慢げな明るい表情で答える。
 早百合はそんな2人を操縦席から苦々しい表情で見下ろしていた。

「ああ、風景はいいが外へ出るとちょっと暑いな…」
 かずさは焼きバナナを平らげると、グラスを片手にデッキを上がり操縦席の後ろまできて早百合に話しかけた。
「やあ、ここは涼しくていいな。入っていいかい?」
「どうぞどうぞ」
 早百合の薦めに応じてかずさは副操縦手席に入る。
「いや、涼しいだけじゃなく、高い位置にある分眺めもいいな」
「船長はしっかり周りを見て、乗客の安全を確保しないといけませんから」
「お、頼もしいねえ」
「船の操縦も慣れると楽しいですよ、車の運転と違って」
「車の運転ねぇ…懐かしいな」
「何か懐かしい思い出でも?」
「ああ、免許を取った後、一度だけ車を運転したことがある…」
 かずさはそう言って、訥々と昔話を始めた。

「卒業を間近に控えたクリスマスだったな。春希と雪菜とで旅行に行ったことがあった。
 名目は『軽音同好会の第0回同好会』。でも、実質は春希と雪菜との旅行にわたしも付いていったみたいなものだった」
「男1人に女2人ですか…」
 早百合はやや訝しげな表情になった。かずさは早百合の疑念に答える。
「その時のわたしたちは『仲良し3人』でやってられたんだな。いや、薄々はいつまでもそんな関係でいられないとはそれぞれ気づいていたけれど…」
 かずさは次第に能弁になっていき、早百合は黙って聞きに回った。
「すでにカップルだった2人の前でわたしはいいカッコしたかった。 夏休みに取った運転免許で家にあった外車転がして待ち合わせ場所に乗り付けてやった。
 はしゃぐ雪菜にうろたえる春希の顔が最高だったよ」
「………」

「春希のろくでもないナビと、雪菜の無責任な口出しにドタバタしながら山奥の温泉宿にようやく着いた頃には日が暮れてたな…」
「…それは大変でしたね」
「ああ、でもそんなドタバタが楽しかった…温泉も良かった…
 不思議だな。その時は楽しいなんて全然思わなかった旅行だったのに、今となってはそんな悲しい気持ちが思い出せないな。
 ただ、懐かしさしか感じない。不思議だ…」
「?…悲しかったんですか?」
「ああ、一番の親友と惚れた男のいちゃつくところなんて見せられて悲しくならないわけがないだろう…あ、これはみんなには内緒な」
「…っ! あ、はい…」
「ああ、旅行自体は楽しかったから、余計に悲しくなったのかな?
 帰り、2人を降ろしてから家に着いた時、大泣きしちゃったよ。
 『どんなに楽しくても、わたしは一生雪菜の位置、春希の彼女の位置には座れないんだ』ってね。
 それ以来、ハンドルを握ったことはない」
「………」

 早百合は言い知れない不安を感じてしまい、小春を探した。
 操縦席からは見えない位置だった。早百合はフライングブリッジの後端に移動し、後部デッキで亜子と一緒にいる小春を見つけて話しかけた。
「あ、小春。そこにいたんだ」
「どしたの? なんかあったの?」
「いや…何も…そうだ、かずささんがいるから何か飲み物を。
 わたしはコーラ。…かずささんは何飲みます?」
「ん〜、ビールは飽きたな。何でもいいからカクテルを」
「了解〜。小春、かずささんに何かカクテルひとつ〜」
「は〜い。…亜子、何がある?」
「かずささんにはクーニャンがオススメですね」
「じゃ、それで。…はい、早百合」
「ありがとう」
 かずさもグラスを置いてフライングブリッジの後ろに来てカクテルを受け取った。

 缶クーニャンを傾けつつ、かずさは言った。
「いいよな。友達って…」
「そうですね…」
「いつまでも友達でいられたら…」
 そう言いかけたかずさの眼下では雪菜が春希と腕を組んで黄金色の崖を眺めている。
「いつまでも友達でいられたら…いいよな…」
「………」

 かずさはクーニャンを飲み干すと、春希が前デッキに移動したのを見計らい、フライングブリッジを降りて雪菜に話しかけた。
「ああ、雪菜…やっぱりブリッジから出ると暑いな」
「そうだね、陽は陰ってきたけど、まだまだ暑いね…あ、こっちから水に浸かれるよ」
 雪菜はそう言うと、デッキ後端のトランサムステップに降り、腰掛けて脚を水に漬けた。
「わ〜。気持ちいい〜」
「いいな、わたしも」
 ちゃぷり
 波が4本の細い脚を洗った。

 狭いステップで肩を寄せ合い、2人は話しあう。
「ほんと、良い景色…ロマンチックだね、かずさ」
「そうだな。ついでに隣にいるのが恋人だったらもっとロマンチックだったんだがな」
 かずさの冗談を雪菜は重く受け止めた。
「ごめん、かずさ」
「何謝ってんだよ。やめろって。
 雪菜が春希と旅行したりいちゃついたりケンカしたりと充実した月日積み重ねて青春時代送っている間、こっちは5年間ウィーンでジジイと2人きりでピアノ漬けの寂しい青春時代。今さら何をだよ。
 あ〜あ。わたしも彼氏が欲しいな〜」
 かずさは精いっぱいおどけてみせたが、雪菜にはそんな虚勢は意味がなかった。
「ほんとにごめん…」
「謝るなって。こちらは先月からずっと春希借りて全国津々浦々温泉旅行楽しませてもらってるんだから。あ、もう返さなくていいかい?」
「もう! 何言ってるのよ!」
 やっと雪菜に勢いが戻った。かずさも笑いをこぼす。
 早百合はそんな雪菜たちをじっと眺めていた。

 一方、『だれとく』の皆は後片付けに追われていた。
「グラスひとつ見つかった?」
「サロンには無かったよ」
「誰か持ってる?」
 美穂子がフライングブリッジを登って確かめる。すぐに操縦席にかずさが置き忘れたグラスを発見した。
「もう、早百合ったら! みんなそこのグラス探してたのに!」
「あ、そうだったの? ごめん」
 美穂子はぷりぷりしつつ操縦席に乗り出し、グラスをつまみあげた。

 その時だった。
 美穂子は手を滑らせてグラスを落としそうになった。
 慌てた美穂子がとっさにつかんだのは、これもかずさが置き忘れたタオルだった。
 そのタオルはよりによってスロットルレバーに引っ掛けられていた。

 ごうぅん…
 たちまち前進するムタラース号に乗客は慌てた。
「わたたっ!」
「な、何?」

 じゃぼ
 じゃぼん
 船の後尾で水音が2つした。
 トランサムステップにはもう誰もいなかった。


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