雪菜Trueアフター「月への恋」第二十三話「遠雷の予感(1)」

7/13(日)夜、御宿駅近くの喫茶店


「と、そういうわけで、孝宏のお友達も来ることになっちゃった…依緒、大丈夫?」
「こっちはOKだよ。雪菜。しかし、あの孝宏くんが女の子4人もねぇ…くくく」
 依緒は笑いをこらえる。

 そんな依緒に、雪菜はにこやかに笑いつつ言う。
「そのうちの1人、小春ちゃんって子は私や春希君も知り合いだし…依緒や武也くんも良く知ってる子でしょ? 学生時代『いろいろと』仲良しだったみたいだし」
「ははは…」

 どうやら2年半前のクリスマスイブの件に小春が少々絡んでいる件について、春希から部分的には聞いているようだ。依緒は笑ってごまかした。

「4人の宿泊はウチの保養所でいい? こっちは安いけどボロいし、ホテルじゃないからサービスも良くないよ。あと、飯も期待できないって言っておいて」

 宿泊予定の依緒の会社の保養所は言ってしまえば「リストラ対象」である。バブル期に雨後のタケノコのように建設された各社の保養所も、不況のために売却されていくものが多い。
 しかし、人事にとっては自社保養所の売却は痛い。保養所は通常、研修所も兼ねており、社員研修等で自社の研修所が使えるメリットは大きいのだ。

 そういうわけで、スポーツメーカーの人事部所属の依緒としては保養所の利用率を上げるべく草の根活動の一つとして、保養所を社員利用しての雪菜たちとの旅行を計画した。
 だから人数が増えるのは大歓迎だが、4人は峰城大生で1人はボート持ちと聞く。「お嬢様」である可能性を考慮してこちらの保養所の特性を伝え、選択は彼女らに委ねた。

「朋も誘ったんだけど…忙しいみたい。あと、かずさは春希君からの返事待ち」
「まあ、向こうはツアー中だし、うちらの安っぽい旅行には来てくれないかもね…」

 ツアーといっても土日の開催だが、練習や移動等含めるとそれなりに忙しいはず。
 それに、かずさは春希が好きだった。いや、今も忘れられていないはず。春希と雪菜が仲良くしているところなんて見たくないかもしれない。
 依緒はそう思って言葉を濁した。



同日。かずさのリサイタル終了後、新潟市郊外のホテルにて


 春希は背広姿のままかずさの部屋を訪れた。中では浴衣姿のかずさが夕食を前に待っていた。
 最初、かずさは一緒に部屋食をとらないかと誘ってきた。春希が断ると、代わりにインタビューは食事の時にと言われ、春希もそれでOKしていた。

 春希はボイスレコーダのスイッチを入れて言った。
「では、かずささん。今日のリサイタルの感想をお願いします」
 かずさは座卓の刺身を突っつきつつ、適当につぶやく。
「新潟って日本酒おいしいよな。仲居さんとかも気遣いこまやかでホッとしたよ。
 …おかげで昨日も深酒してしまったなぁ。ピアノには酒は残ってないけど、テンションはちょっと無駄に高かったかも」
「『新潟の風土や人々の気遣いに触発されて、いつもとは一味違った緊張感ある演奏ができたと思う』ですね」
「………」

 かずさは半分意地になって杯をあおり、さらに適当に答える。
「だいたい、今週は土曜日埼玉、日曜新潟って、移動だけでも疲れたよ。
 今日はしこたま飲むよ。ワインもいいけど、やはり日本人は日本酒だな。この新潟の酒は甘口で実にいい。疲れも吹き飛ぶよ」
「『濃密なツアースケジュールの中、新潟の地はわたしに新しい発見とひと時の癒やしを与えてくれた。今夜、わたしはこの余韻に浸り、来る新たな地との出会いに備え鋭気を養いたい』ですか。冬馬さんらしいコメントです」
 『かずさ』でなく『冬馬さん』。最後に皮肉と隔意をこめられた。

「…お前、まともに聞く気ないだろ」
「ちゃんと聞いてるよ。まともな記事になりそうなこと話してくれ」
「わたしがちゃんとしゃべらなくても、春希はいい具合に記事にしてくれるからいいじゃないか」
「ちゃんとしゃべってないことは自認してもらえて幸いだ。
 かずさがこんな甘ったれた酔っぱらいピアニストだと知ったらみんなガッカリするだろうから、俺の胸の内に留めておくよ」

 かずさは少ししんみりとして話を続けた。
「そうだな。本当の冬馬かずさの姿なんて見られたもんじゃない。
 だから、お前だけ見てくれればいい」
「………」
 かずさはそう言って徳利を春希に向けるが、春希は無言でボイスレコーダを指し、『仕事中』の意志表示をする。

 かずさは不愉快な顔一つせずに口を開く。
「『新潟の観客は表情はあまり変えなかったが、熱心にわたしの演奏を聞き入ってくれているのが伝わってきた。
 旅館でいただいた日本酒のように、静かに澄み渡った表情の下に、甘く優しい感情を持っていた』…どうだ、少しはまともな発言だろ?」
「後半はなんか無理やりな感じがするな」
「ほう? 開桜社の記者は自分の舌で試すことなく記事を書くのか?」
 そう言って、かずさは再び徳利を向ける。

 バレバレの挑発だが、春希はあえてのる。伏せていた杯を起こし、かずさの酌を受けた。
「うん…甘いが、ぐっとくる力があり、それでいて後味はすっきりしているな」
「飲みすすめるとさらに味わい深いぞ」
 かずさは続けて勧めるが、春希はきっぱりと断る。

