雪菜Trueアフター「月への恋」第十二話「小春の恩返し」

少し時間をさかのぼり、4/10(木)開桜社ブライダル誌『フィオリーレ』編集部


「峰城大文学部3年杉浦小春です。本日よりこちらでアルバイトさせていただく事になりました。よろしくお願いします」
 この実直な少女が開桜社のブライダル誌『フィオリーレ』のバイトとして採用されたのはごく自然な事であった。
 トラベルライターを目指す小春としてもブライダル誌の編集部でのバイトは貴重な経験と思われた。ホテル、レストラン、海外ウェディングにハネムーンといったように、旅行業界とブライダル業界は業務の共通点が多い。

「外国語は…『業務に使用可』英語TOEIC720、『簡単な会話程度』フランス語、イタリア語に…トルコ語?」
「去年、留学生の友人ができまして。色々力添えをしてあげているうちに覚えちゃいました」
「…なるほど。優秀なだけじゃなく、情愛ある人物ですね。あなたは。聞いたとおりだわ。
 さすが、グラフ編集部の北原君のお墨付きねぇ」
「いえ。そんな、先輩には色々とお世話になりっぱなしで…」

 本当に先輩にはお世話になりっぱなしだ。絶対にこの借りは返さないと…

 小春の就職先相談を受けた際に、欠員のあった自社のブライダル誌でのバイトを薦めた春希にしても、この人選は双方良しと思えた。
 トラベルライターとしての足がかりとしてブライダル誌のバイトは打って付け。小春の語学力も生かせる。
 フィオリーレ編集部も優秀で実直なバイトを得られ良いことずくめ、と春希は考えていた。

 要するに春希は致命的な問題点を見過ごしていた。どうなるかはわかりきっていたはずなのだ。


6/2(月)午後八時


 ばたん!
 『開桜グラフ』編集部の入口ドアが開き、件のバイトが飛び込んでくる。
「先輩! これはいったいどういう事なんですか!?」
 春希がその剣幕に呆気にとられて答える。
「どういう事って、何が…」
「先輩、今日は何日ですか?」
「6月2日月曜日、仏滅」
「そうです…もう6月です。なのに、なのに…」

 小春は拳を握りしめ、紅潮して怒りを露わにして叫んだ。
「どうしてまだ式場も日取りもハネムーン先も決まってないんですかっ!」

「いや、ちょっと仕事が忙しくて」
「何言ってるんですか!
 …あ、時間いいですね? ちょっと机お借りします…
 いいですか? 年内って言ってましたよねぇ」
「…ああ」
「いいですか? もう一度説明しますよ。
 式場、日取りの決定は通常5〜6ヶ月前が目安です。しかし、あくまで目安。12月は年末、11月は結婚式のハイシーズンです。
 このとおり、もう各式場の予約は埋まりつつあります」
 小春の持ってきた式場予約状況表を見て、春希は若干動揺した。
「そうなの?」
「そうなのって…! くぅ〜! GW明けにもお伝えしたじゃありませんか! なのに、なのに…」

 小春は悔しさを露わにしながら続ける。
「雪菜さんから聞きました。まだ、式場の下見2ヶ所しか行っていないんですって?」
「ああ…そうだけど…」
「先週末は?」
「お互いに仕事が…」
「わかりました、まずは休日調整からですね。浜田さんは…ご不在でしたか」
「待て待て! 大丈夫! 今週末は!」
 ふた月目の新人バイトがいきなり社員の休日調整を始めるとは前代未聞である。

「あと、これはお聞きしづらいんですが…以前、雪菜さんがご興味示されていた海外挙式は?」
「興味示してたって…予算や日程的にも厳しいだろ?」
「あの…雪菜さんからちゃんと諦めるって、聞きました?」
「聞きましたかって…聞くまでもないだろ?」
「…そんな! いいですか? 女の子にとっては一生のコトなんですよ!」

 春希は頭を捻って言い訳を考え出した。
「…杉浦さん。雪菜とは、基本コンセプトの合意は出来ているんだ。
『豪華さはなくても友人、親戚を沢山呼べる式を』ってね。だから、大丈夫」
「そうですか…いえ、でもでも心配なんです。
 結婚式の事を一つ一つ決めているうちにすれ違いや、妥協の押し付けが積み重なって式までに冷え切ってしまう方って結構いますから…」
「………」

 小春の杞憂を断つべく、春希は話題の転換を図る。
「ああ、そうだ。ウェディングドレスはこないだ決まったよ。レンタルだけど、こだわり抜いた結果だからこっちは大丈夫。
 あとはお色直し後のカラードレスとか、白無垢とかの検討かな。そっちは式場の決定後で」
「良かったですね! …ただ、そっちが早く決まってしまうと、それはそれで問題が…」
「?」

「あの、体型とかが変わってしまって、用意したドレスが着られなくなってしまう方、結構いらっしゃるんです。
 購入したり、早めに決めた方に限って…」
「ああ、大丈夫じゃないか? 雪菜は体質的に太らない方だから」
「いえ、そちらの方も心配は心配ですが、より心配なのは…その、ちゃんと雪菜さんのお体のこと、気使ってあげていますか?」
「? ああ、働き過ぎには気をつけるように言っているよ。って、俺が言っても説得力ないかな」
「いえ、そういうことではなく、男としての責任の問題で…」
「それも話がついているよ。雪菜は仕事続けるって。
 2年目の新人同士だから収入に大差ないし、俺の給料だけでは心許ないのは仕方ないって…」
「違います。そちらの問題ではありません。そうではなく、夜の…」
「?? もう夜だけど?」

 気付かない春希に業を煮やした小春が遂に口にする。
「もう! 避妊の話です!」
「ばっ…!」
 慌てて周りを見回す春希。幸いにして編集部のメンバーの気は惹かなかったようだ。

「ちゃんとしているよ! そこまで人の家庭の問題に踏み込むんじゃない!」
 さすがに強い口調でたしなめる春希に小春も負けじとやり返す。
「先輩が何事にも後手後手踏んでいるからです!
 夫婦の危機となる可能性のある重大事態は先手を打って避けたいと思うじゃありませんか!」
「それがいらぬお節介だというんだ!」
「先輩が式の準備をつつがなく進めてくれないと、先輩の薦めでフィオリーレで働かせてもらっているわたしの評価に響くじゃないですか!」
「響くわけないだろ! そんなもの!」
「いいえ! 杉浦小春が先輩に恩返しもしない薄情者になります!」
「………」

 そう、こうなることはわかりきっていたはずなのだ。



 なお、編集部にはたまたま海外から電話がかかっていた。
「なあ、木崎」
「なんですか? 麻理さん」
「さっきから北原は誰と話しているんだ?」
「フィオリーレの新人バイトの子ですよ。北原君の後輩の大学生です。何か?」
「…あ、いや、別にいい…」

 開桜社アメリカ支局で麻理は1人寒心せざるを得なかった。
「…何なんだ? 婚約者がいながら後輩の女と避妊だの、男の責任だの、家庭の問題だの、夫婦の危機だのと言い合いして…北原…お前大丈夫なのか?…」

 いらないところで元上司の不安を煽ってしまう春希であった。


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