小春は岩津町駅の改札を抜けると、急ぎ足で冬馬邸に向かった。
朝、春希からのメールで新曲がもう完成している事を知った。
夕方からの開桜社のバイトは急用が出来たと伝えて今日は休みにして貰った。
早く聞きたい……そんな気持ちでようやく見えてきた冬馬邸の玄関は、いつもと違って何人かの業界風の人たちが立ち話をしていた。
近づいて、ようやく見知った顔を見つけて声をかけた。
「こんにちは、小木曽先輩。今日って確かテレビの収録があったんですよね。もう、終わったんですか?」
「ああ、小春さん、こんにちは。うん、ばっちり終わったよ、大成功」
上機嫌の雪菜が見つめる方向に目を向けると、そこには年配の女性と話す春希の姿があった。
「あれ、先輩と話してる人って……」
雪菜はそう呟いた小春の手をつかむと、ぐいっと引っ張って行った。
「はい、春希くん。ちゃんと紹介するんだよ」
二人の前に小春を連れて行くと、雪菜は少し離れた所にいるかずさの方へ行き、話し始めた。
「あの……春希先輩?」
春希はじっと小春を見つめると、その視線を横の女性に向けて言った。
「母さん、紹介します。この人が俺が今交際している、杉浦小春さんです。小春、この人が俺の母さんだよ」
「え?え?……あ…あの……杉浦…小春ですっ!」
深々と頭を下げる小春に優しそうな声がかけられた。
「あらあら、本当にかわいらしいお嬢さんなのねぇ、小春さん、息子のことよろしくお願いしますね」
「は…はい……、こちらこそお願いします…って……あれ?先輩とお母さんって…確か……」
小春の言わんとする事は春希にも分かっていた。
「実はな…まんまと雪菜にしてやられたって言うか……強引に?……仲直りさせられたよ」
春希は少し照れたように言った。
雪菜とかずさはこちらを見ながら談笑している。二人とも幸せそうだ。
「それにしても、小春さんはまだ学生さんなのかしら?」
「はい、今度大学の2年になります……あの、何か…」
春希の母のちょっと困ったような表情に小春は戸惑って聞いた。
「あら、ごめんなさいね。実は息子にまさか彼女さんがいるなんて思ってもみなかったもので……嬉しくて、ついつい孫はいつなのかなんて……ね」
その言葉に春希は顔を真っ赤にして答えた。
「か…母さん、突然何を言い出すんだよ、全く……気が早いんだから」
春希も口ではこう言っているが、嬉しそうに目尻を下げていた。
小春はそんな二人を幸せそうに見ていたが、すぐ傍で談笑していたはずの二人の様子が変わったのを感じて振り向いた。
見ると、かずさが玄関に駆け込んで、雪菜が後を追っている所だった。
春希も不安そうにそちらを見ていたが、今は母親の相手をしているのでそちらに行くわけにもいかないだろう。
「先輩たち、どうしたんだろう。ちょっと見て来ますね」
小春はそう言うと雪菜を追いかけて行った。

かずさは二階の自室に閉じ籠った。
その前で雪菜は立ち尽くしていた。

―こんなはずじゃ、なかったのに……どうして、こうなっちゃうんだろう。

全て計画通りだった。最初は二人とも出て来た料理が、曜子の作ったものだと思って食べていた。
野菜嫌いのかずさなら、あのメニューならきっと文句を言うだろう。
それを春希が窘める。そして二人が口論になれば、誰かが二人を止めようとし、そこで春希の名前が呼ばれるだろう。
もし、だれも言わなければ、雪菜自身が言えばいい。
そこは予想通りというか、かずさが怒って春希の名前を叫んだ。
後は親子の対面になれば、どちらも根本的に嫌っていないのだから全てうまくいくはず。
そして、最後に春希の作詞した歌を、『時の魔法』を聞いて貰えれば、何もかもが丸く収まる。
かずさも、苦しみから解放される。そして、もう一度春希と向き合ってくれる。
それで、やっとやり直しが出来る。最初から……二人が春希を想い、微妙なバランスの上に成り立っていたあの頃のような状態から。
二人で素直な想いを春希に伝えて、正々堂々と奪い合う。もちろん小春だって黙っていないだろう。
どちらが勝っても、二人とも負けても、その後かずさとは一生笑いあっていられると確信していた。

でも、これでかずさはまた、引いてしまうだろう。
春希への想いを胸の奥にしまって、一歩下がって、小春や雪菜のすることを、黙って見ているだけ。
それじゃ、ダメだ。ちゃんと向き合って想いを伝えて、返事を貰わないと……
かずさと再会し、全てさらけ出して雪菜はそう悟った。
雪菜のように、フライングして強引に自分のものにしてしまったり、かずさのように、遠くへ行って身を引くことで相手に譲ってしまったりしたからおかしくなったんだと。

全てうまく行っていた。
雪菜が『時の魔法』を歌い終わった後、かずさは目にいっぱい涙を貯めて雪菜を見て言った。
『ありがとう、雪菜。あたしの為に……あたしがあんな事言ったから……全部、あたしの為にやってくれたんだろ?』
弾き終わったギターを脇に抱えて、母親と照れくさそうに話す春希を見て、雪菜も溢れる涙を抑えきれなかった。
『うん、これからがわたしたちの勝負だよ』
『ああ、負けないからな』
そう、勝負だった、はずなのに……

