雪菜Trueアフター「月への恋」第十九話「夏ツアー開始(2)」

同日夜 福島市郊外の温泉宿


 春希はインタビューの起こしと職場への報告を終え、風呂を楽しんでいた。
 総務から渡されたホテル券は福島市の奥座敷にある静かな温泉宿のもので、市街からは少し遠いが温泉を楽しめるいい宿だった。
 ビジネスホテルでなくこんな旅館が割り当てられたことは不思議極まりなかったが、春希は特に気にすることなく役得と楽しんでいた。

 問題に気づいたのは大浴場から部屋に戻ったときだった。
 隣りの部屋に入るルームサービスのワゴンとすれ違った。フードが透明だったので中身が見えたが、おかしなワゴンだった。
 パンケーキにクレープシュゼット、ケーキにパフェと甘いものばかり乗っているのに、飲み物のカップは一つしかない。そして角砂糖の容器が2つあった。

 部屋に戻って考えたが、一つの警戒すべき可能性が頭をよぎった。
 春希はその仮説を検証すべく、携帯からフロントに電話をかけた。
「はい、フロントです」
「207号室のかずささんに伝言あるのですが」
「はい、冬馬かずささまにご伝言ですね。そちらさまのお名前を頂戴できますか?」
「…やはりか…」
「はい?」
「いえ。開桜社の北原春希です。それでは『コンサート開始前に控え室におじゃまします』とチェックアウト時にお伝えください」
「了解しました。私、花園が承りました」

 やはり、隣室の客はかずさだ。しかし、なぜだ? このホテルを取ったのは開桜社の総務だ。さすがに曜子も他社の部署にそんな妙な細工ができるわけがないはず。
 かずさが訪ねてこないところをみると、かずさにはこの小細工は知らされていないようではあるが…

 春希はこの手の話に詳しそうな、旅行代理店勤務の知人に携帯で聞いてみることにした。

「雨宮さん、お久しぶりです。ごぶさたしてます」
「な〜に? 北原君。麻理の事で何か用?」
「いえ、麻理さんとは無関係なんですが、ちょっとお知恵拝借したいことがありまして」
「何?」
「ちょっと同僚が奇妙な事に巻き込まれまして…」
 春希は事情を一部隠して「同僚の記者とある業界関係者」の話として事情を説明した。

「ふむふむ、手口はこうね…まず、宿泊予約を取る際に支配人に直接連絡して、続き部屋で別々の『予約・支払済の宿泊券』を要求するの。
 本来はホテル従業員からも名を隠して予約するための手段。これなら支配人以外には匿名で予約できる。ま、チェックインは別だけど」
「ふむふむ…で、うちの経理にどうやってその片方の券をねじ込むんです?」
「簡単。『うちの事務所は予定していた付き人が行けなくなり、券を無駄にして損失出しそう。独占取材の見返りにこの券安く買ってくれ。どうせ、記者が使うでしょ』もちろん、当の本人が同じホテル、続き部屋なんてことは伏せておいてね」

「う〜ん。でも、それだとなんでうちの経理からその経緯聞けなかったか不思議ですが」
「『本人の宿泊場所までは独占取材の記者にも秘密にしたいから、記者にもこの券の経緯は伏せてくれ』
 付き人の券なら同じか近隣ホテルに本人が宿泊とばれるからね」
「了解…まんまと嵌められたわけですね、その記者は」
「『その記者は』じゃなく、あんたでしょ。バレバレよ、北原君」
「…っ!」

「麻理通じてあなたの近況上がっているんだから。
 冬馬かずさを発奮させるためにかずさの旧友でもある雪菜ちゃんと一仕事したんだって? あの増刊号」
「は、はい…」
「で、隣りにいるのは冬馬曜子? 冬馬かずさ?」
「…かずさです…」
 観念して春希が答えると、佐和子はため息をついて言った。
「何、そのコロンビーナ文庫みたいな展開は? まだあの社長に愛人関係迫られている展開の方が現実味があるわよ」

