小春は千晶と会う約束をしたその日まで、『瀬之内晶』という女優について
時には開桜社、時には峰城大にて調査の限りを尽くした。
「彼を知り己を知らば百戦殆うからず」という考えに至った経緯については
言うまでもなく、もう約3年前にもなる秋の日に、他の誰でもない
『瀬之内晶』に、小春自身してやられた記憶があるからだろう。

結果、小春が知り得た情報は大きく2つ。
1つは、開桜社にあった一枚のDVD。その1トラック目に収められた…6年前の峰城大付属祭での
演劇部による劇『雨月山の鬼』。脚本・主演としてコールされた、瀬能千晶の名。
柏木四姉妹をたった一人で見事に演じ分けた瀬能千晶こそ、小春の知る和泉千晶であり、
そして先日の取材対象だった瀬之内晶その人だという事。そして、見る者を圧倒する演技力。
小春は演劇について造詣が深いわけではない。要は素人でしかない。
それでも、DVDの映像を自分でも気付かぬうちに食い入るように見つめ、手には汗が滲んでいた。
もう6年近くも前に、これが自分の出身校のステージで実際に繰り広げられたというのか。
春希と、雪菜と、そしてかずさ。最高の三人の、最高の日と同じ日に、同じ場所で。

もう1つは、千晶が峰城大在学中に所属していた劇団ウァトスについて。
劇団サークルとしては他と比して規模こそ小さかったが、そこで千晶が『姫』と呼ばれ、
また固定ファンも多く得ていたということ。千晶が卒業すると同時に、ウァトスは
解散した、ということ。…というより、正確には千晶卒業の一年前に実質
劇団としての活動は座長の学籍除名により休止に追い込まれていたということ。
その間、他の劇団サークルからのヘッドハンティングが苛烈なまでにエスカレートし
引っ張りだこだった、ということ。

 これは……私は、こんな化物みたいな女優と2人きりで会える、の……?

小春の心は震えていた。とてつもない演技力を誇る千晶と接点を持てたことへの素直な喜びと
そんな女優とまともに意思疎通が出来るのか、出来たと認識できるのだろうかという疑問。

 それでも、行かなきゃ……私のこと、開桜社にバラされたら困る……。

千晶からの誘いは、実質的に開桜社への口止めに対する見返りであった。
それを理解していた小春は、千晶と相対する前に可能な限り『瀬之内晶』の情報収集を行った。

 惜敗とまではいかなくとも、せめて惨敗なんてことにならないようにしなきゃ……。

結局小春は、千晶に勝てる気がしなかった。



それから数日後。例の喫茶店で、小春と千晶は相対した。
小春はコーヒー、千晶はカフェモカを注文し、それぞれの飲み物がテーブルに置かれる。

「んーと、何から話そっかな……この前のメールでも書いたけどさ、
 あれから春希と雪菜どうしてるかなーと、ね。ふと気になっちゃったわけよ」

千晶はカフェモカを一口啜り、そう切り出した。

「どうしてそれを私に聞くんでしょうか、和泉先輩。
 それこそ北原先輩と仲がよろしかったんですから、ご自身で連絡取れますよね?」

小春はそう返しながら思った。「小木曽先輩のこと、雪菜って呼んだ……?」

「いやぁ、それが大学卒業と同時に連絡取れなくなっちゃってさー。携帯壊しちゃって
 新しいのに変えたはいいけど、アドレス帳とかみーんなリセット」

千晶は舌をぺろっと出し、おどけて見せた。

「……そういうご事情でしたら、仕方ありませんね。と、言いたいところですが……」

小春は、千晶の言葉を鵜呑みにすべきでないと考えていた。

「今、私の目の前にいらっしゃるのは和泉先輩ですか? ……それとも、『瀬之内晶』さんですか?」

そこで千晶の表情がすっ…と、真顔になった。

「ふぅん。警戒心バリバリって感じだねぇ」
「仕方ありません。3年前、ちょうどここで私は目の前の女性に見事に騙された経験の持ち主ですから」

そう言って小春は軽くため息を吐いて見せた。

「あー、もしかして杉浦さんって結構根に持つタイプ? 春希もそうだったんだよねぇ」
「……北原先輩は知りませんが、私は人を騙したり嘘を吐くのは悪いことだと教えられて育ちましたから」
「あたしとしては、騙したというより演じた、って言って欲しいんだけどなぁ〜」
「結果的にも私個人的にも、騙されたという印象の方が強いです」
「ま、杉浦さんからすればそれもそうか」

