温度を高めに設定した熱めのシャワーを一気に頭から浴びていく。
 室内とはいえ真冬のバスルームは冷え切っていて、熱いシャワーとの寒暖の差が春希の身体を容赦なく刺激した。
 湯船に湯を張って暖めてから入ることもできたが、コンビニに行った千晶が戻ってくるまでそれほど時間はかからない。だから春希は熱を使って一気に意識を覚醒させ、この後に備えておこうと思っていたのだ。
 たぶん長い話になるだろうからと。
 
「……」 

 頭の中で考え事をしながら、洗髪からの全工程を淀みなくこなしていく。
 物事を順序だてて組みたて、そこから行動に移していくのは春希の得意分野だ。だからバスルームを出た後で時計を確認し、想定通りの時間で戻ってこれたことに満足する。
 まさか半裸で千晶を迎えるなんて情けない真似は避けたかったから。
 
「ふう。朝からビールってわけにもいかないよな」
 
 春希はそう呟きながら、冷蔵庫からウーロン茶を取り出しグラスに注いだ。
 千晶なら全然OKしそうな提案ではあるが、これからする会話の内容を思うと飲む気にはなれなかった。
 別に話すのが億劫だというわけではない。アルコールを摂取して饒舌になりすぎるのを恐れたのだ。
 
「軽くする手伝いくらいはさせてくれ、か。……ったく。何処まで俺を甘やかせば気が済むんだ、あいつは」
 
 春希の周りの人間で彼女ほど彼を甘やかす存在も珍しい。
 武也や依緒は基本的に春希の味方だが、手放しで甘やかすかといえばそうではない。雪菜も春希の行動に対して寛容だが、そこには優しさからくる善意と、多少の怯えが混ざっている。
 そういうことに関してはかずさも同様だろう。
 春希がしっかりした人間で与える側の人物性を有している為に、どうしても彼を甘やかす人間は希少になってしまう。
 年上の麻理ならばあるいはといったところか。
 
「和泉千晶。同級生で俺の友達。実際、不思議な奴だよな」
 
 気づいたら千晶は春希の傍にいた。
 三年前の出来事を経てからの春希はどこか心を閉ざし生活するようになっていた。表面的には社交的だし、他人とも問題なくコミュニケーションが取れる。
 その為勘違いしがちだが、肝心なところには誰も踏み込ませなかった。
 麻理に言わせれば多忙の中に身を置いて逃避している。
 小春など春希の事情に深入りしようとして明確に拒絶された過去がある。さすがに言いすぎたと春希は反省していたが、間違っているとは思っていない。
 それほど頑なだった。
 だが千晶は“女”を半ば拒絶していた春希の近くにするりと入り込んできた。
 彼の望む姿勢を演じるような雄大さ。春希が欲する母性が見え隠れする彼女を、時には心地よく感じ、時に苦手だと感じながらも傍に置いていたのは彼女のことが嫌いじゃなかったからだ。
  
「どこから話したら……」
 
 千晶に救われたと春希は思っている。
 それほど昨夜の彼は不安定だった。それほど雪菜に拒絶されたのが堪えた。
 もし千晶が春希のコールに応えていなかったら、彼は未だ自分の力で立ち上がることさえできず、陰鬱とした状態でベッドに潜り込んでいたことだろう。
 今でも完全な状態とは言えないが、こうして風呂に入り、清潔な服に着替え、普通に食事をしようと思えるくらいまで戻ってこれたのは千晶の力に他ならない。
 あのまま放って置かれてもいずれ時間が解決したかもしれない。
 武也がお節介を焼いて助けてくれたかもしれない。
 だからと言って彼が千晶に感謝しない理由にはならないだろう。
 
「そうだ。あのDVD……」
 
 何かに気づいたように春希がテレビ近くのラックを漁りだす。
 彼が探しているのは峰城大付属文化祭の映像が収められたDVD。
 少し前に麻理に渡され、目も通さず放置していた――
 
「あったっ!」
 
 取り出したそれは、飾り気のない茶封筒に油性マジックで『○○年、峰城大付属学園祭二日目、ステージイベント』と書かれていた。
 中の映像を確認するまでもなく、春希にはどんな内容が収められているか分かっている。
 他ならぬ当事者だったから。
 
