「……春希?」 
「正確にはこの場所でってわけじゃないけど、ここが始まりになったのは確かだよ」
 
 春希が視線を滑らせて周囲の景色を瞳の中に取り込んでいく。
 先程かずさが言ったようにまだ雪は降っていないが、そこにある光景はクリスマスの夜と変わらないものだった。
 夜の帳の中に広がる冷たくて澄んだ空気。街灯の下には木製のベンチが立ち並び、身を寄せ合う恋人達の姿が目に飛び込んでくる。静寂の中で微かに響いてくるのは波の音だろうか。
 遠く高層ビルの明かりが水面に綺麗な星空を描いていた。
 あの時と違うのは、春希の目の前にいるのが小木曽雪菜じゃなく冬馬かずさだということ。
 
「――」
 
 大晦日の夜に春希の部屋で、彼は雪菜に拒絶されたという事実をかずさに伝えていたが、それがどういった経緯でもたらされたのか詳細には話していない。
 かずさもそのことについて殊更深く詮索しようとはしなかった。春希も忙しいことを理由に話すのを先延ばしにしていて――それが一種の逃避であることに気づいていたが、目の前にある幸せを優先するあまり、語る機会を作ろうとしてこなかったのは事実だ。
 かずさと再会して、気持ちを確かめあって、幾度身体を重ねても、それでもやはり小木曽雪菜という名前だけは避けて通れない。
 それが春希の、ひいてはかずさの共通の認識である。
  
「……聞いて、くれるか?」
「うん。聞くよ。……聞かせて」
「ありがとう」 
 
 かずさが小さく頷いたのを見て、春希がゆっくりと口を開いていく。
 雪菜に拒絶された日のこと――あのクリスマスの出来事を語るには、まず空白になっている三年間を語らなければならない。
 春希はまずかずさと別れてからどういう時間を過ごしてきたのか、その時に雪菜と自分がどういう関係になっていたのかを話した。
 
「……転部?」
「ああ。雪菜と距離を置くために春から文学部に転部したんだ、俺。だから政経から転部して去年の秋頃まで、ほとんど顔を合わせることも無かった。たまにすれ違っても話もしなかったよ」
「どうして? あたしは……向こうであたしはさ、お前と雪菜は仲良くやってるんだろうって……そんなことばかり考えてたのに……」
「やっぱり辛かったから、かな。どうしても雪菜と一緒にいると三年前を思いだしてしまう。俺が傷つけてしまった雪菜と、離れてしまったお前のこと、どうしたって思いだしてしまうから」
「春希……」
「けどそれ以外は結構うまくやれてたんだぜ? 転部して新参者になっちゃったけど周りとも軋轢作らずにさ」
「どうしてかな。不思議とそれは想像できるよ。きっとお前から色々お節介を焼いたんだろ? 高校の頃みたいに」
「まあ、な。でもゼミにめちゃくちゃ馴れ馴れしい奴が一人いてさ。そいつのおかげで周囲に馴染めたって部分もあるよ」
 
 ――和泉千晶。
 
 彼女がいたからこそ春希は、周囲から孤立することもなく迅速に周りとの距離を縮めていけた。時に寂しさで挫けそうになった時も、彼女の明るさが助けになってくれた。
 千晶の側にそうする理由があったのだとしても、春希の為になった事実は変わらない。
 
「それで夏には開桜社で働くことになって一気に生活スタイルが変わったんだ。幾つもアルバイト掛け持ちしてたから、もう寝る暇もないくらい忙しくて」
「確か出版社に塾の講師のバイトだっけ? それでたまにファミレスのヘルプに入って、そのうえ本業が大学生? 幾らなんでも自分を苛めすぎだろ」
「動いてると余計なこと考えなくても済んだんだよ。でもある人にはキッチリ本質が見抜かれてた。――忙しさにかまけて逃避してるだけだろって、面と向かって言われたよ」
「……それってお前がいつも言ってる、例の“麻理さん”か?」
「いつもは言ってないだろ? けど、当たりだ。――そうそう。お前の記事を俺に書くチャンスを与えてくれたのも麻理さんなんだ。そういう意味でも恩人になるのかな?」 

