春希が浜田に連れていかれたミーティングルームには意外な人物がいた。
「麻理さん!? お休みのところお疲れ様です。先日はありがとうございます」
 春希が1.5次会の事で頭を下げようとしたのを制し、麻理は席を促した。
「ははは。まあ、座って楽にしてくれ、北原」
「休暇だとお聞きしましたが」
「長期休暇なんて取りすぎると駄目だね。ついつい居心地がいいんで職場に来てしまうよ。まったく、元部下にも示しがつかんな」
「いえいえ。海外で活躍されている麻理さんが来てくれるだけで励みになります」
 そんな春希の言葉をまんざらでもない表情で受け止めつつ麻理は含みを持った声で言った。
「ただ、良いこともあった。社内で北原について良い知らせを耳にしてね。私から伝えて良いかと申し出たら思いがけずOKされてね」
「え!? 何ですか? 麻理さん!?」
 『良い知らせ』との麻理の言葉に春希の心が踊る。が、麻理は先に断るように告げた。
「言っとくが、アンサンブルの副編集長への異動ではない。さすがに経験不足と言われるだろう」
 春希もそれは予想していた。
「ええ、あそこは編プロのデスクの上に入る訳ですから…」
 新設されるアンサンブルの副編集長のポストはデスクより上の管理者ポストだ。入社まもない春希にとっては高望みだが、春希は敢えて人事異動希望の一つにそこを挙げていた。異動希望には高望みや長期的な希望も書いて良いことになっている。
 アンサンブルは業務のほとんどを外注しているので、編集員はほぼ全員編プロ、つまり社外の人間である。開桜社正社員である春希にとってはアンサンブルのポストは編集長と、来年度新設される副編集長しかない。
 では、麻理の耳に入れた話とは何か。春希は身を乗り出さんばかりに麻理が口を開くのを待った。

 麻理はニンマリと笑みを浮かべつつ告げた。
「アンサンブルの編集長は年明けから新年度までの間、国外へ長期不在される。その間の業務支援、北原に任せるとの事だ」
「…!? それは…良い話しですね」
 春希は若干うろたえた。確かに良い話だが…
「うむ。副編集長へのステップには十分すぎるだろう。それどころか編集長不在な訳だから、その間実質お前がアンサンブルのトップとなる。
 業務支援依頼の名目は『デスクの補佐』だが、アンサンブルにおける開桜社唯一の社員としての責任は重いぞ」
「ええ、今まで何度か支援したことはありますが…」
 他の会社との打ち合わせ等、正社員が出なければいけないが編集長が不在の時に編集長代理として支援に向かった事は過去何回かあった。
 最初は一時的にせよアンサンブルという一つの雑誌の代表の肩書きを背負わされる事にプレッシャーを感じたものだが、何度かやっている内に慣れていった。流石にレコード会社との業務提携と聞いて出たら雪菜がやってきた時には面食らったが。
 ただ、今回は編集長長期不在なのでそれよりははるかに責任が重い。しかし、それだけ春希の能力、そして培ってきたアンサンブルとの関係が認められているということだ。そして、ゆくゆくはその副編集長の座をと考えている春希にとっては願ってもない機会だ。
「できるな? 北原」
 その麻理の一言が春希の背中を押した。
「はい!」
 春希の目にもう迷いはなかった。

 それを見て浜田はにこやかな顔になった。
「良かったな、北原。これで希望ポストに向けて一歩前進だな」
「ええ。…!?」
 ここで春希は悟ってしまった。この上司がこの顔をするときには…
「ところで、麻理さん。自分が業務支援に出てる間、吉松編集長はどちらへ? ひょっとして…」
「あ!? あ、ああ。トルコと欧州と聞いている。冬馬かずさの取材も含んでのことだろうな」
「ぐ…そうですか」
 たちまち軽く表情を曇らせ、言葉を詰まらせる春希を麻理は茶化しにかかった。
「まさか北原、こんな美味しい業務支援の話もらえたというのに、自分のネタ元編集長に取られたとか思ってるんじゃないだろうな?」
「い、いえ! そんなこと…」
「顔に出てるぞ。やっぱり嫉妬深いな、北原は。
 その分だと私も夏のニューヨークの件できっと北原にさぞかし恨まれているんだろうなぁ…」
「いえいえ! そんな事ないです!」