「……」
 
 僅かに逡巡するが、すぐにそれが無駄な拘りなのだと悟る。
 千晶に今の状況を説明するにはこれを見てもらうのが一番早いのだ。誰にも見せたくない。また自分も見たくないという気持ちもあったが、既に麻理ら関係者には見られている。
 
「俺達が本当の意味で三人でいられた最後の――」
 
 封筒から中身を取り出してケースを握り込む。
 目に映るのは無機質なDVD一枚。けれど彼の脳裏にはあの日の出来事がくっきりと映像化されていた。
 
 あの日ステージを終えた春希は、演奏を大成功で終えれた嬉しさと興奮から中々目覚めることができないでいた。何日も徹夜して、みんなで努力して掴み取った結果だったから。
 だから興奮を覚まそうと構内を当ても無く歩いていた。
 そんな春希の耳に聴きなれたピアノの旋律が届いてくる。彼の足が自然と第二音楽室へと向き、そこで彼女を発見した。
 ステージ衣装を着たままの冬馬かずさを。
 自然と彼の胸が高鳴ってくる。だってあの時一番会いたかった人に会えたのだから。
 春希はかずさに近寄ると手近な椅子に座り込み、そのままの姿勢でずっと彼女に向かって話しかけていた。
 内容は特筆することもないくらいの他愛も無い話題ばかり。けれど春希は自分が話しかけてかずさが応えてくれる。そんな当たり前の会話のキャッチボールが堪らなく嬉しくて、話す度に移りゆくかずさの表情が眩しくて、ずっとこうしていたいって思っていた。
 やがて日が落ち、室内にも夕焼けの紅さが侵入してくる。
 穏やかな時間に心を絆されたのか、連日の無理が祟ったのか。いつしか春希は椅子に座ったまま睡魔を感じていて、結局そのまま眠りこけてしまう。
 ここで彼の意識は途絶え――そして再び目が覚め時、目の前にはかずさじゃなく雪菜がいて。
 それが全ての始まりになった。
 
「……っ」
 
 たらればの話はしたくない。
 だからこそ春希はこのDVDを千晶が戻ってきた時に真っ先に目に付くだろうテーブルの上に置いた。その近くにかずさが表紙を飾るアンサンブルを添えて。
 
 
 
「本当にあたしが観てもいいの?」
「ああ。これから話すことに関連することだし、元から秘密にするような内容は映ってない」
「あたしが聞いてるのはそういうことじゃないよ?」
「いいんだ」
「ふーん。じゃあスイッチ入れるね」
 
 千晶がリモコンを操作しDVDを再生させる。
 二人は今、テーブル上にサラダやコンビニ弁当を広げた状態でテレビに視線をやっていた。
 朝食兼昼食といった献立。
 実際春希にあまり食欲は無かったが、不思議と一度箸をつけると止まらなくなった。
 自分でも驚くような変化だが、それは春希が一人じゃなかったからだろう。隣に誰かがいて一緒に食べてくれる。それだけで随分と箸が進むようになるものだ。
 
「あ、はじまった」
 
 僅かな雑音の後で映像がテレビに入力される。画面には高校三年生だった頃の北原春希と冬馬かずさ、そして小木曽雪菜がステージに上るシーンが映し出されていた。
 中央に陣取る雪菜がボーカル。画面右手のギター担当が春希。そして左手にいるかずさがキーボードを担当していた。
 この日彼等が演奏した曲は全部で三曲。
 そのうちの一曲目『WHITE ALBUM』がスピーカーから流れ出す。
 
「へぇ。かっこいいじゃん春希。とっても良い表情してる」
「……必死だっただけなんだけどな。もう何とか二人の邪魔をしないようにって」
「ううん。邪魔になんかなってない。むしろ輝いてる」
「幾らお世辞でもそれは褒めすぎだろ」
「嘘じゃないよ。確かに力量は二人に及ばないけどね、あの二人が力を発揮してるのって傍に春希がいるからだよ」
「……っ」
 