雪菜はかずさの部屋のドアを見つめたまま、なにも出来ずに立っていた。
どれぐらいそうしていただろう。ほんの一瞬なのか、ものすごく長い時間なのか時間の感覚さえ無くなっていた。
ふと、視線を感じて振り向くと、心配そうにこちらを見る小春と目が合った。
「あ……」
「あの…、冬馬先輩、どうかされたんですか?」
けれど、何を言ったらいいか分からなかった。
雪菜が答えられないでいると、やがて、春希もやってきた。
「どうしたんだ?…かずさは?」
「あ…、春希くん。……お母さんは?」
「ああ、今日は急にここに来ることになったから、これから会社に行って片付けなきゃならない仕事があるらしい。テレビ局の人に送ってもらうって言ってた」
「そうなんだ……」
「それよりも、かずさは?……何かあったのか?」
「……」
雪菜が答えられないでいると、部屋のドアがゆっくりと開き、目を真っ赤に泣き腫らしたかずさが顔を出した。
「かずさ……、いったいどうしたんだ?」
「何があったんです?」
春希と小春が心配して聞いて来た。かずさは暫く黙っていたが、やがて、ゆっくりと話し出した。
「春希…杉浦さん、心配かけた。雪菜も…色々とありがとう。少し、夢を見させて貰ったんだな……幸せな夢だった…夢で終わったけど…」
そう言いながら、かずさはぼろぼろと涙を流し始めた。
「夢って……何なんだよ?終わったって……」
「春希くん、それは……」
「いや、いいんだ雪菜。あたしも話さなきゃって思ってたから」
そう言うと、かずさは春希を真っ直ぐに見て言った。
「お母さん、孫のこと楽しみにしてたよな」
「ああ、そんな事も言ってたな…って、それがどうかしたのか?」
「そうですよ、別に春希先輩と私の…っていうだけじゃなくって、それこそ冬馬先輩だって……」
「小春さん!」
雪菜が小春を止めに入ったが遅かった。
そんな雪菜を辛そうな笑みで見て、頷くとかずさは話し出した。
「あたしは、峰城大付属に入った頃から、生理が止まってしまったんだ。ウィーンに行ってから病院で検査して貰ったけど原因も治療法も分からなかった。
でも、別にそんなこと当時は気にしていなかった。だって、春希以外のやつの子供なんて生むつもりも無かったしな。
そして、春希の子供も……たった一つの望みが断たれて、もう、無くなって……でも、それで良かったんだ。もう、会う事も無いって思ってたから…」
淡々と話すかずさ。春希は驚きの表情で、小春はただ真剣に、そして雪菜は辛そうに俯いて聞いていた。
「あたしは、春希と雪菜が二人で幸せになっててくれればそれで良かったんだ……でも、現実は違ってた。春希は杉浦さんと…
だから、あたしは雪菜に会いに来れた。だって、もうあたしたちは不倶戴天の敵じゃないから…それなら生涯の大親友になれるかもしれないって思って。
それなのに雪菜は、まだあたしの気持ちを春希に向けようとするんだ。だからあたしは雪菜に言ったんだ。
『春希は本心では、お母さんと仲直りしたいって思ってる。でももう、お互いに素直になれないから今のままじゃ無理なんだ。
でも、もし自分に子供が出来たら、子供を間に置けば仲直り出来るかも知れないって言ってた』って。けど、だからこそあたしには無理だって。
そしたら、結局、雪菜は子供の力無しで解決してくれて……。あたしも、それでふっ切れたと思ったのに……
さっき、春希とお母さんと杉浦さんが話してるのを聞いて、やっぱり、皆、孫が欲しいんだって……でもあたしには……」
春希も雪菜も、かずさの気持ちを思って、黙ってただ、聞いていた。
けれど、小春はかずさの言葉が終わるのを待ちきれないといった感じで切り出した。
「先輩は、不妊治療で通院されたんですか?」
あまりに抑揚のない言い方に、春希は驚いた。いつもなら、こういう辛い話の時は、小春も相手の気持ちを考えて優しく言うのが普通だった。
「いや、別に誰かの子供を産むつもりも無いからな……。一度診てもらってそれっきりだ」
すると、小春は今度は少し怒ったような表情で続けた。
「だったら、そんな話はしないで下さい。世の中には、本当に子供が欲しくて何年も不妊治療を続けている人がいるってのに、その人たちに失礼です」
「あんたは別にそんな事無いんだろ?そんなやつにあたしの気持ちなんか……」
「ええ、分かりません」
いつの間にか、二人は睨みあうように言葉を向けていた。
「だったら一般論だけであたしを責めるな!」
「一般論なんかじゃありません!」
小春の眼には、大粒の涙がたまって、今にも流れ落ちそうになっていた。
「私の母は、10年以上不妊治療で病院に通っていたんです」
そう言った瞬間に、たまった涙が頬を伝って流れて行った。

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幸せな話が一転して修羅場な様相になって来ましたが、小春がその現状を打破しそうな感じですね。ここから小春版codaルートが始まるのでしょうか?

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Posted by tune 2014年06月01日(日) 12:24:29 返信

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