「うわ〜。間近に見るとやっぱ凄えな〜」
「そうだね。写真とは全然迫力が違うよ」

 翌日、一行が訪れたのは沖縄の観光において外せないであろう場所。
 県南部の那覇市にある、首里城。

「でもやっぱり本土とは趣が違うよね」
「ああ、沖縄はどちらかといえば日本よりも中国の歴史を受け継いでるんだよ」
「だから他の城とは建物も城壁も少し感じが違うんだろうな」
「ああもう、どうでもいいから早く行こうよ」

 相変わらず孝宏が先頭を切って守礼門に向かって走り出した。

「あ、ちょっと待って」

 と、意外にも春希が呼び止めたので、孝宏も慌ててブレーキを掛けた。

「え、何?どうしたの北原さん」
「せっかくだから、門の前で皆で写真撮ろう」
「あ、それもいいね。じゃあ早く行こうよ」

 そして皆で守礼門の前に並んで。

「あれ?春希くんは?」
「今は俺が撮るから、後で頼むかもな」

 そして春希はカメラを構え、シャッターを切った。





「うわ〜、壁がきれいに並んでらぁ」
「やっぱり日本の城にある石垣とは違う感じだな」

 城壁の傍に立った一行が下を見下ろしながら一息吐いていた。

「海がきれいに見えるな、ここからだと」

 春希が海の方にカメラを向け、シャッターを押す。

「春希くん、こっちもお願い」

 雪菜が春希の母と並んで城壁を背に立つ。

「ねえ、春希くんも一緒に写らない?」
「……いや、俺はいいよ。じゃあ撮るぞ」

 申し出を断った春希がカメラを向ける。雪菜はほんの一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに気を取り直して笑顔を向けた。





 先に進むにつれ、徐々に雪菜の表情は曇っていった。誰も気付いていない程度のものであったが、春希を見る目が少しずつ険しくなっていったのだ。

「うわ、真っ赤だ」
「奉神門だな」

 奉神門は正殿への最後の門であり、首里城内でも歴史の古い場所である。

「入り口が三つもあるのね」
「真ん中の門は中国からの使者や高貴な身分の人たち専用の通路で、通常の役人は左右の通路を通っていたらしいですよ」
「へえ〜、そうなの」
「……春希くん、写真撮ろう?」
「え?また?」
「ほら、門の前に行って撮ろうよ?」
「でもちょっと」
「お母さんと一緒に撮ろうよ。せっかくなんだし」
「ちょっと待てって。今は俺はいいから」
「どうしてよ?さっきから春希くん、わたしや孝宏としか撮ってないよ」
「ちょっと料金払わないといけないし。これから奥は有料だから」
「そんなの孝宏に行かせればいいじゃない」
「……じゃあちょっと行ってくるから」

 そう言って春希は門の奥へ向かって行ってしまった。

「……んもうっ」

 春希のあまりにもあからさまな避け方に、雪菜もさすがに地団駄を踏んだ。





 そして正殿に辿り着いた頃に、それはついに決定的となった。正殿の御庭で写真を撮ろうとした時に皆で撮ろうということになったのだが、その時もやはり春希は自分で撮影を買って出たのだ。
 さすがに堪りかねた雪菜が抗議の声を上げた。

「どうしたの?春希くんも入ろうよ?」
「いやでも、他に撮る人もいないし」
「誰かに頼めばいいじゃない」
「そしたらその人が写らないだろう」
「でも今までだって、全員で撮ったの一回もないんだよ?」
「だからって、通りすがりの人に頼むのも悪いじゃないか」

