小春と雪菜の2人は、一頻り思いの丈を晒してわんわん泣きあった。
小春にとっても雪菜にとっても、これがまだスタート地点に立っただけという
共通の認識がありながらも、漸くそこに立てたという喜びを今は素直に噛み締めあった。

「……ふぅ。ごめんね、小春さん。年上の癖に面倒かけちゃって」
「お気になさらないで下さい、おぎ…雪菜さん。私は私の出来ることをしただけですから」

あれからどれほど時間が経っただろうか、オレンジ色の夕陽が雪菜の部屋に射し込んでいた。
そろそろお暇しようかと小春が考えていたそんな時、ふと雪菜が問う。

「ねぇ、小春さん。これからわたしは、まず何をすべきだと思う?」

真剣な面持ちで問いかける雪菜。小春はそんな雪菜の表情を見つめ返しながら

「今の雪菜さんなら、もうお答えは出てるんじゃないですか?」

と微笑を返した。が、雪菜も引き下がらない。

「むー。そりゃまぁ、いくつか頭に浮かんでることはあるけどさぁ」

そう言って頬を膨らませながら続ける。

「……きっと、小春さんの思ってる正解と、わたしの思ってるやるべきことは
 同じかな、とは思ってるの。だからこそ、答え合わせがしたいなぁ」
「だったら尚更ダメです。雪菜さんは雪菜さん自身の考える道をですね……」
「もー。武也くんからちょっぴり聞いてたけど。ほんっと、春希くんみたいなお説教するんだから」
「あーっと……すみません。けど別に北原先輩を演じてるつもりはありませんからね?」

そう言われて、雪菜はぷっと噴き出した。

「あはは、判ってるよぉ。でもお節介なのはそっくり」
「と、ともかく。雪菜さんは雪菜さんが正しいと思うことをやればいいと思います」
「……そんな小春さんだからこそ、ここまで来たんだからもう少し導いて欲しいなぁ?」

雪菜は悪戯っぽく、わざわざ小春の顔を下から覗き上げおねだりするように言った。

「っ……北原先輩からちょっぴり聞いてましたけど、ほんっと、ワガママさんですね」

照れ隠しのつもりなのか、小春はそっぽを向いてそう返した。

「どうせワガママ娘ですよーだ。小春さんも春希くんが好きだったって開き直ったんだし
 わたしも開き直っちゃうんだから」
「なんですか、その非論理的な開き直りは……しょうがないですね、あくまで私の
 考えてること、ですからね? 雪菜さんの理想と違っていても謝りませんから」
「うんうん、ぜひ聞きたいなぁ」

やれやれ、といった体で小春は軽く嘆息し、その後自分の鼻に人差し指を押し付けて見せた。
音を立てないように注意し、そっと立ち上がった小春は部屋唯一の出入り口にそろそろと近づいていく。
そして一呼吸おいて、勢いよくドアを開け放つ。

「うわぁっ!?」

そこにいたのは、素っ頓狂な声を上げた孝宏。

「た、孝宏!? あなた何やってるのよ!」
「っつつ……何すんだよ杉う、ら……げ、姉ちゃん」
「なーにが『げ、姉ちゃん』よ。さっきからずっと聞き耳立ててたの、バレバレだよ小木曽。
 というか、ここ雪菜さんの部屋なんだから雪菜さんがいて当たり前でしょう」
「……」

孝宏から見て、不意にドアを開けた小春よりも、その後ろで引きつった笑顔を浮かべている
自分の姉の方が何倍も威圧感があったわけで。
小春は、やっぱりやれやれといった体で両手を肩の高さにまで上げ、盛大に息を吐いてみせた。
そして、雪菜の方に向き直って

「ま、それはともかく。女同士の話に聞き耳を立てるような仕方のない男ですけども。
 ……それでも、姉を心の底から心配している弟と。あと、お父様とお母様と。
 ご家族に、心配かけてしまったことを謝るのが一番だと思います」

そう言って、はにかんだ。



その夜、小春の去った小木曽家……へと歩く、一人の中年男性。

「……」

小木曽晋は、一人で家路につきながら眉間に皺を寄せていた。
自分の娘が、ひどく傷つけられて。
父親として少なからず、信頼していた男に裏切られて。
あれから最愛の娘は、家族にも心を閉ざしてしまった。
そんな自宅へ、今日も帰らねばならない。そんな気持ちが、足取りを重くする。

雪菜が峰城大付属3年の頃からだから、その男――北原春希――との付き合いは
5年にもなる。娘を持つ父親として、最初こそ異性の友人というだけでも一枚の、
けれども分厚い壁が無意識のうちに建てられてしまっていたが。
彼の歳不相応の大人びた立ち居振る舞いや言動に、その壁も少しずつ崩され
つい半年ほど前には、娘の婚約者とまで認識した。その、男に。
娘を、家庭を、家族を。木っ端微塵に壊されてしまった。

