「杉浦、君の席はここだ。最低限必要なものは机の引き出しに入っているが
 他に必要な消耗品とかあれば遠慮なく言ってくれ」
「判りました。ありがとうございます、浜田さん。そして皆さん。改めて、よろしくお願いします」

ぺこりと丁寧にお辞儀をし、バイトとはいえこういったオフィスへの初出勤のため
真新しいレディーススーツに身を包んでいる小春は、自分の席についた。

「えーと杉浦、だっけ。よろしくな。俺は松岡ってんだ。一応ここの一番の下っ端だから
 困ったことがあれば気楽に俺に聞いてくれていいぜ」

と、真っ先に声をかけてきたのは何処か先輩風を吹かせた松岡だった。が、すぐさま

「な〜に言ってんの松っちゃん。困ったことが出来た時にアンタに聞いたら余計に
 困ることになりかねないでしょうが。あ、ごめんね。挨拶遅れちゃって。
 私、鈴木。女の子同士、仲良くしようね〜小春っち♪」

今度は妙に馴れ馴れしい女性が……というか、こんな雰囲気の人がもう1つのバイト先にも
いたような……? と小春は頭の中で思っていると

「女の子、ねぇ。まぁ突っ込まないでおきますか。俺は木崎、担当業務の関係上
 出先ばかりで席を外していることも多いが、まぁよろしくな」

松岡さんに、鈴木さんに、木崎さん。それに先ほどの浜田さん。
今日からの新しいバイト先は、この人たちと過ごすことになるんだ。
小春は、新しい出会いに感謝した。出版社というイメージからもっとギスギスしたものを
想像していたが、どうやら杞憂だったようだ。と、この時の小春は思った。

「ちょっと木崎さ〜ん? 小春っちはまだ大学生なんだし、見てくれも充分女の子でしょうが。
 初対面の女の子にあんまり失礼なこと言っちゃダメだよ〜?」
「鈴木。お前わざと俺の言いたいこと外してるだろそうなんだろ」
「あー、まぁ風岡に比べれば女の子……いや、何でもない」
「浜田さんそれ訴訟モノっす……後で麻理さんに電話しとこうかなっと」
「松岡! そんな事より杉浦の仕事を……いや、やっぱいいや。初日だし今日は
 鈴木について貰うわ。鈴木、まずは雑用関係から色々教えてやってくれ。
 松岡は次回の時、杉浦に振れそうな簡単な作業を見繕っといてくれ」

風岡? 麻理さん? 小春は話の流れからして、今ここにはいないであろう人名を耳に拾った。
いや、それよりも……

「あの、鈴木さん。いくらなんでも初対面で『小春っち』はちょっと……」

まずはそこからツッコんだ。



「で、コピー機の設定の仕方とかは判るかな?」
「はい、大学でも使ってるのと同じようなものですし、問題ないかと」
「OKOK、それじゃあとは……あ、女性社員の定番、お茶汲みってヤツなんだけど。
 見ての通りこんな職場だから、基本的にはナシ。来客時くらいしかやんないから
 今回はパスっと。えーとあとは……」
「あの、鈴木さん」
「ん? どうしたの小春っち。なにか判らないところあった?」

その呼び方はやめてくれないのか……と小春は諦めた。

「えっと、こういった雑用はバイトですから勿論やらせていただきます。
 けど、もうちょっと『出版社』という感じの仕事をしたいのですが」
「ほほ〜ぅ、小春っち真面目というか、やる気漲ってる感じ? 若いのに偉いなぁ〜」
「いえ、実は将来こういった出版関係の仕事を目指そうかと思ってまして。
 今のうちに経験できることは何でもやってみたいんです」
「うんうん、感心感心……というか、な〜んか前にも同じような台詞を誰かから聞いたような……」
「? ……えと、それでですね。初日から自己判断なんて不遜かとは思いますが
 私、実際にやって身につくタイプだと思ってるんです。ですからバイト相手とは言えども
 出し惜しみせず、遠慮なく皆さんのお仕事、叩き込んで欲しいんです」

