時間を遡り、応接室


 ばたんっ!
「お父さん!?」
 現れた男は白髪混じりの長髪を後ろでまとめており、ちょうど書道家か陶芸家に無理やり高いスーツを着せたようないでたちだった。
「あ、夜分遅くすいません。おじゃましてま…」
 慌てて椅子から立ち上がりつつそう答えかけた孝弘は凍り付いた。
『すっげぇ怖い目…』
 亜子の父が怒りに震えているのがありありと見えた。

「あの、お父さん。酔ったから送ってもらったの。その…」
 亜子が説明するも、亜子の父は微塵も反応せず部屋の中に入ると、格闘技のような構えをとった。

『あ、やば…』
 孝弘がそう感じた瞬間、亜子の父は奇声をあげて孝弘に蹴りかかってきた。
「タックルサリンドーッ!」
「わわっ!?」
 すんでのところで身をかわした孝弘のいたソファーにカカト落としが深々とめり込んだ。

「あの、おじさん。どうか落ち着いてくださ…」
 カバンを盾にしつつ後ずさりする孝弘を亜子の父は逃がさない。
「ターニアビトーガッ!」
「ぐえっっ!?」
 外国語か技名かもわからない叫びとともに繰り出された双手突きの一撃をカバンごしに受け、孝弘の体が宙に浮く。
 幸いにも着地点は高級ソファーであったが。

「あいてて…」
「ちょっと! やめて! お父さん!」
「……」
 亜子の制止むなしく、床に転がる孝弘にトドメが下されようとしたそのとき
 プルルル、プルルル
「!?」
 テーブルの上に置かれていた孝弘の携帯が鳴り、亜子の父の気を引いた。

 亜子の父は携帯が孝弘のものと見るとその携帯を手に取り、
 ばりっ
 口で噛みついてチョコバーを食いちぎるように壊してしまった。
「ああっ!」
 孝弘の抗議の声もむなしく、亜子の父は窓からその携帯を外に放り捨てる。

 そして、部屋の隅の孝弘に向き直った時、ついに亜子がキレた。
「いいかげんにしてっ!」
「のわっ!?」
 パリン
 亜子が投げつけたグラスが足下で砕け、裸足の父はたまらずテーブルに上がり難を逃れる。

「この! この!」
「あ、亜子。やめ…」
 パリン パリン ガチャン
 テーブルの上の水差しまで巻き込まれ尖った破片となる。
「ちょわ!?」
 亜子の父は水びたし破片だらけのテーブルから飛び上がりシャンデリアに掴まった。

「この! この! この! この! この! この! 」
「こ、こら! それぐらいに…」
 パリン パリン ガチャン パリン
 亜子はカウンターにあったグラスを投げつけ続けた。
 どのグラスもほとんど当たらず床に落ち、部屋中に破片を撒き散らしただけであったが。

「はあ、はあ…」
「……」
 カウンターのグラスが無くなるころには部屋中はガラスの破片だらけになってしまった。
「……」
「……」
「……」
 シャンデリアにぶら下がった父は降りる場所なくぶら下がり続け、三者に気まずい沈黙が流れた。

 沈黙を破ったのは孝弘だった。
「と、とりあえず片付けない?」
「そ、そうだね。えっと、袋と掃除機は…。知念さんも呼んだ方がいいかな…」
 孝弘が大きな破片から拾い始め、我に返った亜子も片付けに入った。

 かちゃかちゃ
 ぶおー
「……」
 2人が黙々と片付ける中、ぶら下がったままの父がついにこらえきれず助けを求めた。
「亜子や。お父さんの下の方、先に片付けておくれ」
「……」
 無視された。

 父の懇願は階下から守衛の知念が手伝いに来るまで叶えられる事はなかった。
 



「……」
「……」
「……」
 片付けが終わり、孝弘、亜子は疲れ切ってソファーに沈んだ。
 亜子の父も先ほどの怒りよりすっかり覚め、同じく疲れ切った様子で守衛とソファーに腰かけている。
 家訓に従い置かれた水コップのおかげで傍目にはまったり和やかな席に見えたかもしれないが、何とも言い難い息苦しい雰囲気がその場を包んでいた。

 息苦しさに耐えられなくなった守衛が口を開く。
「…あの」
「知念さんは黙ってて」
「…はい」
 『亜子が男を連れ込んだ』と密告していたことがばれていたので、この屈強な守衛は亜子の一言に小さく縮こまってしまった。