「……ふぅ」

ため息をひとつ。
晋にも、落ち度はあるのかもしれない。
妻を通じて、当事者たる娘を、その友人に頼んで自宅から遠ざけて。
彼を追い込むような詰問をした、その場を作ったのは自分だ。
――何かの間違いであって欲しいと、心のどこかでそう思っていた。

しかしその願いは虚しく、彼は娘以外の女性を選んだ。
娘との将来を誓って1ヶ月も経たずのうちに彼は、翻意したのだ。
そんな男だとは、思っていなかった。

 今でも、最愛の娘を傷つけた彼を、許せない。許せるはずがない。
 娘だけではない。
 妻も、彼の本意を知った時には悲しみをあらわにした。
 息子も、彼の決意を知った時には怒りをあらわにした。
 ……ああ、いや、しかし息子の暴力は父親として許してはならなかった。
 けれどもあの時、力ずくでも止めなければ、という気にはなれなかった。

 彼には悪いことをした。それは間違いない。
 けれど、その罪の意識が確かに心のうちにあっても、彼を許すことはできない。

仕事を終え、帰宅し、家族みんなで食卓を囲む。そんな一家団欒が当たり前の
小木曽家は、あの時以降、なくなってしまった。
もっと正確に言えば、家族はいる。食卓も皆で囲む。その構図はまだあった。
けれど、そこには――決定的なものが――笑顔が、消え失せていた。
傷ついた娘は、当初自分たち家族を憎むかのような言動を取り。
それでもいつからか、今までの慣習からか。一緒に食事を摂るようにはなってくれたが
今までのような笑顔も、会話もなかった。

「……ただいま」

もう何度目になるかもわからない自問と苦悩を続けながら、気がつけば晋は
自宅の玄関をくぐっていた。
この世界で一番安らげる場所、であったところ。
今日もまた、重苦しい時間を過ごすのか……そう思い悩んでいた晋の耳に聞こえてきたのは。

「お母さ〜ん、胡椒取ってー」
「はいはい、突然やる気出しちゃって……しばらく料理なんてしてなかったんだから
 ちゃんと目分量じゃなくて、きちんと計量するのよ?」
「大丈夫だって、そこまで腕落ちてないよぉ。……たぶん」
「あー、聞こえたぞー! 姉ちゃん今たぶんつった! 大丈夫かなコレ」
「うるさいなぁ、なんなら孝宏は食べなくてもいいよ?」
「勘弁してくれよ……食い盛りの男子大学生に晩メシ抜きとか拷問でしかないぞ」
「なら文句言わないで手伝いなさい! あ、お母さんアレも取って、アレ!」
「あれ、じゃ判らないわよ……」



「なん、だ……これ……は……」

そこには、少し前まではあった、けれど半年ほど前から無くなっていたものが。
ありふれた、小木曽家の日常が、確かに目の前にあった。

呆然と佇む父の姿に気づいた娘は、笑顔で。けれど、どこか申し訳なさそうな表情で。

「おかえりなさい、お父さん。今まで心配かけて、ごめんなさい。
 ご飯食べたら、ちょっとだけ、話したいことがあるんだけど……いい、かな?」

そんな娘の言葉を補うかのように、晋のコートを預かりながら秋菜がそっと耳打ちする。

「おかえりなさい、あなた。……突然のことで驚いたでしょうけれど、わたしも
 驚いているんです。あの子、急に今までのことを謝りたい、って。
 今夜のお夕食、自分が作るから……って。孝宏まで『姉ちゃんを許してやってくれ』なんて言うんですよ」
「いったい、何が……何があったんだ? 確か今日は、雪菜は休日だったはずだが」
「詳しいことはお夕食の後で話したい、って……わたしもまだ、具体的なことは」
「……む、ぅ。料理の手を止めさせて聞くわけにもいかないだろう。わかった、
 今夜のところは雪菜の望むようにしてやろう」
「はい」

父と母は、昨日までの娘からは想像も出来ないくらい忙しなく台所で動き回る娘を見て、
それでもまだ、素直に喜べないのであった。



「ごちそうさまでした」
「あー、食った食った。なんだよ姉ちゃん、ちゃんと美味いモン作れるじゃんか」
「だから言ったでしょう、孝宏はお姉ちゃんのこと甘く見すぎ」
「……」
「……」
姉と弟の他愛無いやり取りを見て、懐かしさをも感じる父と母。
しかし、喜んでばかりもいられない。娘から、これからどのような話があるのか。
自分たちは、親としてどう応えるべきなのか。そんな複雑な胸中を、父と母は共有していた。