そこで鈴木は、誰と印象が似ているのか気がついた。

「うわ……思い出した。初めてバイトに来た時の北原くんに似てるんだぁ」
「……北原、さん? 私に似たような人がいるんですか?」

よもや初日から、ここに来た最大の目的――小春が将来的に出版関係に就職する選択肢を
視野に入れているのも事実だが――春希の名前を聞けるとは。
どうやら小春にとって、今は追い風が吹いてくれているようだ。
春希が開桜社にバイトからそのまま就職したことは知っていたが、
社内の人間関係までは流石に把握できなかった。春希と交流があったらしい
人物の近くに配属されたことは、小春には幸運であった。

そして小春には、ここに来る前に決めていたことがある。
それは「決して春希と知己の仲であることは知られないよう振舞う」という事だ。
その選択は、もしかしたら結果的にここで誰かに嘘をつくことになるかもしれない。

……「誠実」な自分ではいられなくなるかもしれない。

それでも、小春は必要な情報を得るため、そうすることに決めた。
もし自分が春希と知り合いである事が周囲に知られてしまったら、
余計な配慮で必要な情報が入ってこないかもしれない。それでは都合が悪い。
小春はあくまで「春希の知り合いに話す」情報でなく
「春希を知らない第三者に話す」内容が欲しかったのだ。
今回の件を、あくまで客観視するために。公正でいるために。

勿論、春希と小春が知り合いだという前提でしか聞けない話もあるかもしれない。
その可能性は充分に吟味した上で、「必要性が生じたらその時に本当のことを話す」という
選択肢を取ればいい、と。そう考えた。初めから知り合いであることを知られたら
二度と聞けなくなる話もあるかもしれないから。

「ああ、うん。正確には似たような人が『いた』かな。年度末で退職しちゃったんだけどね」
「そうなんですか。それにしてもバイトからそのまま開桜社に就職したなんて
 バイトの時によっぽど頑張ったんですね、その人」
「頑張ったなんてモンじゃなかったよ〜。なんせバイトなのに、当時新入社員だった
 松っちゃんよりも何倍も仕事出来たもんね〜」
「へえ、正社員よりも仕事してたなんて。……でもそんな凄い人が、退職しちゃったんですか?」
「そうなのよ〜。それも『一身上の都合』としか言わなくってね。
 直属の上司の浜田さんにすら、詳しい理由は最後まで頑なに言わなかったみたい」
「……なんか、おかしな人ですね。せっかくそれだけのものを積み上げてたってのに」
「ん〜、そうなんだけどね。それだけ真面目に頑張ってたコだったからこそ、人には言えない
 よっぽど大きな事情が突発的に出来ちゃったんだろうなって事で皆諦めざるを得なかったの。
 麻理さんに続いて北原くんまで抜けちゃって、開桜グラフ的には戦力大幅ダウンって感じ。
 だから今回のバイト……小春っちには皆本当に期待してるんだよ? とは言え、あくまで
 小春っちはバイトだから。潰れちゃわないように、ね?」
「あ、はい。お気遣いありがとうございます。無理のない範囲で、頑張ります」

自分に対しての話題に切り替わった以上、春希のことを更に突っ込むのは不審に思われるかな、
と判断した小春は、今回は春希については退いた。だが、こっちの話題ならまだ違和感なく
続けられると判断した小春は、気になっていた人名について聞いてみた。

「そういえば、先ほども編集部でお名前を聞いた気がするのですが……その『麻理さん』
 というのはどなたですか? お話を聞いてる限り、こちらにはいらっしゃらないようですが」
「ああ、麻理さんね。うん、確かにここにはいない。今はニューヨークに転属中。
 さっき言ってた北原くんのバイト時代の直属上司だった人だよ」
「なるほど、そういう事なんですか。海外出向なんてよっぽど優れたお方なんでしょうね」
「優れたもなにも。仕事が恋人、仕事が旦那。所謂ワーカホリックってやつ?
 仕事の鬼、みたいな人だよ。あ、根は凄くいい人なんだけどね。仕事には一切妥協しないタイプ。
 実はさっき言った北原くんが開桜社に入った時、『一番無茶な仕事を振る人の下につけて下さい』って
 言ったらしくって。それで麻理さんの部下になった経緯があるの。そんな人だよ……というか
 北原くんってもしかしてMだったのかな?」