 四月にギターを始めて約半年。春希の演奏の腕は中々上がることは無かった。勉強やその他の事に比べ壊滅的にセンスが無く、毎日毎日練習しても一曲すらまともに引けない有様で。
 バンドの中でも彼に与えられた役割はあくまでサブ。それでも彼は黙々と練習し続けた。
 放課後に一人居残り、隣から聴こえてくるピアノの音に励まされながら。
 それが一変したのが夏休み。
 いつも通り練習していた春希の目の前にかずさが現れて――
 
『――貸して』
『え?』
『そのギター、貸してみて』 

 一曲目が終わり、二曲目に入る。
 演目は『SOUND OF DESTINY』
 
「歌ってるのが小木曽雪菜で、キーボードの子が冬馬かずさ?」
「うん」
「なんか心に響いてくる歌声だよね。躍動感があって能動的で。プロっぽくはないんだけど印象に残るっていうか」
「歌うの好きだったから。信じられるか? 彼女これが人生で初のステージだったんだぜ?」
「そりゃあ凄いね。けど春希も初めてだったんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
 
 屈託無く笑う雪菜の表情に春希の視線が吸い寄せられる。
 あれほど歌うことが大好きだった彼女が、今では全く歌えなくなってしまった。ステージではおろか、カラオケでさえマイクを握ろうとはしない。
 その事実が春希の心に重く圧し掛かっている。
 
「あ、すごいねここのギターソロ! なんだぁ春希も意外とやるじゃん」
「……本当に死ぬほど練習したからな。俺、音楽のセンス無かったけど、師匠っていうか、まあ先生が特別だったんだ」
 
 春希の視線が画面上のかずさに移る。
 本人は嫌がっていたけど、こうして改めて見てもやっぱりあのステージ衣装はかずさに似合っている。そんな場違いな感想を抱いてしまうほど彼女は綺麗だった。
 
「あっ……」 
 
 そうやって画面を注視していたから気づけた。かずさを見つめていたから分かった。
 あの時は演奏に夢中で気づけていなかったけど、こうして外から見ると彼女が常に春希の演奏を気に掛けリードしようとしているのが伝わってきた。
 些細な仕草ですら彼のことを気遣っている。
 まるで彼のヘタクソなギターをピアノでリードしていたあの頃のように。

「こっちの子は逆にプロっぽいね。春希も凄いけどそもそもの演奏技術が桁違い」
「当たり前だろ。あの冬馬曜子の娘なんだぜ? キーボードだけじゃなく楽器全般何でもござれだ。まあ……性格は最悪だったけどな」
「珍しいね。春希が他人のこと悪く言うなんてさ」
「事実だから仕方ない。態度も口も悪くて、その上他人嫌いで人を寄せ付けないし、関わってくの大変だったんだ」
 
 同じ教室で隣同士の席。当初は春希が幾らかずさに話しかけても真っ向から拒絶された。
 ウザイ。鬱陶しい。もう近寄るな。なんて悪態を何度吐かれたか分からない。
 それでも春希はかずさに関わることを止めようとはしなかった。
 周りの人間はまた北原のお節介が始まったと思い、また冬馬が北原に世話を焼かせていると呆れ、いつしか冬馬のことは北原に任せておけばいいと放置するようにさえなった。
 結果、春希は思う存分かずさに構い続けて――それが後の夏休みの接触へと繋がっていく。
 
「春希。この雑誌だけどさ見せてもらってもいい?」
「ん? ああ、アンサンブルか? 別にいいけど」
「ありがと」
 
 テーブルに出されたままになっていた雑誌に千晶が手を伸ばす。
 当然とばかり最初に読み始めたのは、春希が書いた冬馬かずさの記事。
 それを目で追い、幾つかの記述を読み終えて
 
「……ねえ。冬馬かずさってさ、本当にこの記事にあるような子だったの?」 
「まあな。分かりやすく言うと不良娘ってところか。本当、学年一の問題児だったよ。あいつの味方なんて学校中探しても……俺しかいなかった」
 
 そう。雪菜と出会うまでは。
 
「ふうん。でも春希はその問題児に積極的に関わっていったんでしょ? どうして?」
「どうしてって、そんな奴がいたら周りの雰囲気が悪くなるだろ。やっぱほっとけないよ」
「それだけ?」
「……え?」
「それだけが理由? 真面目な委員長気質の春希は、不和を生み出す不良娘を更正させたかっただけ?」
「……」
 
