大晦日直前で『冬馬かずさ凱旋帰国公演』が発表され、直後にチケット発売、即日、というよりは瞬時に完売となった。
そして、あまりの人気にすぐに追加公演が発表された。

「姉ちゃんも冬馬先輩と親友だったんだろ?チケット何とかならなかったのかよ」
小木曽家では誰もチケットを手に入れる事は出来なかった。この不満を孝宏は雪菜にぶつけた。
「だってぇー、発表してすぐに発売なんて思わなかったんだもん。……それにかずさとはもう…」
後半の部分は聞き取れなくなっていた。
「まったくもう、そんなんだから、杉浦に北原先輩取られちゃうんだよ…」

実は、こんな軽口が孝宏の口から出るようになったのはまだ最近の事。2年前、春希と完全に決別した時は、家族みんな腫れものに触るように雪菜と接していた。
雪菜自身、就活さえままならなかった。
それでもなんとかいくつかの企業をリストアップし、それなりの準備をしようとはしていた。
だが、面接の問答集を見ていて…無理だと悟った。

「学生時代に打ち込んだ事は何ですか?」

『軽音楽同好会』 ― たった2週間だったけど…

「今までで一番嬉しかった事は何ですか?」

『親友がわたしの為に創ってくれた歌を皆の前で大好きな人たちの演奏で歌えた事』 ― 本当に嬉しくて楽しかった、めちゃくちゃに…

「今までで一番辛かった事は何ですか?」

『っ………』 ― 本当に辛かった… 考えるだけで泣けてきて心が張り裂けそうになった。



駄目だ……もし、そんな事を聞かれたらと、考えるだけでそれ以上進めなくなった。
結局何も出来なかった。
家族にはどうしても言えず、時々面接に行くと言ってあちこちで時間を潰し、数日後に今度もダメだったよと告げた。
今はまた以前のように、スーパーで働いている。もちろん三つ編みに眼鏡で… 

時間があるから家族の食事を作る事が多くなった。家の掃除も自分の部屋だけでなく、玄関先とかお風呂場とかトイレとか。
無目的に生きる事にもだんだん慣れてきた。


夕飯の洗い物をしている時に、玄関チャイムが鳴った。
「孝宏、お姉ちゃん今洗い物してるから出て」
リビングでテレビを見ている弟に言うと、孝宏はめんどくさそうに立ち上がり
「はーい、どちら様ですか?」

『……あ…あの…、冬馬と言いますが、…雪菜さんは……』

「!!」

雪菜は手に持っていた皿を危うく落としそうになった。
「……かずさ…」
インターホン越しでも聞き間違えじゃない。あれはかずさの声…
「孝宏、あとはお願い!」
そう言うと雪菜は玄関へ走って行った。




『はーい、どちら様ですか?』
インターホンから聞こえてきた声は期待していたものとは違った。

もし雪菜が返事をしてくれたなら、もう少しスムーズに声が出せただろう。
「……あ…あの…、冬馬と言いますが、…雪菜さんは……」


インターホンから返事は無かった。そのかわりドタドタという音が玄関から聞こえて来た。そして……

ガチャ! バタン!
ものすごい勢いで玄関扉が開いた。そして…
「かずさ―!!」
ものすごい勢いで飛び出してきた………雪菜が!

雪菜はかずさのいる門扉まで駆け寄ると、身を乗り出して言った。
「かずさ!、かずさ!……ああ…かずさ!」

「……、久しぶりだな。元気だったか?」
それは、クリスマスイブにストラスブールで春希がかずさに言った台詞そのままだった。
「…う……うん、ぐすっ…かずさぁ……あ…あぁ……」
雪菜の目から涙があとからあとから溢れて来た。
「なあ、雪菜。少し話があるんだけど…今、時間あるか?」
「あぁ…か…かずさの…ため……なら…ぐすっ…いつでも…ある…よぉぉ…」
雪菜は泣きながら答えた。
もっとちゃんと答えたいのに、涙が止まらない…

そんな雪菜を見て、玄関から母が声をかけた。
「雪菜ー、せっかく来て頂いたんだからー、お部屋に上がってもらったらー?」
「う…うん、そうだね…。ねえ、かずさ…わたしの部屋でお話し、しよ?」
「そうだな、じゃぁ、お邪魔させてもらうかな…」
やっと、少し泣き止みはじめた雪菜の肩を抱いてかずさは小木曽家の玄関へ向かった。