 ――風岡麻理。
 
 もし彼女が春希にかずさの記事を書くことを提案しなければ、この時に二人の再会は無かったかもしれない。
 あの記事が無ければ曜子が彼に興味を持つこともなく、コンサートのチケットを春希に送ろうなんて思いつくことも無かったろうから。
 
「……恩人、か」
「迷ってる俺に“素直になって何が悪い”って啖呵切って、背中を押してくれたのも麻理さんだよ」 
 
 言葉以上に麻理が春希に与えた影響は大きく、彼は大学を卒業したらそのまま開桜社で働きたいとさえ思うようになっていた。
 いつの日か自分も彼女のようになってみたいと。

「本当はバイトになんかさせるような仕事じゃなかったんだ。けど俺にならできるって……」 
「読んだよ、お前が書いた記事。――最初はさ、なんて酷いことを書く記者なんだって憤ったりしたけど、すぐにお前が書いた記事なんだって気づいた。あんなにあたしに詳しい奴なんて春希しかいないもんな」
「……読んで、どう、思った?」
「だから言ったろ? 憤ったって。幾ら本当のことだからって、もうちょっと書き方ってもの無かったのかよ?」
「そういう風に書いたら麻理さんに突っ返されたんだよ。だから開き直って、俺が知ってる、俺が憧れてた冬馬かずさをそのまま記してやったんだ。……嘘みたいだけど、結構評判良いんだぜ、アレ?」
 
 日本に到着したかずさに曜子が最初に見せたものこそ、春希が書いた冬馬かずさの特集記事だ。
 彼女自身が表紙を飾る音楽雑誌。もうそれに幾度目を通したか、かずさ本人ですら覚えていない。
 無礼な物言いに憤慨して、真実に気づいて驚き、懐かしい口調に切なくなって、筆者の変わらなさに嬉しくなって。
 涙が自然と零れたこともある。放課後の教室を思いだして笑ったこともある。
 本当に色んな感情をかずさの中から引き出したあの雑誌は、今でも彼女の鞄の中に大事にしまわれている。
  
「本当に嘘みたいな話だよなぁ。あの頃は誰にも理解されなくて、誰からも疎まれてたあたしが、春希の記事を通したら受け入れられるなんて。冗談にしても出来すぎだ」
「だってお前不良だったじゃん。サボってばっかりでろくに授業も聞きゃしなかったし、先生に反抗してばっかりで」
「ふん。言ってろ。あたしにとって授業なんてのはまるっきり意味のないものだったんだ。ただ放課後だけが待ち遠しかったよ」
「その所為で俺がどれだけ苦労したか知ってるか? 何度職員室に足を運んだと思ってんだよ」
「別に頼んでない。春希が勝手にあたしに構っただけだろ?」
「そうだけどさ……それでも少しくらい協力してくれても良かったのに」
「協力ならしたじゃないか。放課後の第二音楽室からお前のギター、導いてやったろ?」 
「それとこれとは話が違うの。今はかずさの素行のことを話してて――」
「あー、はいはい。全く、そういうところ全然変わらないよなお前。融通利かないし、こうと決めたらトコトン真っ直ぐで。眩しいくらいに……うざい奴だ」
 
 うざいと口にしながらも、かずさの表情はとても穏やかで、対する春希も楽しそうに笑顔を浮かべていて。
 昔と同じようなテンポで交わされる会話。
 そこに相手に対する親愛が含まれているからこそ、互いに軽口を叩き合うのが心地よいのだ。
 