 春希は隣の第二音楽室から聴こえてくるピアノの旋律が好きだった。
 綺麗な音色は日によってその顔色を変え、聴いている春希を飽きさせはしない。だからずっとギターを演奏しながらでも聴き入っていたんだ。
 月日を重ねると、ピアノの旋律から演奏者の機嫌まで分かってくるようになる。今日はいいことがあったのかな? とか、今日は機嫌が悪いなぁ、とか。
 顔も知らない相手とギターとピアノを介して会話する日々。その演奏会が夏休みを境にして少しだけ様変わりした。
 文化祭を控えちょっとでも腕を上げたい春希に対して、まるで『ついてこい』とばかりにピアノの旋律が後押ししてくるようになったのだ。
 ヘタクソでとちってばかりのギターに懲りずに合わせてくれる。彼が間違えて最初からやり直しても、諦めずついてきてくれた。
 それからは二人は常に一緒に同じ曲を奏でていった。
 誰にも邪魔されることなく、ギターとピアノをセッションさせながら。
 
「……かずさだったんだ」
「え?」
「いや、何でもない。こっちのこと。……そうだなぁ、俺があいつに拘ったのはな、和泉」
 
 春希の視線がアンサンブルからもテレビの画面からも外れ、何も移していない天井を見上げる。
 
「――好きだったからだよ。あいつのこと大好きだったから。……一目惚れだったんだ」
「春希……」
「俺がギター始めたのだってあいつの気を引きたかったからでさ。じゃなきゃ態々バンドなんか入るかよ」
「これまた衝撃の告白だね。春希ってそういうことしないタイプだと思ってたから、ちょっと驚いた」
「あん時の俺まだガキだったし、とにかくかずさの気を引きたくて必死だった。だから邪険にされてもウザがられても関わっていくこと止められなかったんだ」
「でも、今冬馬かずさは外国にいるんでしょ? あんた達の間になにがあったの?」
「っ……」

 余韻を残して二曲目が終わり、演奏が最後の曲へと移っていく。
 画面上では雪菜が前口上を述べていて、次がオリジナルの曲であることを告げていた。
 タイトルは『届かない恋』
 
「あたしこの曲好きだなぁ。学内でもよく流れてるよね」
 
 春希が作詞して、かずさが曲をつけ、雪菜が歌う。
 誰が持ち込んだのか、三人で作った『届かない恋』は峰城大で流れるラジオでよく再生されていた。
 千晶が好きだと言った曲。
 ずっと春希が聴こえないふりをしていた曲。
 その歌声が室内に響き渡る。
 
「……和泉。ちょっとだけ俺の話につきあってくれるか?」
「ん、いいよ。春希が喋りたいように喋ればいい。あたしは茶々入れながら聞いててあげるから」
「茶々は余計だ。けど、ありがとう」
 
 こうして春希は千晶に全てを打ち明ける。
 この学園祭の後どうなったか。
 ステージの後、第二音楽室で眠った春希が目覚めると目の前には雪菜がいて、突然彼女にキスされたこと。
 戸惑う春希に雪菜が告白し――二人が付き合うことになったこと。
 春希と雪菜が恋人同士になった後でも、雪菜は三人で一緒にいたいとかずさを求めたこと。
 クリスマスには三人で旅行に出掛け、はしゃぎあったこと。
 そしてかずさが春希の前から姿を消そうとしたこと。
 
「届かないって思ってた。俺の一方的な片思いだって……思ってたのになぁ」 
 
 喉の奥から絞り出そうになる台詞を消すために、春希は思い切り唇を噛んだ。
 あの時の記憶を掘り起こすだけで、春希の胸中に針が突き刺さり痛みがぶり返してくる。
 叫び出しそうに、なってしまう。
 