あはは、と笑顔を溢れさせて鈴木が言う。
小春もこれにはどう反応すれば判らず、愛想笑いで返しながら

なるほど、麻理さんという人が北原先輩に仕事を叩き込んだ人なんだ。……覚えておこう。
そして、会社にも理由を言わず……言えず? 突然退職した、と。

そんなことを考えていた。こうやって一つずつ着実に、小春はパズルのピースを集めていく。

「ところでさぁ、小春っち」
「はい、なんでしょうか?」
「そんな北原くんに似てる小春っちも、もしかしてMだったり?」
「ちょ、な、何言ってるんですか鈴木さんっ! と、というか私、その人と似てるって
 今の話だとあんまり思えないんですがっ」

小春は真っ赤になって思わず声を荒げた。この辺は乙女だなぁ、と鈴木はほくそ笑んだ。

「いやいや、いまどきバイト初日からそんなにやる気出してくれるコ、なかなかいないよ?
 それだけでも充分だと思うんだけどなぁ〜」
「少なくとも私は無茶な仕事まで望んでません! 自分の力量に見合った仕事をしたいんです!」
「はいはい、それじゃ編集部に戻ってちょっと本格的な仕事やってみよっか〜。
 浜田さんには私から言っとくね〜。あ、でも取り敢えず休憩にしよっか。
 私は先に段取りしておくから、小春っちは休憩室で10分ほど時間つぶしてから自席においで〜」
「はい、判りました。それでは10分、休憩いただきます」

そう言って鈴木は一人楽しそうに、編集部に戻っていった。



「……ふぅ」

小春は休憩室の自販機でアイスコーヒーを買って、一息ついた。

 鈴木さん、か。ホント、中川さんにそっくり……。ということは、
 妙なところで勘が鋭いところも似てるかもしれない。気をつけなきゃ

小春は声に出さず、心の中で呟いていた。
先ほどは想定外の話題で思わず脊髄反射してしまったが、春希の事が
話題の時は細心の注意を払わなければ。改めてそう自分の胸のうちに刻み込んだ。
だがそれ以上に、春希については鈴木が一番の情報源になるかも、と思った。

 そっくりと言えば。ここでも言われちゃった。私と北原先輩が似てる、って。
 なら、北原先輩のように仕事をこなせれば、それだけ皆は私と先輩を比較して
 あれやこれやと喋ってくれるかもしれないな……

「そろそろ10分かな。……よしっ、頑張れ、私っ」

小春は飲み干したコーヒー缶をゴミ箱に捨て、自分に喝を入れて編集部へ戻っていった。

第10話 了

第9話 桜を開く春風 / 第11話 現場監督と作業員の邂逅
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このページへのコメント

いつもコメントありがとうございます♪

tune様
そうですね、小春の開桜社入りは物語上の大きな進展と言えると思います。
個人的には、孝宏とのタイマンが大きかったんですがなかなか上手く表現できなくって自分の力不足を思い知るばかりです。
これからも拙いながらも頑張ります。

N様
そこに笑っていただいてこちらとしても嬉しいですw
どうしてもかずさTルート後の話ということでコメディ色が出し辛いので
代わりに、こういう原作ネタをちょこちょこ仕込んで、WA2ファンの方に楽しんでいただけるようにと思っています。
春希が去ったとは言え、まだ2ヶ月弱ですから。松岡には大変な思いをして貰っておりますw

0
Posted by ID:pU7TGRxo+Q 2014年11月03日(月) 11:41:54 返信

>俺の言いたいこと外してるだろそうなんだろ

木崎さんに春希の口調が移っててニヤニヤしましたw
春希の影響はまだ開桜グラフ編集部に残ってるようですね。

0
Posted by N 2014年11月03日(月) 00:56:19 返信

先ずは春希の開桜社における基本的な情報を風岡麻里の存在も含めて知ったという所でしょうか。ここからがこの物語の本当の始まりですね。次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2014年11月02日(日) 22:53:17 返信

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