洗い物を済ませ、お茶を淹れた雪菜がテーブルに着く。

「ふぅ。あー、でもやっぱり久しぶりにお料理したら疲れちゃうね」

肩をぐるぐる回しながら、雪菜は笑顔で言う。
しかし、晋は雪菜の淹れてくれたお茶にも手をつけず、険しい顔で問いかけた。

「雪菜。本題に入ろうか。……話したいこととは、何だね」
「父さん、がっつきすぎ」
「あなた……」

昨日までとは打って変わっての娘の姿。豹変、と言ってもいいだろう。
そんな雪菜に、今日いったい何があったのか。何が雪菜を変えたのか。
父親として、知らなければならないという思いが逸った。
母、秋菜とて気持ちは同じだった。ほんの少し、晋の方が先に我慢できなくなっただけだ。

本題を求める父を見て、雪菜は真剣な面持ちで語り始めた。

「お父さん、お母さん。それに、孝宏には、もう一回。
 今日は、3人に、3つ、謝りたいの。
 ……改めて、ごめんなさい。たくさん、たくさん心配かけました。本当に、ごめんなさい」

雪菜は、家族に対して頭を垂れた。さらにそのままの姿勢で続ける。

「それと、もうひとつ、ごめんなさい。みんなのこと、嫌いだなんて言ってしまって」
「雪菜……」
「……」

その言葉で、秋菜も晋も、救われたような気持ちになってしまった。
昨日までの雪菜はもういないんだと、まだ理由は判らないものの
娘が元気を取り戻してくれたのだと。それだけで、親として喜びを禁じえなかった。

「大切な家族なのに。そんな大切な人たちに向かって、わたし、酷かったよね。
 最低の、娘だったよね。みんなは、わたしのことを心配してくれてただけなのに」
「姉ちゃん……」
「ああ……せつ、な……雪菜……ぁ……っ、うぅ……」

秋菜は、母は。そんな愛娘の心からの言葉を受け止め、思わず涙を流す。
父は、晋も。目頭が熱くなるのを感じていた。しかし、少しだけ秋菜より冷静さを
保っていられたが故に、話を進める。

「……それで、3つめはなんだね?」

確かに雪菜は、【3つ謝りたい】と言っていた。であれば、もう一つ何かがあるわけで――
雪菜は、垂れていた頭をゆっくりと擡げ、そして父、母、弟と3人にそれぞれ
視線を投げかけてから言った。

「それでもやっぱり、あの時。春希くんを追い詰めたみんなを。
 まだ心から許しきれていない娘で、ごめんなさい」

そんな言葉を、笑顔で。――そう、笑顔で。その艶やかな唇から紡ぎだすのだった。

「っ!」
「雪菜……」

息を呑む秋菜と、それでも冷静さを保とうとする晋。
そんな2人を見て、孝宏がフォローに回る。

「父さん、母さん。勘違いしないでくれな。俺たちを許すために、姉ちゃんには
 もう少しだけ時間が必要なだけなんだ。俺たちを憎んだりとかじゃないんだって
 それだけは、判ってやって欲しい」
「孝宏……お前は、何か知っているのか?」
「あーうん、父さんたちよりは、ね。今日昼間、俺も家にいたからさ。
 先に姉ちゃんとは話した。んで、今みたいに謝られた」
「……」

半年前。晋も、秋菜も。まるで心の一部を抉り取られたかのような痛みを味わった。
しかし孝宏は、息子は。それだけでなく、肉体的にもダメージを負った。
それはもちろん、小木曽家では許されないこと――他人への、暴力――の代償で。
それでも、殴られた側は当然のこと、殴った方も。肉体的にも、精神的にも、無傷では済まない。
そんな息子が。家族では一番、雪菜に責められた孝宏が、姉の側に立っている。

「ありがとう、孝宏。お姉ちゃんのフォローしてくれて。
 お父さん、お母さん。わたしは、今日からまたあなた達の娘に。
 ワガママで、強情かもしれないけど。小木曽雪菜に、戻ります。戻らせて、ください」
「姉ちゃん……」
「っ、う……っ、ああっ、雪菜……っ」

孝宏も、秋菜も。そんな雪菜を否定できるはずもなく。
そしてそれは、父親である晋も例外では――

「……馬鹿なことを言うな」
「っ……」
「っ!? あなた!?」
「父さん!」

吐き捨てるように呟いた晋は、ほんの一瞬だけ天を仰ぎ。
そして、優しく、真っ直ぐに。雪菜を見据えながら。

「お前は、何があろうと。どんなことが起きようと。
 最初から。今までも、そしてこれからも。わたしたちの、愛する娘だ。……おかえり、雪菜」

――例外では、なかった。

第31話 了

第30話 小春日和(後編) / 第32話 それぞれの、家族のカタチ
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このページへのコメント

秋菜さんも晋さんも良かった〜。
丁寧に書かれますよね。
素敵です。

0
Posted by ushigara_neko 2016年08月31日(水) 01:26:48 返信

ここまで小春のキャラ掴めてるんだし小春ルートを書いて欲しいですね

0
Posted by ななし 2016年05月15日(日) 07:25:34 返信

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