「あ…お邪魔します…、ご無沙汰してます」
かずさは玄関で出迎えた雪菜の母と弟の孝宏に、ぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、何もお構い出来ませんけど、どうぞゆっくりしていって下さいね」
雪菜の母は娘の友人をにこやかに迎えた。
対照的に、孝宏は眼を見開いて口をあんぐりと開けたままだった。
「ほ…本物だ……」
「…なに?…あたしの偽物でも現れたわけ?」
「ひっ!……そ…そんなこと…ありません!!」
かずさに睨まれて孝宏は怯えた声を出した。
「もう、孝宏ったら、変な事言ってないで、邪魔だからそこどいて!さ、かずさ、早く上がって」
雪菜に邪険にされた孝宏はすごすごと下がって行った。

久しぶりの雪菜の部屋は、あの頃と変わっていなかった。
それは、あまりにも異常なほどの無変化だとかずさは感じた。雪菜の時間が止まっている…そう思えた。
その責任は間違いなく自分にある。だから、もう一度動かさないと…たとえそのやり方が少し強引だったとしても…
「春希に会ったよ」
「え…?」
かずさの言葉に雪菜は驚いた。
「春希くんにも、会いに行ったの?」
「いや、春希とはこの間偶然、ストラスブールで会った。…あいつ…彼女と一緒だった……」
「…へえ、そうなんだ…春希くんとストラスブール……」
雪菜の声が突然抑揚を無くした。
「いいなぁ…ふたりで……旅行… いいなぁ……ぁ…… …」
声もどんどん小さくなり、かずさでさえも聞き取れないほどになった。
『… …… …  …   」
無表情で口だけ小さく動かしている雪菜を見て、かずさは本題を切り出した。
「…なんで……なんで、春希と別れたんだ?」
「……かずさがそれを聞くの?…かずさが……」
「いつ…別れたんだ?」
「…………知ってるくせに…、そんなの……5年前に決まってるじゃない!!あれから春希くんとはすれ違ってばかり!」
「な……」
雪菜の叫びにかずさは驚いた。自分が春希と決別し、雪菜に譲ったと思っていたあの時、二人はもう…
「なんでだよ!あたしがいなくなるんだから、別れなくってもよかったじゃないか。…二人の為にあたしは……」

バシッ!!

雪菜の平手がかずさの頬を叩いた。
「わたしの目の前で、抱き合ってキスしたくせに!!」
「っ!?」
「あ…っ」
「………っ」
「か、かずさ…?」
「ぅ、ぅぅ…っ」
「あ、あ………わたし」
「ぅぅ…ぁ、ぅぁぁ・・ぃぅ…」
「ご、ごめ…その、わたし…っ!?」

バシッ!!

「な…」
思わずかずさを叩いてしまい、動揺する雪菜の頬を、今度はかずさの平手が叩いた。
「かず、さ…」
「だってお前がっ!お前が、あいつを…」

バシッ!!

「うるさぁいっ!」

バシッ!!

「卑怯者!」

バシッ!!

「臆病者!」

バシッ!!

「偽善者!!」

バシッ!!

「馬鹿っ!」

バシッ!!

「言うなぁぁぁぁああああっ! 雪菜…雪菜ぁぁぁっ!」
「かずさの馬鹿ぁっ!馬鹿、馬鹿、大馬鹿ぁぁぁぁっ!」
「馬鹿で悪いかぁぁぁっ!」
「悪いに決まってるじゃないっ!」

………

……



数分後、二人はベッドの横に肩を並べて座り込んでいた。
「……ごめん」
「なんでかずさが謝るの。わたしが悪いのに」
「いいや、あたしが全面的に悪いんだ。変に挑発しちゃったから」
「喧嘩は先に手を出した方が悪いの」
「先にキれた方がもっと悪いんだ」
「それだって、わたしがずっと拗ねてたせいなのに」
「そんなこと……」

二人の間にようやく落ち着いた空気が流れはじめた。

「でも、なんで今更、春希くんの事で喧嘩しちゃうんだろう…… そんな事したって、もうどうにもならないのに… なにもかも…」
雪菜は今の自分の生活を好きになれなかった。何も考えないように、ただ、忙しく過ごす毎日…。

「なあ、雪菜も大学卒業して就職したんだろ?今、どこで働いているんだ?」
かずさは何気ない会話のつもりだったが、その言葉は雪菜を苦しめた。
「……うぅ…」
「?……雪菜?」