「けど本当言うとさ、俺だけが知ってる冬馬かずさを世間の衆目に晒すっての、抵抗があったんだ。でも記事を書いている間はお前に触れていられるような気がして……酷い裏切りをしてるって知りながらも手が止まらなかった。モニターの前でニヤニヤ笑ったり、泣いたり百面相しながら、一心不乱になって、書いた」
「裏切りだなんて思わない。だって幾ら昔のあたしが受け入れられたって、今のあたしが認められたって、そんなの何の意味もないんだ。今も昔もあたしはさ、ずっとお前しか見てないんだから」
「かずさ……」
 
 自分しか見つめていない。そうかずさに言われ春希は、嬉しさで一気に胸が熱くなった。離れていた間も自分を思ってくれていた。そんな彼にとって夢みたいな現実を聞かされて喜ばないわけがない。
 でもそれと同時に、ほんの少しだけ切なくもなる。
 冬馬かずさという素晴らしい才能が世間に認められる、彼女が周りに必要とされる世界があることに、彼女自身が全く興味を示さないことに悲しくなるのだ。
 
「……少し、話が反れたな」
 
 だから春希は話の道筋を戻すことで心の均衡を保とうとした。
 散々に心を乱したままで彼女に話の続きを披露すると、相当みっともないことになると思ったから。
 
「まあ無理しすぎってのもあったけど、塾の講師を辞めることにして――秋ごろだったかな? 大学の構内ラジオで懐かしい曲が流れ始めたんだよ」
「懐かしい曲?」
「うん。題名は――届かない恋。俺とお前と、そして雪菜の三人で作った、あの曲だ」
 
 その頃に春希は初めて杉浦小春という少女に出会う。
 付属の学生――ちょうど春希とかずさの後輩に当たる少女は、友人を泣かせた春希を問い詰めるために単身大学まで乗り込んできた。
 武也をして小春希と言わしめるお節介な少女は、勢いそのままに雪菜と春希の仲を取り持とうと奮闘して――
 
「届かない恋って、なんで……?」 
「誰かがわざわざ大学に持ち込んでくれたらしい。あの曲を聴いたの、三年ぶりだったよ」
「三年ぶりって、雪菜……は?」
「彼女はもう歌わない。絶対に自分から歌おうとしないんだ」
「ッ!?」 
「だから俺、必死に聞こえないフリしてた。でも構内にいれば否応なしに耳に飛び込んでくる。あの曲を聴くだけで……心が無理やりにでも三年前に引き戻されるってのに」
 
 かずさを想って春希が詩を書き、そのかずさが曲をつけ、出来たフレーズを雪菜が歌う。
 三人がまだ三人でいられた最後の瞬間を記録した歌声は、もう二度とあの頃には戻れないんだという現実を、ただ春希に向かって無残に突き付けてくるだけだ。
 
「――雪菜、綺麗になったよ。三年前も美人だったけど、年を追うごとに綺麗になっていった。可憐で可愛らしい、誰もが目で追うような女になった。……お前に負けないくらいに、な」
 
 ミス峰城大付属を連続受賞した頃より更に衆目を集めるようになった雪菜は、当然の如く多数の男たちからアプローチを受けていた。
 だが彼女はそれら全てを歯牙にもかけず、相手にもしない。
 ただずっと春希の近くにいて、彼の為の小木曽雪菜であろうと勤めていた。
 酷く彼女を傷つけたのに、憎まれて当然のことをしたのに。そんな春希の思いを一切肯定せず、寄り添いながら寂しそうに笑う雪菜。
 それが春希には堪らなく辛かった。
 
「雪菜が笑顔を向けてくれる度に胸が痛んだ。側にいてくれることに罪悪感を感じてたし、憎んでくれないことに憤ってた。どうして俺を許そうとするんだって、どうして俺に優しくするんだって、ずっと思ってた。だから――俺は彼女の前から姿を消したんだ」
 