そう言って千晶は微笑んで見せた。はたして、これも演技なのだろうか。

「今日のところは、杉浦さんを騙す気も、何かの役を演じる気も無いよ。
 和泉千晶という素の人間として、あなたと話をするって約束する」
「……本当、ですね?」

この言葉すら素直に受け取っていいか、小春は悩んだ。
しかし相手がそう言ってる以上、そこに疑念を持ち続けることは礼を失する、とも思った。
そう考え、千晶を信じよう…と思ったところで、そんな小春の心情の揺れを
見抜いたのだろうか、千晶が手札を切ってきた。

「あはは、人間疑心暗鬼に陥るとなかなか抜けれないんだよねぇ。春希や
 杉浦さんみたいな人間は、特に……ね。それじゃ先にこっちの話をしようか」

そう言って、千晶は自分の鞄から一冊のノートを取り出し、小春に手渡した。

「それ、あたしが峰城大付属時代からずうっと温めてきた、オリジナルの脚本。
 ……いや、オリジナルとは言い難い、か。とある男女3人の物語。
 あたしは6年前の付属祭のあるステージを見て、3人のファンになった。
 そして、3人の物語を舞台の上で表現したいと思うくらい、惹きこまれたの」

小春が手渡されたノートの表紙には、こう書かれていた。【届かない恋】と。

「和泉先輩、これ……まさか……」
「うん。春希と、雪菜と、冬馬かずさ。3人をモチーフにして書いた脚本……なんだけど。
 色々あって、未完成なんだ。というか、表に出す必要がなくなっちゃったというか。
 いやぁ、峰城大3年の時に春希が文学部に転部してきてくれたおかげで、3年越しのあたしの
 想いが実る機会到来、と思って春希や雪菜に近づいたんだけどさー。あたしみたいな外野が
 入り込む隙が無かったというか、春希と雪菜の想いの深さに勝てなかったというか。
 トドメ刺されちゃったのが、峰城大のバレンタインコンサート。春希の拙いギター一本で
 届かない恋を歌う雪菜を見て、あたしはこのホンの完成を諦めた」
「……」

小春は千晶の言葉に耳を傾けながら、ノートの内容を読み込んでいく。
一通り読み終えたところで

「和泉先輩。率直に感想を言ってもいいでしょうか」
「もちろんウェルカム。ってゆーか、嫌いでしょ? 多分」
「そうですね、実在の人物をここまで完璧にトレースして舞台化なんて
 本人たちの承諾はあったんですか? 承諾なしにやろうとしてたのなら、軽蔑に値すると思います」
「わお、想像以上に手厳しいね」
「ですが……」

3年前の小春だったら、おそらく非難糾弾雨霰、といったところだったかもしれない。
しかし、今の小春はあの時より少しだけ、大人になった。

「この脚本の出来そのものは素晴らしいと思います。と言っても、私はこのテのことについては
 素人なので評価するのもおこがましいとは思いますが……。
 3人の心情描写とか、表情や視線の位置まで細かに書き込まれてて、和泉先輩がどれほど本気で
 この物語と……あの3人と対峙しようとしてきたかは伝わってきます」
「……へぇ、それは嬉しいお言葉。素直にありがとうと言わせて貰うよ」

小春は、時期もアプローチも動機も全く異なるが、あの3人の世界に
真摯に向き合おうとしていた千晶に対して、少し親近感を覚えた。それはまさに今
自分がやろうとしていることと似ているのかも、と感じたからかもしれない。
勿論、それを開桜グラフで表現しようなどとは微塵も思っていなかったが。

