小木曽家で何ヶ月ぶりかの和やかな時間が流れているちょうどその頃、
電車から峰ヶ谷のホームに降り立った小春の携帯が着信を知らせる。
携帯を開き、画面に表示された相手は――

「もしもし、杉浦です。こんばんは、曜子さん」
「あ、小春ちゃん? やっほー、元気?」

どちらが年上か判らないようなやり取りを交わす二人。
小春はホームのベンチに腰掛け、曜子の話を聞く体勢を作る。

「……今日はお元気そうですね。何か御用ですか?」
「そうなのよ〜、今日はなかなかに調子よくってね。自宅にいるんだけど……
 でも仕事の都合で美代ちゃんが不在してて、わたし一人で寂しいから話し相手が欲しくって、ね」
「つまり特に用件は無いわけですね」
「な〜に〜? 用事なければ電話しちゃいけないって法律でもあったかしらこの国には?」
「子供みたいなこと言わないで下さい……まったく」
「まぁ、半分はホントだけど半分は……そうね、久しぶりに小春ちゃんの声が聞きたくって……とか?」
「『とか』って言いましたよね? 間違いなく言いましたよね?」
「ありゃりゃん、小春ちゃん冷た〜い」
「そうやって茶化すくらいお元気だってことと、まったく本当に何の用事も無いわけではない
 ということは今ので察することは出来ましたが」
「……うーん、相変わらず鋭いわね」
「それはさておき、お一人で本当に大丈夫ですか?」
「ああ、それは大丈夫大丈夫。ここで『さびしいから遊びに来て〜』なんて言うほど
 ヤワじゃないわよ。そもそも、女子大生を呼びつけるには時間が遅すぎるのも知ってるし」
「ご配慮ありがとうございます」
「……って、あれ? もしかして話さておかれた?」
「ふふっ、気付かれちゃいましたか?」
「んもう、小春ちゃん時々容赦がないわね〜」
「すみません、今日は私、ちょっと機嫌が良いみたいでして」
「あら、なにかいい事でもあったのかしら?」

そこまで話して、ふと小春の脳裏に今日の出来事を曜子に話していいものかどうか
一瞬の躊躇いが生じた。だが、一瞬はやっぱり一瞬でしかなく。

「えっと……今日、小木曽先輩と……いえ、雪菜さんとお話する機会がありました」
「……そう。そうなのね」

途端にトーンダウンする曜子。

「あ、でも誤解しないで下さい。お話は、良い方向に進めることが出来たと思っています」
「え?」
「彼女は……雪菜さんは、やっぱり強い人でした。お電話ではなんですし
 内容は端折らせていただきますけど、北原先輩と冬馬先輩。お二人と、また
 お会いしたいと。日本に帰ってきて欲しいと仰いました」
「そんな……本当に?」

信じられない、といった体の曜子。電話で顔が見えない状況でも、小春には
曜子の戸惑いが感じられた。

「曜子さんなら、私がこんな冗談を言えるタイプかどうかご存知いただけてるかと思いますが」
「……そう、そうね。というか、小春ちゃんがここで『なーんちゃってー』とか言ったら
 ひっくり返る自信あるわ、わたし」
「そういうわけです。ですので、今後も私にできることをやらせて貰いたいと思います」
「ありがとう、小春ちゃん。……ああ、いえ、わたしのためにやってるわけじゃないのは
 勿論判ってるけれど。それでも、お礼を言わせてちょうだい。ありがとう」
「そんな、まだお礼を言われるような段階ではありませんから……
 それに、最初はともかく今となっては曜子さんのために、というのも
 まったくないわけではありませんよ?」

世界の冬馬曜子に感謝の言葉を贈られ、小春は少し照れ気味に返した。

「わたしの?」
「はい。以前お会いした時にも色々お聞きしましたけど、その上で
 曜子さんを日本に置いてまで逃げたあのお二人、というか冬馬先輩は
 娘として、病身の母親の傍にいてあげるべきだと思いますから。
 冬馬先輩が帰ってきてくれるのなら、それは曜子さんのためにもなるんじゃないでしょうか」
「小春ちゃん……あなたという子は……」
「まぁ、いらぬお節介なのかもしれませんが。今は、私の信じる道を行くだけです。
 見て見ぬ振りとか、できない性分でして」
「はぁ……ほんっと、ウチのバカ娘に小春ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだわ」
「それは申し訳ありませんが提供を辞退させていただきます」

笑いあう二人。小春は、近いうちに直接曜子と会ってまた話をしたいとの思いを抱いた。
そんな折、駅のホームに電車の到着を知らせるアナウンスが響いた。

「ん? 小春ちゃん、駅にいるの? ごめんなさい、てっきりこの時間だから自宅かと思って……」
「ああ、いえ、お気になさらず。私も曜子さんとお話したいと思っていたところですし。
 あまりにタイミング良すぎたので、私のバッグに盗聴器でも仕込まれてるのかと疑いましたが」
「え? ……そ、そんなことするわけないじゃないの〜」
「今タメましたよね? まさかとは思いますが…?」
「ホントにそんなことしてないわよ〜、そこまで堕ちてません」
「あははっ、信じてますよ……くしゅん!」