 そして結局春希が集合写真に入ることは一度もなく、雪菜や孝宏と一緒に撮った写真だけになってしまったのだ。





 ……ホテルに戻り、夕食を済ませても、雪菜の表情が晴れることはなく、部屋へ戻ってからも、春希との間に気まずい空気を漂わせていた。

「……雪菜」
「……」
「なあ雪菜、悪かったよ。だからいい加減機嫌直してくれよ」
「……どうしてわたしに謝るの?」
「だって、雪菜がずっとお膳立てしてくれてるの分かってたのに……」
「……んもうっ。わたしじゃなくてお母さんに謝ってよね」
「どうしてだよ?何もしなかったのは向こうだって同じだろう?」
「だからってそうやって責任を全部相手に押し付けてばかりじゃ何もならないんだよ。今回だけじゃないよ、かずさのことだって……」
「それは……っていうか、今かずさのことは関係ないだろう?」
「同じだよ。かずさに揺れてたのも、お母さんに対して頑ななままなのも、あなたが自分の過ちから逃げてる点では変わらないんだよ」
「それは……」
「ねえ、どうなの?本当のところ」
「本当のところ……って?」
「春希くんは、本当にお母さんとの関係を良くしたいと思ってるの?」

 雪菜の問いに、春希は口籠ってしまう。すぐに答えなければ雪菜の望まぬ答えと捉えられてしまうと理解してるのに。

「……やっぱり、わたしの余計なワガママだったんだね」
「違う!そんなことは……」
「でも今、すぐに返事できなかったよね?」
「だって俺……今の自分の気持ちが、よく分からないんだ」
「……え?」

 一呼吸置いて、春希は心の内を告げ始めた。

「正直言って、今かずさのこと持ち出されてドキッとした。だって俺、未だにかずさを忘れられないんだから。今でもあいつに対する想いが色褪せてはいないんだよ」
「そうなんだ……」
「驚かないんだな……」
「そうだよ。だって春希くんの中のかずさへの想いは消えないって分かってるもん」
「でも、俺には雪菜しかいない。それは間違いない。プロポーズの時にも言ったけど、俺が女性として愛してるのは雪菜だけだ」
「うん……」
「でもそれじゃあ駄目だって分かってるんだ。かずさのこと、いい加減けじめ付けなくちゃいけないって」
「春希くん……」
「かずさのことが頭から離れてくれないから、雪菜を悲しませてしまうって悩んでる状況なのに。今までずっと無関心だった母親のことをどうやって改善できるんだよ。自分の気持ちの行き場が、見付からないんだよ……」

 とうとう春希は頭を抱えてソファーの上で蹲ってしまった。その身体は震え、怯えとも悲しみとも取れる様子だった。
 雪菜はしばらく春希を見詰め、そっと肩に触れた。春希はハッと顔を上げ、微笑む雪菜に縋るような眼差しを向けた。

「春希くん。お散歩、しようか」
「雪菜……?」





「ほらほら春希くん、早く早くっ」
「こら、待てって雪菜」

 あれから二人はフロントにキーを預けて外に出た。そして砂浜に出てから雪菜が服を脱いで水着になり、春希を半ば強引に海に連れ込んだ。

「ほら、春希くんも脱いじゃいなよ」
「……ああもう、分かったから引っ張るなって」

 そして春希も水着姿になり、雪菜と波打ち際に入っていった。
 ……一通りはしゃいだ後、二人は岩陰に移り、肩を寄せ合いながら座り込んだ。

「はあっ。少し疲れたな」
「昨日はあんまり遊べなかったもんね」
「雪菜は昼寝したからだろう」
「んもうっ。意地悪っ」

 少しは気持ちが落ち着いたのだろう、春希の表情も先程よりは穏やかになっていた。

「考えてみれば、今回の旅行で本当に楽しめたのが今が初めてなんてな」
「春希くん、ずっと考えっ放しだったもんね」
「ああ。でも考えれば考えるほど悪い方に進んじゃって。何とかしなくちゃって考えてまた悪い方へ……堂々巡りだ」