 苦い表情を浮かべる春希と同じように、かずさもまた唇を噛んでいた。
 だって世界中で彼女だけは、この春希の痛みが分かってしまうから。
 
「けど疎遠になってしまった俺と雪菜をもう一度結びつけたのは、お前だよ」
「え? あたし……が?」
「お前がトラスティで準優勝した記事がこっちの雑誌に載ってさ、そのことで雪菜から連絡が入ってきて、俺からコールバックして。……ああ、そうだ。その時に雪菜が言ってた。――嫌われても、憎まれても、かずさのことが変わらずに好きだって」
「……そんなの、逆だろ。どうしてあたしが雪菜を嫌うんだ? 嫌われるのも、憎まれるのも、あたしの役目じゃないか……っ」
「残念ながら雪菜はそんなこと微塵も思ってない。どこまでいっても果てしなく優しい奴なんだ。本当、残酷なくらいにな」
 
 もし雪菜が春希に罰を与えていたら。もし春希がもう少し器用に生きていけたのなら。かずさにもう少しでも勇気があれば。
 この三年間の関係は全く違ったものになっていたに違いない。
 けれど、そうはならなかった。
 
「俺達の間に決定的な事態が起こったのは去年のクリスマス。もう一度やり直そうって決心して、二人で会って……でも最後には…………雪菜に拒絶されたんだ」
「それがわからないんだっ。なんで雪菜がお前を拒絶するんだよ? そんな理由なんてどこにも――」
「あったんだよっ! 俺が吐いていた嘘が見破られたからさ。俺がかずさをずっと想ってるって看破されたからだよっ!」
「っ……!」
「酷い話だろ? でもあの頃の俺も限界だったんだ。自分に嘘を吐いてでも前に進みたかった。お前、遠いところにいたし、もう二度と会えないって思ってた。……そうすることが、雪菜のためだって誤解して……っ」

 春希の脳裏にあの時の情景が蘇ってくる。
 バスルームで覚悟を決め彼が室内に戻った時、雪菜はベッドに腰掛けたまま春希に背中を向けながら俯いていた。
 明らかに雪菜の様子が変わっている。ほんの少し前まであんなに楽しそうに笑っていたのに。けれど自身の感情を抑制するだけで精一杯だった春希はその理由がわからない。
 だから雪菜を気遣って優しい声音で問うた。しかし返ってきたのは、頬を張り倒された鈍い痛みだけ。
 
『――あなたは何年経っても、わたしに嘘をつき続けるんだね』 
 
 振り返った雪菜の赤く腫れた瞳が、ベッドの上にあったかずさが表紙を飾っているアンサンブルに注がれていた。
 
『こんな想いを込めたラブレター見せつけられて、わたしはどうやって納得すればいいの……?』 

 忘れられないかずさへの想いを嘘で塗り固め、自分を殺して生きていく。
 ただ雪菜のためだけに。
 その春希の決断がまた雪菜を深く傷つけてしまった。
   
「……俺、いつも間違える。良かれと思って出した答えが、誰かにとっての最悪になるんだ」 

 春希は拳を握りしめて、心の奥底から襲ってくる罪悪感に必死に耐えた。
 思い出すだけで辛くなってしまう出来事を、今からかずさに話さなければいけないのだ。
 彼女に話すことで前に進むことが出来る。口にすることで区切りを一つ付けることができる。そうすることでもう一度雪菜と向き合うことができる。
 かずさに知ってもらうことで、もっと彼女に近づくことが出来る。
 そう信じて。
 
「――」 

 かずさだけを視界に捉え、誇張することなく話していく。
 あの時の自分がどういう感情を抱き、どういう選択をしたのか。最終的に何が原因で雪菜に拒絶されたのかまで春希は詳細に語っていった。
 今更嘘を吐いてどうなるものでもない。
 客観的に見たら酷い裏切り行為に見えるかもしれない事実だが、前に進むためには正直に話すしかなかった。
 かずさも余計な口を挟む事なく春希の言葉を聞いている。
 そして彼が全てを話し終えた頃合で
 
「……離してくれ、春希」
「え?」
「腕、痛いんだ。そんなに強く握られると痣になる」
 
 春希の目線が自身の右手を伝いかずさの右腕へと到着する。そこにあったのは、彼女の左手首を握り込んでいた自分の手。
 彼女に言われるまで春希は、かずさの手首を握りこんでいたことに気づかなかった。
 手を繋ぐのではなく、掴む。
 それも強く、強く、握り込んで離さない。そのことをかずさに指摘され、やっと春希は少しだけ掴んでいた力を緩めた。
  