「まぁそんなワケでさ。あの3人の追っかけをやってた身としては、あれから
 春希と雪菜が仲良くやってるんだろうなーとは思ってるんだけど、久しぶりに杉浦さんの
 顔見たらなんか懐かしくなっちゃってね。ちょっと聞いてみよっかな〜と」
「なるほど、そこについては理解しました。……けれど和泉先輩、嘘は吐いてないけれど
 隠してること、ありますよね?」
「ありゃ、お見通し?」
「今のお話が総てだと言うのなら、それこそメールでのやり取りで済む話だと思います。
 しかしこの脚本を私に見せた上で、直接会って話したいという事は……」
「ご明察。さっすが春希の弟子」
「北原先輩を師と仰いだ記憶は……ああ、まぁグッディーズのバイトについてはそう言えますが。
 ともかく、これだけ3人の自称追っかけをしていた和泉先輩なら、知らないはずが無いですよね。
 年明けに御宿で開かれた、冬馬かずさ凱旋コンサートのこと」
「……勿論。そして、あたしはあたしなりに、あの3人の想いの深さを知ってるつもり」
「じゃぁ、だいたい想像はついてる上で、私をその確認材料に抜擢して頂いた、という事ですか」
「材料だなんて人聞きの悪い。取材対象と言って欲しいなぁ。ほら、開桜社のインタビュー
 受けてあげたんだから、今度は杉浦さんがあたしのインタビュー受けてもらうってことで。
 だいたい、春希のいた開桜社にバイトで入るなんて杉浦さんだって追っかけみたいなモンじゃない?
 似たもの同士仲良くしといて損は無いと思うんだけどな〜♪」

おそらく、千晶の中である程度の予測は出来ているのだろう。
そして、その予測は現実と一致するのだろう……小春は心の中で盛大なため息を吐いた。

「ふぅ。判りました。私が知ってる限りで情報は開示します。ただまだ不確定なところもあるので
 確実な素材だけ提供します。……言えることと言えないことがある、ということで」
「バイトとは言え流石マスコミ屋。その辺の分別はもうしっかりしてるのね。いいよ、それで」

小春は少しずつ、言葉を選びながら今現実に起きていることを千晶に聞かせた。
あのバレンタインコンサートを経て、春希と雪菜は確かに強く結ばれた。
しかし、かずさが来日したことによって春希はかずさを選んでしまったこと。
2人でウィーンへと去っていってしまったこと。
自分が今、雪菜のために……3人のために何か出来ることがないか模索しているところだということ。

孝宏や武也、依緒、そして冬馬曜子との接触については語らなかった。



話を聞いた千晶は、腕を組み、何事か考えるような仕草のまま沈黙した。
すっかり温くなったカフェモカを一気に飲み干し、ようやく口を開いた。

「……春希は、きっと……いや、絶対に揺れるとは思ったよ。冬馬かずさが日本に帰ってくるような
 ことがあれば、必ず。その結果、春希がどんな道を選ぶのか。あたしの興味はそこにあったんだけど。
 ……想像以上に、なんというか。やっちゃった感がスゴいわ……もっと綺麗なカタチで完結できなかったのかねぇ」
「同感です。冬馬先輩を選ぶにしても、もう少し違ったやり方は無かったのか……。
 まぁ、今ここでそれを論じたところで意味は無いのですけど、ね」
「そりゃごもっとも。でもさ、余計な口出しだとは思うけど。雪菜はそっとしておいてあげた方が
 いいんじゃないかなぁ?」
「どういう事です? ……というか、和泉先輩はずっと小木曽先輩のこと名前で呼んでますけど
 小木曽先輩とも面識があるんですか?」
「ああ、【届かない恋】のホン書きのためにね。雪菜のキャラクターを掴むために
 偽名まで使って色々と、ね」