 春希が思い詰めたように遠くを眺めている。そんな春希の肩に雪菜がコトンと頭を乗せた。

「本当、春希くんの悪い癖だよね、そうやって何でも一人で考え込んじゃうの」
「雪菜……」
「今までだってずっとそうだったじゃない。一人で抱え込んで、何でも一人で決めちゃって。そして全部一人で背負いこむのが責任だ、みたいに考えて」
「ははっ、厳しいな」
「でもね、春希くんだけで背負う必要があるものは、わたしだけでいいんだよ?わたし以外のことはあなただけで背負う必要なんてないんだから」
「雪菜、だけ……?」
「そう。わたしのことだけは他の人たちに背負わせて欲しくはない。でも、他のこと……かずさやお母さんのことはわたしも一緒に背負ってあげる。だってわたしたち、もう一人でいる必要はないんだもん」
「そう、か。そうだよな。俺たち、もう一人と一人じゃない。二人でいられるんだもんな」
「そうだよ。何も難しく考えなくてもいいんだよ。一人で悩んで出した結論が良くない結果を導き出すことは、あなたが一番よく分かってるじゃない」
「そうだったな。かずさのことで思い悩んでた時もそうだったよな。なのに俺、また同じ間違いを繰り返しちまった……」
「いいんだよ。間違いだって気付けば。そして気付いてそれを正すことができれば」
「ああ。やっぱり俺、雪菜がいないと駄目だな」

 春希はそっと雪菜の肩を抱き寄せた。雪菜はますます甘えるように春希に身体を寄せる。

「かずさのこともそう。忘れることはないんだよ」
「でも俺、雪菜を、雪菜だけを」
「春希くんの気持ちは嬉しいよ。でも、かずさのことを忘れてしまったら、わたしたちが過ごしてきた全ての時間を捨ててしまうのと同じ。わたしたちの幸せは、かずさがいてこそ辿り着けた幸せなんだよ」
「かずさがいたから、か……」
「わたしたちは三人で始まったんだもん。わたしは決して忘れない。わたしたちが過ごした時間を否定することと同じだから」
「そうだな。何があっても、俺たちが三人で過ごしたことは、誰にも否定できない……いや、させてはいけないんだ」
「だから、あなたはかずさを忘れてはいけない。もしそれが苦しいのならわたしも一緒に苦しむから。あなただけに背負わせないから」
「雪菜……」
「お母さんのことも同じ。わたしも背負うから。あなただけが苦しむことだけはさせない。わたしにならいくらでも弱音を言っていいし、苦しみや悲しみをぶつけてもいいんだよ。あなたの心の内を、わたしも分かち合いたいから」
「ありがとう、雪菜……」
「でも、それだってあなたが頑張る意志がないと駄目だからね。春希くん自身で頑張らないと、先には進めないんだよ」
「うわ、このタイミングでそう切り返すか」

 春希がガクッと肩を落とし、雪菜は春希の肩に枝垂れかかるようにしがみ付いた。

「つまり、考え込むくらいならまず動こうってことだよ。動けばそれがきっと行く先を切り開いてくれると思うから」
「はは、前向きだよな雪菜って。羨ましいよ、本当に」
「春希くんにはそれくらいがちょうどいいと思うんだ。慎重に考えてから動くのも必要だと思うけど、春希くんはそれが過ぎるから。
 ご飯だって一度に食べ過ぎたらお腹壊すし、薬だって効き過ぎたら副作用があるし、親切だって行き過ぎたらお節介だし」
「喩えに皮肉が混じってる気がするのは気のせいかな……?」
「だから、今の春希くんの気持ちでお母さんに接すればいいと思うよ。無理やりな気持ちで接したって先には進まない。今のあなたの気持ちを正直にぶつければ道は開けるよ」
「そうか、な……?」
「だからわたしがいるんだよ。一人で先に進めないのならわたしも一緒に頑張る」
「本当か?」
「うん。あなたが幸せになれるのなら、わたしはいくらでも頑張れる。それが皆を幸せにできるための最初の一歩だと思ってるから」