「実はね、大学は卒業したけど、就職出来なかったんだ…」
雪菜の言葉にかずさは驚いた。
「え?…だって峰城大だろ?あそこ卒業して就職出来ないって…お前なら面接まで行けば絶対!」
「その面接が駄目だったの。…正確には、怖くて面接に行けなかったの…だって……これまでの事、わたしについて、聞かれたら話さなくっちゃならないでしょ……。
結局、近所のスーパーでパートで雇ってもらって、あとは家事手伝いかな…最近、お母さん何でもかんでもわたしに押しつけてくるんだから。
だから、掃除も料理も家事全般何でもすっごく上手になったよ。これでいつお嫁さんになっても安心ね。……相手はいないけど…」
「雪菜…」
かずさは改めて、雪菜の心の傷の深さを理解した。そして、雪菜と会ったら相談しようと思っていた事を口にした。
「…実はさ、今回の帰国は一時的なものじゃなくって、活動拠点そのものを日本にしようかとも思ってるんだ」
「それ、本当?からかってるんじゃないよね?」
かずさの言葉に雪菜は眼を輝かせた。
もし、そうなれば、これからはいつでもかずさと会える。
「でも、問題はあるんだ。母さんは暫くウィーンに残って無くっちゃならない。向こうのオケとの契約があるんだって。
あたしは、それなら誰かマネージャーをつけてくれればいいじゃないかって言ったんだ。
そしたら、マネージャーとして、あたしとうまくコミュニケーション取れる相手なんか居るはずないって言われた。あいつ以外には出来ないって……」
雪菜は心の痛みを感じた。そう、春希くんならバッチリなんだろうなぁ…… 
でも、今更かずさのマネージャーなんかやってくれないだろうし…
「そう…だよね。春希くん以外には適任はいないだろうね……」
天国から一気に地獄に突き落とされた気分だった。
「でも、母さんは知らないんだ、もう一人、適任がいるって事を…」
「え?…いるの?どんな人?」
隣のかずさの手をしっかりと握りしめて雪菜は聞いた。
「今、あたしの目の前にいる人。雪菜、あたしのマネージャーになってくれないか?」
「……えぇー?…わたし?わたしで……いいの?」
「ああ、雪菜以外には考えられない。あたしのことを理解してくれて、あたしの為に動いてくれる。あたしが最も信頼できるヤツだから…」
「わたしが、かずさのマネージャー……」
握り締めた手に更に力が入った。
「雪菜…痛いって…」
「痛い?ねえ、かずさ、痛い?痛いんなら夢じゃないよね?」
「なんかそれは違うような気がするけど…ああ、夢じゃない」
「ああ、でもこのまま眠って朝起きたら実は夢でしたって事になったらいやだなぁ……
そうだ!かずさ、今夜は泊って行って?明日起きてかずさの顔を見れないと不安になっちゃうから…」
「泊って行くのはいいけど、こんな遅くに客間の準備とか家の人に迷惑じゃないか?」
「何言ってるの?ここで一緒に寝るの!」
雪菜はベッドをポンポンと叩く。
「それとも、わたしと一緒に寝るの…嫌?」
上目遣いにかずさを見る雪菜。
……それ、反則だろ… そんな風に見られたら、男でなくっても……
「ああ、いいよ。一緒に寝よう、雪菜」


翌朝、かずさが目覚めた時、雪菜はかずさの胸に顔を埋めて眠っていた。
そっと手を伸ばし、その髪を梳る。
「……ん…ぅん…… …」
起きる気配は無い。
そんな雪菜を見つめてどれだけ時間が経っただろうか。かずさの胸の中で雪菜がゆっくりと目を開けた。
「…ぁ……かずさだぁ……お…はよぉ…」
「ああ、おはよう、雪菜」
実は雪菜にとっては5年ぶりの心安らかな眠りだった。いつもは悲しい夢しか見なかったから。でも、今日は違った。
「…夢……みてた…かずさと……春希くんの…音に……会ったときの…ゆめ…」
「ああ、学園祭前の頃の夢か……」
雪菜はゆっくりと目を閉じると、かずさの胸に顔を押し付けて言った。
「ううん…違うの……わたしが二人の音に出会ったのは、もっと、ずっと、前なの……」
そして、雪菜は話し始めた。今見た夢……あの、出会いの頃の話を。

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前作を完結させてからここまではすぐに書けたんですが、この後の展開はどうするかまだ思案中です。
暫くは、introductory chapter の回想になってしまいます。言うなれば「雪が解け、そして雪が降るまで(雪菜編)」です。

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Posted by finepcnet 2014年03月07日(金) 06:34:46 返信

ちょっと胃にくるような雪菜のその後ですね。でも、CCの雪菜EDからcodaの序盤の事を思い出してみれば、春希を失った雪菜がこうなるのは必然なのかもしれません。かずさは雪菜がここまで酷いとは思っていなかった感じですが、それでもかつての親友がただならぬ状況にあるのではないかと危惧して帰国を決めて雪菜をマネージャーにすることにしたのでしょう。この辺り見方を変えるとある種のお節介ですが、春希の影響でしょうか?次回を楽しみにしています。

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Posted by tune 2014年03月06日(木) 23:01:28 返信

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