「お前なぁ…仕事中に酒勧めるなよ」
「これも仕事だって。こんなことで首になったらウチで雇ってやる」
「雪菜に知られたら…」
「雪菜に知られたらどうなんだ?」
「………」
「…なんてな。貧乏記者いじめもここまでにしておくよ。
 代わりにお酌くらいしてくれないか? 手酌は寂しい」
「ああ…」

『母さん。母さんのお節介、娘は立派に悪用してます…と』
 かずさは春希の酌を受け、ささやかな達成感と僅かな罪悪感を飲みこみつつ、曜子の『お節介』を思い出した。
『かずさ。わたしがいない間、人に何かお願いするときのコツをひとつ教えておくわね』
『ああ。一応聞いとくよ』
『最初は断られそうなお願いをしておいて、断られたら代わりに何々して欲しい、とお願いするの。
 例えば、デートがダメなら食事、食事がダメならお茶、ダメならインタビューはカフェでお願いする、といった具合ね』
『何のお願いだよ…』

 かずさは杯を重ねるにつれ饒舌になり、やがて徳利が空くころにはインタビューは終わりとなった。
 春希はレコーダを切ると、思い出したように雪菜からの用件を切りだした。
「そうだ、雪菜たちからお誘いあったんだけど…」
「何だ?」
「8月の4、5日の一泊二日で海水浴に来ないかって。場所は西伊豆。
 ま、ツアー中だし、無理だろ?」
「…詳しく聞かせてくれ」

 興味ありげなかずさに春希は虚を突かれた。
 5年半前のかずさの告白が春希の胸の中でちくりとした傷みと共に思い出される。
『仲のよい二人を見せられることは拷問だった』と。

 だから、旅行についての語りかたも熱が入ってなかった。
「一応、温泉もあるけど、期待はできない。
 何せ依緒の会社のボロ保養所泊まりの貧乏旅行だから、飯もまずいかもだってさ。
 メンツは依緒と武也、雪菜と俺、そして雪菜の弟の孝宏君とそのバンド仲間も4人来るらしい。やたら人数多いな」
 かずさはほろ酔いの眼を少し開け、宙を睨んで答える。
「海か…すごくひさしぶりだな。行くか」
「…本当か?」

 不安げに聞き直す春希にかずさは答える。
「その日程だと、前日は名古屋泊で東京への帰り道だ。
 その週の週末は札幌のみ。ちょうど一息はさめる」
「…わかった。依緒たちや雪菜に伝えておく。工藤さんにも断っておけよ」
「楽しみだな。あ、それと一人追加で誘いたいが、どうだ?」
「誰だ?」
「お前より文才はあるが趣味の悪いヘボ脚本家だ」
「和泉か。わかった。決まったら連絡してくれ」

「それじゃあ、ちょっと待ってくれ」
 かずさは手を叩くと、仲居さんを呼び、何か細かく言い付けた。すると、しばらくして仲居が保冷バッグに入った瓶を持って戻ってきた。
 かずさは中身を確認すると、カードに何か書きこんで放り込み、封をした。
「酌まで付き合ってくれた礼だ。雪菜と飲んでくれ。
『ちょっとだけ春希借りた。ありがとう。旅行も楽しみにしてる』ってね」
「…微妙に誤解されそうな言付けはよしてくれ」
 春希は、雪菜にどう言ったものかと苦笑いした。



翌7/14(月)晩 春希のマンションにて


 春希は、雪菜と2人の夕食を楽しんでいた。
「それでは、春希くんのツアー取材2週目の無事終了を祝って乾杯!」
「乾杯!」

 少し飲みすすめるうちに、かずさの話になった。
「それにしても、かずさが旅行に来てくれて本当に良かったなぁ…」
「…ああ…」
「わたしね、もうかずさは来てくれないんじゃないか、と思ってた」
「…まあ、もうお互い社会人だしな」
「もう、かずさと一緒に旅行なんてしてもらえないかもと…」
 雪菜の眼の端に涙がにじんでいた。

 春希もわかっていた。
 春希と雪菜が付き合い始めたばかりの日々。それがかずさを深く傷つけていたこと。そして、そのことに気づいた雪菜が如何に苦しんだかを。
 こうして、雪菜と婚約した今も、いや、婚約してしまったからこそ、かずさとは深く付き合わない方がいいんじゃないか、付き合えないのじゃないか、という恐れは春希も感じていた。
 かずさも、表情はにこやかにしていても、陰で泣いてはいないだろうか…

 春希は話題転換を図った。
「あ、そうだ。冷蔵庫にかずさからもらった酒があるよ。野菜室に保冷バッグごと入っているやつだ。一緒に飲もう」
「へえ…かずさから? 中身は?」
「たぶん日本酒だよ。インタビューの時に飲んでいた。一口だけもらったけど、甘口でおいしかった。冷やで飲もう」
 それを聞き、雪菜はガラスのお銚子と杯を用意し、冷蔵庫をあけた。

「あ…」
 雪菜は保冷バッグの封を空けると、しばらくじっと中身に目を奪われていたが、やがて涙を落とし始めた。
「なんだ? どうした? …あ…」
「かずさぁ…ありがとう…」
「ありがとう…かずさ…」

 保冷バッグに入っていたのは日本酒ではなく、シャンパンだった。
 添え付けのカードにはこう書いてあった。
『3人の友情の誓いは忘れてはいない。『第1回』軽音楽同好会同窓会、楽しみにしている』



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