「ご、ごめん……」
「もしかしてお前、あたしが軽蔑するとでも思ったのか? 今の話を聞いて、お前のこと酷い男だって罵るとでも思ったのか?」
「そんなこと――」
 
 可能性の一つとして彼が考えないわけが無かった。
 客観的に見れば、雪菜にフラれてしまったからかずさに乗り換えたと取られてもおかしくはないのだ。
 例え真実は真逆だとしても――三年前と“同じ過ち”を繰り返してでもかずさのことを選んでしまう。こうして彼女に再会した今、そのことが紛れも無い事実だって認識できてしまうからこそ、春希に口にできるはずがない。
 だから、言葉にする変わりに彼女の腕を掴んでしまっていた。
 もう二度と離れ離れになんてなりたくなかったから。
 
「逆だ」
「え?」 
「うん。やっぱり雪菜は強いよなぁ。あたしには逆立ちしたってそんな選択できそうにない」
「かずさ……?」
「大好きな人が振り向いてくれたのなら、あたしだったら嬉しさで胸がいっぱいになって余計なことなんて考えられない。たとえそれが嘘の言葉だったとしても、きっと求めてしまうと思う」
「お前、なに、言って……」
「あたしが酷い女だって話だよ春希。――ずるくて、卑怯なんだ」
 
 かずさの心の中には雪菜に対しての罪悪感が確かにあった。
 自身が原因となって春希を拒絶せざるを得なくなってしまったこと。三年前に彼女を深く傷つけてしまった責任もある。
 雪菜が歌えなくなったと春希から聞かされた時には激しく動揺もした。
 だけど、それら全てを上回って有り余るくらい、春希への熱い思いで溢れている。その感情を消してまで誰かを思いやる余裕なんてかずさには無いのだ。
 だから自分がずるいと罵る。自分が卑怯者だと理解している。
  
「だって春希と雪菜の間にあたしが入り込む隙間なんてないもんな。三年前にあれだけ雪菜のこと傷つけて、それでも二人が結ばれなくて良かったって本気で思ってるんだよっ! 春希があたしを求めてくれる。好きだって囁いてくれることが嬉しいんだ!」
「そんなの、俺だって――」
「だからさ、酷いのは春希じゃなくてあたしなんだ。大好きな雪菜を傷つけてでも春希に傍にいて欲しいって願ってしまう、強欲で恩知らずなあたしが悪いんだ!」
「違うっ! 悪いのは全部俺だよっ。三年前のことも、クリスマスの夜も。いつだって俺が悪かったんだ。かずさが気に病むことなんてなにもないっ!」
 
 一瞬彼の脳裏に、いつかの千晶の言葉が蘇ってくる。
 北原春希と冬馬かずさは共犯なんだと。
 一緒になって一つの罪を犯したんだと、そう言った彼女の言葉が。
 
「でも、それでも俺、お前のことが好きだから……誰にも渡したくないって、俺だけのものにしたいって……」
「なら一緒に背負わせてくれよ。春希の罪をあたしにも背負わせて。その代わりにさ、春希もあたしの罪を背負って……よ」
「ああ、背負ってやる。お前の全て、背負ってやるさっ」
「は、春希ぃ……」
「かずさッ!」
 
 春希は掴んでいた腕を強引に引き寄せると、かずさを腕の中にしまいこんだ。
 それから左手を彼女の腰に回してきつく抱きしめる。
 
「……なあ、春希。今でも雪菜のこと、好きなのか?」
「好きだよ。大切だって、特別だって思ってる。当たり前だろ……」
「だよな。あんないい女、他にいないもんな」
「けど、世界で二番目だ」
 