小春は呆れたような表情を見せた。

「舞台のためには手段を選ばない、と」
「それがあたしの生き方だからね。ま、世間一般から見てズレてるって自覚はあるよ」
「……ご自覚がおありなら私からは特に何も言いません。それで、小木曽先輩と接してきた上で
 そっとしておいた方がいい、と?」
「一応誤解のないよう言っておくけど、あたしなりに今の雪菜は心配だよ、これでも。
 動機は確かにホンのためだったけど、雪菜に対して友情みたいな感情も持ってるつもり。
 でも結局これは、あの3人の物語。どんなカタチであれ、これが終末……codaだというのなら
 そこに部外者が入り込むべきじゃないと思うね」

千晶の言葉に、小春は「それも一つの選択肢なんだろう」とは思っていた。それでも小春は

「和泉先輩の言うことは尤もだと思います。けれども、私はそれ以上に小木曽先輩が心配です。
 病気の人がいたら普通、看病しますよね? たとえそれがあまり好きではない相手だとしても。
 だから私は開桜社に入って、色々と情報収集することに決めたんです。それに……」
「それに?」
「……傷ついているのは、小木曽先輩だけじゃない。北原先輩も、冬馬先輩も。
 きっとウィーンで癒えない傷を負ったままじゃないか、そう思っています」
「ふぅん……ま、判らなくもないかな。春希はこの状況で平然と冬馬かずさを愛して
 幸せに浸れるようなヌルい男ではない、とは思うよ」

千晶は小春に聞こえないような声で「……そんな男だったら、あの時、あたしが付け入る隙が
あったハズだし、ね」と呟いた。

「そういう事です。小木曽先輩のため、というよりは3人のため、やれる事をやりたいんです」
「いやはや、春希以上にお節介かもしんないねぇ、杉浦さん。あたしには真似できないわ。
 ……モチーフとしては面白そうなんだけどなぁ」

ニヤリと唇の端を上げた千晶の不穏な発言を聞き流しつつ、ここで小春は千晶に突拍子無いことを言い出した。

「そうそう、真似で思い出しました。私、この【届かない恋】の脚本を書かれた上に名女優と名高い
 瀬之内晶さんに一つ、演技指導をお願いしたいのですが」
「……はい?」

流石の千晶も、こればっかりは面食らった。

第24話 了

第23話 思わぬ再会 / 第25話 胎動
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このページへのコメント

>tune様
千晶は武也曰く「宇宙人」ですが、他人を思いやれない人間ではないと想うんですよね。
優先順位が演技>思いやり、なだけで。

>N様
これはあくまでcc雪菜〜codaかずさTrueの流れなので、千晶については年末の
「あんたたちの想いの深さを知ってるよ」
からの、バレンタインコンサート後の
「ごちそうさまでした」
が基本になってます。ので、千晶ルートの千晶はあまり意識してませんでしたね。

0
Posted by ID:hJgzaiCmCg 2015年01月15日(木) 22:38:26 返信

 雪菜はそっとしておいた方がいい、という言葉には千晶なりの優しさがこめられていて珍しくも良かったです。
イオタケと違い、雪菜の方が先に略奪したという事実を既にICで認めていた千晶には、codaの駆け落ちはかずさからの強烈な復讐だとすぐに気づいたでしょうし、復讐を受けた雪菜の傷みや自責の念にイオタケや朋以上に共感できる存在だと改めて気づきました。
ある意味千晶は小春よりも雪菜を理解できて雪菜を救える人間なのかもしれませんね。
……もっとも演劇のためには手段を選ばず千晶Tでも雪菜やイオタケを手酷く傷つけていた千晶が、雪菜に情をかけもっと綺麗な形で完結できなかったのか等と言うのには苦笑しましたがw人間は他人のことになると何とでも言えるというのが良く判ります。

では千晶が今後どう動くか、小春が千晶からの演技指導を受けて何をするつもりなのか、次話以降を楽しみに待っています。

0
Posted by N 2015年01月15日(木) 07:43:31 返信

目的は違えど3人を心配して何とかしてやりたいと言う点においては小春と千晶はタッグを組めるのかもしれませんね。今回の話を読んだ限りでは小春はほぼ互角に千晶とやり合っている印象です。最後のお願いの内容は気になりますね、次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2015年01月15日(木) 04:44:20 返信

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