「う…。いえその…」
「まぁ、次泊地からは前もって別部屋あてがって貰うようにホテルに事前連絡ね。チェックイン直後だったら、匂いだの日差しだの騒音だの冷蔵庫の効きだの、何かに難癖つけて部屋変えてもらうこともできただろうけど…」
「いえ、今日のところはおとなしくしときます」
「まだマシじゃん。宿泊人数不問で部屋押さえさせて、その宿泊券あなたに掴ませといてから本人様は『予約した冬馬曜子の娘です。支配人はご存知だと思いますが』ってやれば同部屋に宿泊組ませる事も可能よ」
「…まぁ、冬馬曜子社長もそこまでシャレにならないことはしないでしょう」
 さすがにそこまでやれば問題だ。「続き部屋だったことは忘れてた」という言い訳立つ程度の、あくまで社会通念の範囲で揺さぶりをかけているだけだろう。

「わたしの考える最善策は、残り少ない独身時代の末節を彩り、男としての幅を広げるべく敢えて火遊びに興じてみることだけど」
「次善策で結構です。いろいろとお知恵お貸しいただきありがとうございました」

 冷静な声で通話を終えた春希に、佐和子は苦笑しながらひとりごちた。
「あ〜あ。おカタいんだ。麻理かわいそ。かわいそうだし、こんな面白い話教えておいてあげないとね〜♪」
 そういうと佐和子は海外に赴任中の友人のアドレスにメールを書き始めた。

 春希の方は、とりあえず次泊地の部屋の振り替えをお願いすべく仙台のホテルに電話をかけた。
 その時、部屋の呼び鈴が鳴った。

 春希は一つミスをしていた。隣室のかずさの聴力を考えれば室内で電話などすべきでなかった。

「その声、春希か?」
 部屋の外からかずさの声がした。

 春希は自分のミスに気づいたが、居留守を使うわけにもいかない。仕方なく応対する。
「やっぱりかずさか? …今開けるよ」

 解錠してドアを開けると、一瞬かずさの笑顔が見えた。
 しかし、かずさは素早く浴衣の前で手を組むといつもの不機嫌な表情を作る。
「どうしてお前が隣部屋なんだ? 開桜グラフはわたしを四六時中監視しているのか?」
「違う違う。かずさ。え〜っと」

 春希は考えた。かずさが知らないところを見ると明らかに曜子の単独犯だが、それを娘の前であげつらうのも気が退ける。
「恐らく、冬馬曜子オフィスが最初隣室押さえてたんじゃないか?
 その宿泊券を使わないからって、うちに回したんだろう。
 俺も宿泊券の経緯教えてもらってなかったし、かずさが隣室かもって気づいたのついさっきだよ」

 かずさはちょっと眉をひそめた。
「そうか…実は母さん直前になってやっぱり検査での数値が思わしくないからって、同行取りやめてたんだ…」

 春希はそう語るかずさの顔が少し赤いのに気づいた。
「おい、かずさ。顔が少し赤くないか? どうした?」
「ん〜。少しのぼせたかもしれないな」
「おいおい。自分の部屋で少し横になって休めよ」
「ああ。何か頭を冷やすものないか?」

 春希が何か言い返しかけたその時、春希の携帯が鳴った。さっき部屋の取り替えを要望した仙台のホテルからだ。
 春希が気まずそうにしていると、かずさは口を出した。
「ああ、電話を先に済ませろよ。冷やすものは…無ければ来なくていい」
 そう言ってかずさは自室に向かった。

 春希が携帯をとると、仙台のホテルから伝えられた。
「洋室になりますが空き部屋ありました。いかがなさいますか?」
 春希は考えた。
 大事なツアーに同行しないところを見ると、ひょっとしたら曜子は本当に体調不良なのかもしれないし、自分がいざという時役立ってくれる事を期待しているのかもしれない。
 それに、既にかずさには自分がツアー中の隣室を押さえていることを知られてしまった。わざわざ部屋を移動したことを知られればどう思われるだろうか。
 春希はしばし悩んだ末、部屋の移動を断った。



かずさの客室


 かずさは自室のベッドでうつ伏せになり、出発前の母親との会話を思い出していた。

『かずさ。いいニュースと悪いニュースがあるわ』
『またか…悪いニュースからどうぞ』
『これ、わたしのこないだの検査の結果。LDH高すぎ。やっぱりツアー同行は諦めるわ。幸いあなたの仕上がりはあまり悪くないし』
『まあ、前日には先生に見てもらえるし、美代子さんもいるから…ゆっくり休めよ』