 彼の腕の中でかずさが身動ぎ、必死に首を動かしながら目線を合わせようとする。
 キスをねだる仕草。
 そのことに春希も気づき、少しだけ拘束を緩めて……でも、そのままかずさの肩に手を置くと少しだけ距離を離した。
 
「……えっ?」
「ごめん。実はもう一つだけ大事な話があったんだ」
「もう一つ? 大事な……話?」
「うん」 

 ねだったキスを反故にされてしまったかずさが困惑顔で立ち尽くす。
 
「正直、今更こんなこと言うなんて俺も恥ずかしいんだけど、でもやっぱりハッキリさせときたかったから」
「な、なんなんだよぅ。不安になる言いかたするな……」
「かずさにとっても良い話になると思う。……たぶん、だけど」 
  
 照れ隠しの為に軽く咳払いをしてから、春希が佇まいを正していく。
 その姿勢はまるでお見合いを控えた参加者のように折り目正しくて、否応なしに見つめられる立場のかずさの緊張感を煽っていった。
 二人が同時に唾を飲み込む。
 そして――
 
「――かずさっ! 俺と付き合って欲しい。ずっと俺の傍にいて欲しいんだ」
「……………………えぇっ?」
「俺さ、世界で一番お前のことが好きだ。三年前からずっとかずさに恋してた。お前のこと、俺以外の誰にも渡したくないんだよ」
「お前……春希ぃ。い、いったい何度あたしのこと抱いたと思ってるんだよ? そんなの……言われるまでもなく織り込み済みに決まってるじゃないか……っ」
「俺もだよ。でもきちんとした言葉で伝えたかった。愛してるって、この先もずっとお前を守っていくって、形にしたかったんだ」
「っ……!」
 
 これは一種の儀式。
 二人が恋人同士になる、なったと世間に向かって胸を張れるようになる為の行為。
 もちろん改めてこんな儀式を行わなくても、二人が愛し合っている事実に変わりはない。けれど久しぶりに再会し、一気に気持ちが溢れ親密な関係になってしまった二人にとって、この行為は意味のあるものになる。
 三年前に愛し合いながらも別れるしかなかった二人だからこそ、春希は拘った。
 
「自分でも馬鹿だって思うよ。順番まるっきり逆だもんな。でも俺の口からちゃんとした言葉にしてお前に伝えたかったんだ」
「あ、はは……。お前、あたしを泣かせる趣味でもあるのか?」
「なんで、泣くんだよ?」
「嬉しいからに、決まってるだろっ」
 
 少しだけ離れていた距離は、どちらからともなく近づくことで零になる。
 目線を絡ませ、見つめあいながら、春希はそっと腕を伸ばし、かずさの髪を束ねていたコームを手に取った。
 
「あ……」 
 
 束ねられていたかずさの髪がコームを失うことで広がり、元のロングヘアーへと戻っていく。
 その隙に春希はかずさの腰に腕を回し込むと、やや強引に彼引き寄せ、強く抱きしめた。かずさもまた春希に応えるように彼の背中に腕を回すと、乱暴な仕草で撫で上げていく。
 
「かずさっ!」 
「は、春……んぅぅ、んむっあっ……」
 
 そうすることが二人にとって自然なんだという風に、激しく唇と舌を絡めあう。
 寄せ合った身体を睦みあわせる。 
 
「はぁ、ん、あぁぁ……わかるか春希? あたしの胸が今どれだけ高鳴っているか? どれだけあたしが幸せを感じてるか?」
「わかんないよっ。だからもっとくっつけ。俺に身体を寄せろよ」
「無理、言うなぁ。もう近づけるスペースなんてどこにもないじゃないか」
「それでもだ」
「……あぁ」
  
 ここが路上であることも忘れ、互いを激しく求め合う二人。
 この後の予定は、レストランで食事して、ショットバーでお酒を飲んで、二人並んで家路につく。その過程が今、全て吹き飛んでしまった。
 キスだけじゃ我慢できない。
 抗えないくらい、二人ともそう思ってしまったから。
 
 

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