 しばらくの後、亜子の父は口を開いた。
「もういいわ。帰れ」
 それを聞いて亜子はほっとため息をついた。
「ふう…。
 ごめんね。今日は見苦しいところ見せちゃって…。
 …孝弘くん?」
 亜子は驚いた。孝弘が今まで見たことのないような目をしていた。

 孝弘は怒っていた。
 孝弘自身何故自分がこうも腹を立てているのかわからなかった。
 殴りかかられたとかそういう問題ではない。
 孝弘は、6年前の姉の姿を思い出していた。春希にバンドに誘われ、必死に父・晋を説得した姉の姿を。
 孝弘は自分が試されているような気がした。
 だから、亜子の父を怒らせる事は百も承知でこう言った。
「それでは『亜子さんとのお付き合いは認めていただいた』ということでいいんですね?」
 
「ぬ!? ヌーアビトーガフリムンヌ!!」
 たちまち激昂する父を亜子が止めに入る。
「お、お父さん! 何言ってるかわからないから!
 あ、た、孝弘君? あの、今日は帰って!
 そ、そうだ。明日携帯買いに行こ? わたしの携帯も濡れて壊れちゃったし…」
 亜子は巧妙に事態を収めに掛かった。明日会う事を伝えた上で孝弘を帰せば父も2人の付き合いを黙認したも同然という既成事実化を狙っていた。
 しかし、孝弘は食い下がってしまった。
「うん。でも、まずはお父さんに亜子さんとのお付き合い認めておいてもらわないと。隠してつき合っている訳じゃないんだから」
「た、孝弘君…」
「このガキ…」
 亜子にとって孝弘の言葉は嬉しかった。嬉しかったがこの場では如何にもまずかった。

 亜子の父は耐えきれず立ち上がり孝弘の襟を取った。
「おめぇみたいな根性無しのガキが亜子と付き合えるわけないだろうが!」
 襟首を掴まれた孝弘も怯まず言い返す。
「圧迫面接の上いきなり根性無し呼ばわりとはどういうことですか!?」
 何故か就活のストレスまで手伝って孝弘のおかしな勢いは止まらない。

「ぐぬぬ…」
 そう唸っていた亜子の父の手がふとゆるんだ。
 どさ
「!?」
 孝弘はソファーに尻餅をついた。
 孝弘が見上げると、亜子の父は先ほどまでのような怒りに狂った目ではなく、冷たい刃物のような目になっていた。
「ええわ。そこまで言うんならちょっくらツラ貸せや」
 孝弘は少し考えた後に答えた。
「いいですよ」

「孝弘くん!」
 悲痛な叫びを挙げる亜子を抑えるように父は返した。
「俺は『帰れ』言うたんやからな。それで食い下がって来たんはこの男のほうやからな。違うか?」
 孝弘は一瞬気圧されたが、唾を飲み込みつつ言った。
「そうですよ」

「ちょ…ちょっと! お父さん! 孝弘くんに何する気!? 止めてよ!」
「やかましい! 三平。亜子を見張っとけ!」
「はい。旦那様…お嬢様、すいません」
「孝弘くん!」
 守衛が亜子の前に立ちふさがる中、連れて行かれる孝弘は最後にこう言った。
「ごめん。亜子。ちょっとお父さんと話してくるから。そうだ、携帯ショップだよね。明日、昼の1時、大学前のショップで」
「孝弘くん…」

 そんな2人のやりとりを聞いて亜子の父はひとりごちた。
「ふん。明日の1時? 行けるわけないやろうが。その足で立って行けるもんなら行ってみい」
 この不吉な予言は現実になってしまった。



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このページへのコメント

孝弘君が亜子とくっつくにあたって、孝弘君にもいろいろ苦労してもらおうと思いまして。
自分でも亜子たち3人を弄りすぎかなとは思ってますが(^^;)

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Posted by sharpbeard 2014年10月21日(火) 21:37:54 返信

何か私個人の予想のはるか上を行く展開ですね。でもメインの三人以外ならこういうちょっとハチャメチャな話も良い気がしますね。正直この先が全く読めないので次回の更新を楽しみにしています。

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Posted by tune 2014年10月21日(火) 00:30:42 返信

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