そんな暖かな会話とは裏腹に、季節はだんだん冬の訪れを感じられるようになっていて。

「あっと、ごめんなさい。外は寒いでしょう、早くお家に帰りなさい」
「そうですね、このお電話が終わったら真っ直ぐ帰ります」
「話しながら帰ったらいいじゃないの」
「携帯で通話しながら歩くなんてマナー違反だと思いますが?」
「ぐ……今時珍しい子め……」
「そうなんですよね、皆歩きながら携帯で話したりメール打ったりして……危ないと思うんですけれどね」
「いや〜……うん、小春ちゃんが正しいのだけれどね?
 っと、そうじゃなくて。それなら今日はこの辺で切り上げましょう。
 もし都合がつくようなら、またウチに遊びにいらっしゃいな」
「お誘いありがとうございます。私もまた曜子さんと直接お話したいと思っていますので、
 是非そうさせていただきます。あ、でも当分はバイトが詰まってるので少し先になるかもしれませんが」
「開桜社? あそこも人使い荒いわね〜」
「……私に仕事を回して貰えるのは、優秀な人材が一人抜けたせいなんですけどね?」
「ぐっ……」

小春の皮肉めいた――というか、皮肉そのものの――言葉に、遠からずその切欠を作った側の
曜子は言葉に詰まる。

「ふふふ、ちょっと厳しすぎましたかもしれませんね、ごめんなさい曜子さん」
「これでも開桜社に対してすまないって気持ちも持ってるんだから、あまり苛めないでよ〜」
「そこはちゃんと判ってますよ。大丈夫です、北原先輩の穴くらい、全部……とはいきませんが
 私にできる範囲で、埋めさせて貰いますから」
「……小春ちゃん、大学生なんだしあんまり無理しちゃダメよ?」
「それはお互い様です。曜子さんこそ、ちゃんと健康管理に気をつけて下さいね?」
「わかったわ、まだまだ小春ちゃんとも、そしてかずさとも。笑いあって生きていきたいし、ね」
「今日雪菜さんとお話したことも含めて、また直接お邪魔してお話します」
「ん、待ってるわ。それじゃあ、今日はこの辺で。気をつけて帰るのよ」
「ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」
「おやすみ〜」

そこで二人の通話は終わった。
ふぅ、っと小さな溜息を一つ。ベンチから立ち上がり、小春は歩き出した。

 明日は開桜社でバイトで……明後日はグッディーズか。
 っと、いけない。その前に大学の講義の予習しておかないと。
 ……あ、和泉先輩にも今日のこと報告しなきゃいけないな。
 それから飯塚先輩にも……曜子さんにも会いに行きたいし。
 あれ、やること多いなぁ……私。

漸く雪菜との邂逅を果たした小春だが、やることはまだまだ多い。
そんなことを考えながら、最後に今日あったことに思いを馳せる。

 雪菜さん……良かったの、かな。
 最後は笑顔を見せてくれて、一緒の方向を目指すことができて。
 きっと、まだまだ辛い思いは癒えないだろうけど。
 ご家族、ご友人、会社。いろんな柵があって、
 壊れてしまったものを一つずつ、一つずつ治して。
 私なんかより、これからの雪菜さんの方がよっぽど大変なんだよね。

 曜子さんにしたって、電話口ではあんな軽い口調だったけど。
 本当は病魔と闘って、一人娘は遠い遠いところにいて。
 工藤さんがいなくて寂しい、ってのは冗談めかして言ってたけど
 本当のことなんだろうな。
 母親にそんな思いさせちゃ、だめだよね。
 私も一人の娘として、ちゃんと両親に感謝しなきゃ。
 
 だから、私ももっともっと頑張らなきゃ。
 もう委員長……ではないけれども。それでも、私は。
 前を向き続けなきゃ……ね。不退転の決意、ってやつかな?

雪菜との結束を迎えられた今日の小春は、やっぱりどこか浮き足立っているようだった。
それでも、駅を出て真っ直ぐ家へと帰り着いたあたりは。
そして、帰り着いての第一声が、小春が小春でいることの証なのかもしれなかった。

「ただいま、遅くなってごめんなさい、お父さん、お母さん!」

第32話 了

第31話 家族 / 第33話 現場監督、その名は
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このページへのコメント

かずさファンて本当に怖いな

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Posted by 七紙 2016年06月07日(火) 13:45:08 返信

既にNさんも指摘されてますが
>曜子さんを日本に置いてまで逃げたあのお二人
という小春の2人を責めるフレーズ、度々出て来ているけれど実際は曜子さんが春希の懇願に頷かずにウィーンに付いて行かなかったっていう話なんですよね
もっと言えば元々ウィーンで暮らしていたのにかずさと一緒に暮らす事の出来るウィーンに戻ろうとせずに「最期は日本で」という自分の我侭を通したという事であり、2人はベストの望みでは本当なら曜子さんと離れるつもりすら無かったわけです。
更にメタ的に言えば春希とかずさを2人ぼっち他全て裏切った孤立状態にする為に無理やり物語上作られた不自然な言い訳とも言える……
そこを小春が責めるのは……まあ知らないから仕方ないという事にするしかないかな?

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Posted by 七誌 2016年06月06日(月) 21:24:50 返信

更新お疲れ様です。
雪菜も小春も家族の温もりを感じながら、進むべき道を定めたようですね。

しかし小春も雪菜も、娘として病身の母親の傍にいるべき、母を置いてきぼりなんて間違ってる、と信じているようですが、
親と同居して親の傘の下で守られ、未だに一人立ちできてないこの二人には言われたくない考えだなあとも思います。

幼い子を持つ親が病で死に瀕した時にまず心配するのは、
「自分が死んだら残されたこの子は一人で生きていけるのだろうか」
ということです。

親が病気だからこそ、親の保護下から離れて頑張り、親がいなくても生きていけるよう示すのも親孝行の一つの形だと思うのですが、甘えられる親や家族、親族に恵まれてる小春たちには受け入れられないのでしょうかね。

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Posted by N 2016年06月04日(土) 00:40:01 返信

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