 雪菜が膝立ちになり、春希を胸に抱き締める。春希も雪菜の腰に腕を回し、ギュッと力強く抱き締めた。

「……雪菜……」
「大丈夫だよ。わたしはずっと側にいるから」
「……ありがとう、雪菜……」

 春希の身体が震えるのが感じられる。雪菜は春希の頭を優しく撫でながら囁いた。

「……いいよ、春希くん」
「……雪菜?」
「泣いていいよ」
「え……?」
「我慢しなくていいんだよ、泣きたい時に泣いていいんだよ」
「でも、でも俺……」
「いいんだってば。泣いても」
「俺が、ずっと俺の方が雪菜を泣かせてばっかりだったのに、俺が……」
「そうだよ。わたしが泣きたい時に泣けるようになれたのもあなたのおかげ。だからわたしも、あなたが泣きたい時にこうして包み込んであげたい」
「雪菜ぁ……」

 春希の震えがどんどん大きくなる。雪菜を抱き締める力も強くなっていく。

「雪菜、ごめんな。雪菜、ありがとう」
「いいよ。今ここには誰もいないし」

 雪菜が春希の額にそっと口付ける。それを受けて春希が再び雪菜の胸に顔を埋めた。

「うっ、うわああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 春希がとうとう堰を切ったかのように雪菜の胸で号泣する。雪菜は瞳から一筋涙を流しながらそっと春希を包み込んだ……。





 ……ひとしきり叫んだ後、ようやく春希は正面から雪菜を抱き締める。

「ごめん、みっともないとこ見せちゃって」
「ううん、みっともなくなんてないよ」
「俺、頑張んなきゃって思ってた。雪菜だって俺に裏切られても頑張ってたんだから。歌を取り戻して、かずさとも向き合って。
 だから俺も弱音を吐いちゃいけない、泣き言を言っちゃいけない……って。俺も強くならなくちゃいけないって」
「春希くんが頑張ってるのは分かるよ。あの時からずっとわたしたちと向き合ってるの、伝わってるから」
「ああ……」
「でもね、辛かったり苦しかったりしたら、泣いてもいいんだよ。泣きたい時に泣くことができるのも人としての強さなんじゃないかな?」
「そうなのかな……?」
「だって、泣きたい時に泣けないなんて、嘘を吐いてるのと同じなんじゃないかな?自分の気持ちを誤魔化してるってことだもん。だからね、正直なこと言うと、今春希くんが泣いてくれてとっても嬉しかった」
「嬉しかった……?」

 春希としてはみっともないとしか思えない自分を見せてしまったのに、雪菜は嬉しいと言った。春希は首を傾げるばかりだった。

「だって春希くん、わたしの前で泣いたことなかったから」
「だってそれは、雪菜を困らせたくなかったから」
「でもね、やっぱりわたしとしてはもっと春希くんに甘えて欲しいなって思ってた」
「お前の方こそ俺に甘えたがってたのに、か?」
「そう。春希くんにも自分の弱いところをわたしに見せて欲しいって思ってた。だってそれが春希くんの本音なんだって」
「俺の……本音?」
「誰かに頼りたい時に頼れないなんて、自分の気持ちを隠してるだけじゃない。わたしにはそんなふうに隠して欲しくない、もっとあなたの心を曝け出して欲しいって思ってる」
「そうか……」
「だから、やっと会えたよ。自分の心を剥き出しにした、本当の春希くんに」
「本当の俺……。自分の弱い部分をお前に見せることができた俺……」
「ずっと会いたいって思ってた春希くんに、やっと会えたんだね、わたし」
「そうか……何だか全部が一つに繋がったような気がするよ」
「そうなの?」

 今度は雪菜が首を傾げる。

「かずさや母親との関係を何とかしなくちゃって躍起になって。雪菜が頑張ってくれているんだから俺も頑張らなきゃって肩肘張って。辛くても心配掛けちゃいけないって泣くの堪えて。
 ……そうか。ずっと俺は周りに対しても自分に対しても素直になれなかったんだな」
「春希くん……」
「雪菜……やっぱり俺には雪菜が必要だ。お前が俺の心を解かしてくれた。素直になることの大切さを教えてくれた」
「良かった……。ありがとう春希くん」
「お礼を言うのは俺の方だよ。ありがとう、雪菜」

 二人は改めて正面から抱き合い、ゆっくりと唇を重ねた……。

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