『――私の前から先に消えたのはお前だろっ。勝手に手の届かないところに行ったのはお前じゃないか! ……どうして、私の気持ちをわかってくれなかったんだっ……』 
 
 彼女の泣き顔は今でも鮮明に思いだせる。
 そしてきっとあの時の自分も似たような顔をしていたに違いない。
 そう春希は思う。
 
「和泉。俺さ、雪菜に酷いことをしたんだ。好きだったのに……何年経っても償えないような酷いことを……したんだ」
 
 雪菜の誕生パーティーの日、彼女が待っているのにも関わらず春希はかずさと一緒にいた。
 絶対に行くからって言っていたのに、かずさを求めてしまった。
 
「許されることじゃないって分かってた。このまま進んだら雪菜を傷つけるって、分かってたんだ。でも……自分の想いを止められなかったっ!」
 
 いつの間にか春希の目にうっすらと涙が滲んでいた。
 噛み殺した歯の隙間から小さな嗚咽がもれ、語る声にそのまま震えを伝えてしまう。
 それでも淡々と彼は言葉を紡いでいった。
 だってこれは彼自身が犯した確かな罪との対面だから。話すって決めた以上、逃げてはいられないから。
 
「全部俺が悪いんだ。三人の関係を壊したのも。雪菜とかずさを傷つけたのも、全部、俺が……」
「……春希」
「でもさ俺、前に進みたかった。あれから三年経ったし、許されてるかもって思いたかった。……雪菜と一緒に生きていきたかったんだ」
 
 そして昨夜春希と雪菜に何があったのかを話した。
 どういう経緯を経て、拒絶されたのかを。
 彼はただ二人で一緒に止まったままになっていた時間を動かしたかっただけだ。
 雪菜に笑って欲しかった。昔のようにまた歌えるようになって欲しかった。
 その為に一番大事な人を忘れたんだと自分に言い聞かせ、心の中で嘘を吐いてまで求めた。
 
「けど駄目だった。俺の吐いた嘘なんて簡単に見破られた。……はは、当然だよな。だって俺これから雪菜を抱こうって時にかずさのことばかり考えてたんだから」
 
 そう言って春希はテーブルに出しておいたアンサンブルに視線を向ける。
 表紙にはぶっきらぼうな表情――読者に言わせればミステリアスな雰囲気の冬馬かずさが飾られている。
 
「心の中であいつに話しかけてた。言い訳してた。さよならだって決めたのに……バスルームで泣いたんだ。酷い……本当に酷い男だ、俺……」
「……春希。人を好きになるって理屈じゃないよ。理性で止められないことだってあるよ。あたしだってさ――」
 
 あたしだって。その後に続くはずの言葉を千晶は咄嗟に飲み込んだ。
 だって今出てくるはずのない台詞だったから。だから千晶は次に喋る台詞を少しだけ間違える。
 本当はもっと春希に優しくて、千晶にとって都合の良い台詞を吐くはずだったのに。
 
「あたしが言うのも何だけど、小木曽雪菜がもう少しだけズルければ。もし冬馬かずさにもう少しだけ勇気があれば。きっと春希がこんなに傷つくこと無かったのにね」
「いず……み?」
「ねえ春希。確かにあんたは罪を犯したかもしれない。けれどさ、それは冬馬かずさだって同じだよ」
「ち、違う! 悪いのは俺だけだ。かずさは悪くなんて、ない……!」
「ううん。あんたたちは共犯だよ。一緒になって一つの罪を犯したんだ」
「あ……ああっ……」
 
 どんなに重たい罪でも、二人で背負えば半分になってしまう。
 そんな甘い囁きを彼は何度夢想したことだろう。
 
「あたしはさ、春希の味方だから。春希があたしを求めてくれたら全力で甘やかして癒してあげる。でも、しないんだよね?」
「……俺、は……」
「なら今の春希にできる最良のことは冬馬かずさに会うことなんじゃないの? その選択がどんなに辛くったって、きっとその先には笑える未来があると思うんだ」
「未来? 俺が……かずさに、会うことが……?」
「その結果が小木曽雪菜と向き合うことになるのか、冬馬かずさと向き合うことになるのか……それとも全く違う選択になっちゃうのか分からないけど」 
 
 千晶の今の提案に則したピースを今の春希は握っている。
 即ち、冬馬曜子のニューイヤーコンサートのチケット。まだ手元にはないが、編集部に行けば手に入るはずだ。
 
「……」
 
 助けを求めるように春希はテレビへと視線を走らせる。
 しかしもうそこには、彼が求める人物の姿は映し出されていなかった。 

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