『ありがと。じゃあいいニュース。あのギター君、あなたにまだ気があるわよ』
『…っ! だからどうだっていうんだ!? あいつは雪菜と』
『百も承知。でも、かわいそうな女の子に、アナタはまだ舞台の上にいますよ、たとえギター君が雪菜ちゃんと結婚しても、あなたは舞台から消えていなくなるわけじゃあありませんよ、て言っときたくてね』
『…だったら、どうしろというんだよ』
『さあ? わたしにもわからない。だってわたし、あなたよりずっとつまらない恋愛してたもの。一番好きな人だったのに、恋敵が現れて、その恋敵がなにもかも犠牲にして全力であの人に向かっていっただけで、自分から身を退いちゃった』
『…それがわたしの父親かよ』
『そう。お腹のあなたの話をすれば確実に奪い返せるなんてわかってたのに、逆に自分からはねのけて逃げて、二十余年経った今でも大後悔。彼はあなたが別の男の子だと思ってる』
『なんだよその月9ドラマみたいな話』

『あなたが同じように恋敵に破れるのを見てね、最初はそれでいいか、なんて思っていたけど、もう、くやしくてくやしくて堪らなくなって…冬馬曜子の血の敗北? これが運命? なんて受け入れられなくて』
『自分の恋愛がマトモにできてない奴が他人の恋愛に首突っ込むな』
『何言ってるの。自分の恋愛がうまくいってないからこそ他人の恋愛に首突っ込むんじゃない』

『…こないだのようなむちゃくちゃな干渉は止しとくれ。雪菜に顔向けできなくなる』
『ええ、私も常識外のコトをするつもりはないわ。でも、ツアー間の取材はギター君にお願いした』
『…っ! 何で!?』
『あなたはまだ全然メディアの前での対応ができてない。わたしが同行しない以上、信頼できない記者には会わせられない。これ、常識の範疇』
『…まったく』

『今一瞬嬉しそうな顔したくせに。最初からそういう素直な態度取ってれば今頃はあなたの方が勝ってたのにね』
『なっ…!』
『あと、最後にアドバイス』
『何だよ?』
『ギター君は常識の線引きをして自分の感情を抑えるタイプ。でも、言い訳ができるとそこから崩れる。例えば、あなたを助けるという名目ができれば、きっと雪菜ちゃん置いてあなたのトコに来るわよ』
『…汚い汚いオトナのアドバイスありがと…この親バカ。もう干渉すんな』
『そうね。バカな母親のお節介はここまで…ツアー頑張ってね』
『ああ、もちろんさ』

 かずさは回想を終えると、のろのろと携帯を手にして雪菜に電話をかけた。
「もしもし、雪菜…」
「かずさ? どうだった?」
「うん、やっぱり春希だった。…なんだか来られなくなった母さんの部屋が開桜社に流れてたみたい。ツアー間の分全部」
「ええ〜っ!? じゃあ、16都市で春希君と温泉旅行満喫!? なにその役得満載ツアー!?」
「ごめん。雪菜、その…」

 かずさが申し訳なさそうな声を漏らすのを聞き、雪菜は慌てて言葉を足した。
「いいよ。仕事なんだし。コンサート、明日から頑張ってね」
「ああ、頑張るよ」
「春希君がそばにいると、励みになる?」
「せ、雪菜ぁ…」
 情けない声をあげるかずさに、雪菜はいたずらっぽく言った。
「でも、春希君はできるだけ鑑賞用でお願いしま〜す」
「お、おい。変な事言うなよ…」
「それじゃ、明日の為にゆっくり休んでね」
「あ、ああ…」

 電話を切ってから、雪菜は自己嫌悪に陥ってた。
「やだな。わたし。『できるだけ』鑑賞用で、なんて余裕ある女のフリして釘さしちゃって…」

 しかし、かずさの自己嫌悪の方が深刻だった。
「ごめん。雪菜。もう『冷やすものあったら持ってきて』って、頼んじゃった」
 そんな言い方をすれば、春希は絶対来るとわかってて
「わたし、汚いな…」

 しかし、「隣の部屋から春希の声が聞こえる。幻聴かも」なんて悩んで長湯した結果、本格的にのぼせてしまっていた。
 一方、今日になってアンコール曲を一つ増やすという無理をしたのが祟って、腕がまだガチガチに凝ってる。もう、少しも動きたくなかった。

 うつ伏せのまま待ってると、呼び鈴が鳴った。



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