 慌てて繕いにかかる春希を受け流し、切り返しで麻理は今日一番春希に言いにくかった事を伝える。
「では、業務の引き継ぎにかかってくれ。悪いが既に先方と編集長との間で冬馬曜子オフィスと夕食会をする事になっているから、それに出席して欲しい。
 来週の水曜の夜9時に『Kaikomura』のレストランだ。少し遅い時間だが、冬馬かずさのコンサートの後だから仕方ないな」
 時間より日どりの方がよっぽどまずいことには春希もすぐ気づいた。
「あの、その日は…」
「ああ。12月24日。クリスマスイブだな。
 なんだ。こないだまで新妻とゆっくり休暇を楽しんできたばかりだというのに、クリスマスイブくらい仕事に来てくれてもいいじゃないか…なんて思うのは私のような仕事の虫だけだな」
「いえいえ! そんな。ただ、ちょっと…」
 春希はクリスマスイブに雪菜を置いてかずさと会うことになる気まずさから言葉を詰まらせた。

 そんな春希に対し、麻理はため息一つついて呟くようにいた。
「ふう。実は私も呼ばれて行くことになっている」
「え!?」
 驚く春希に麻理は若干自嘲的に言った。
「夏のニューヨークの件とかで曜子社長がついでに私とも話したいと言ってきてな。
 休みだが他に予定がないので行くことにした。いいコネにもなるしな」
「そうですか…あ、もちろん自分も行きます!」
「!? そ、そうか」
 麻理はたちまち態度を豹変させた春希に少し驚いたが、春希は先ほどの渋った態度から一変し、目を輝かせていた。
「麻理さんと同席出来て嬉しいです。冬馬曜子オフィスとの仕事もキッチリさせて見せます」
「…そうか、それは頼もしいな。成長した北原の姿、見せてくれ」
「はい!」
 春希は麻理の表情がやや曇っていたことに気づかなかった。

『イブに新妻を置いて冬馬かずさと会うことには引け目を感じているのに、私には『同席出来て嬉しい』とまで言ってのけるんだな…』
 そのわずかにもつれた感情からか、麻理は今日は伝える予定でなかったことを口にした。
「あと、これは大したことじゃないが一応言っておく」
「何ですか? 麻理さん」
「夏のツアーの間、ずっと冬馬かずさの隣室だったこととその事について報告無かった事が社の方でなんとも思われてない訳じゃない。北原が悪く思われている訳ではないがな」
 この言葉に春希は驚き、浜田も顔をしかめた。
 口止めされていた訳ではないが、結果としてはよい方向に転んでいた事もあり、浜田の方はこの件は隠しておくつもりだったのだ。



2013/12/24
複合文化施設「Kaikomura」1階レストラン「コクーン」


 レストランの奥の個室では、曜子、かずさの師のベレンガリア・吉松、そして、開桜社からアンサンブル編集長吉松宗佐、麻理、春希が席についていた。
 そこにクリスマスコンサートを終えたかずさが美代子に連れられてやってきた。
 それを見て、春希は先に口を開いた。
「冬馬かずささん。コンサート、お疲れ様です」
「…! ふ、ふん!」
 コンサートを終え、充実した表情であったかずさだったが、春希のその他人行儀な言葉を聞き、一気に不機嫌な表情になった。
 かずさはその表情のまま椅子につくなり、さっそく春希にくってかかった。
「そうか、春希も副編集長か。偉くなったものだな。
 わたしの記事を踏み台にして点数稼いだ甲斐があったみたいだな」
「…冬馬かずささん。コンサート疲れでご機嫌よろしくないのは重々承知ですが、ここは『ビジネスの場』ですので何卒お手柔らかに…」

 春希がかしこまった態度を続けているのはこの間の麻理の言葉が効きすぎてしまっていたからだろう。
 あまり公私混同に見えかねない真似を続けていると、もうかずさに関する仕事につけてもらえないかもしれないと春希は恐れていた。仕事の場では仕事として線を引かないと…
 麻理もそれが解っていたので、春希の緊張を解くべく一言だけ口を挟んだ。 
「…そこまで堅くなるな、北原。
 かずささん、すみませんね。せっかくのクリスマスイブに不躾な男を連れて来てしまって」
「……」
 不機嫌な表情のままのかずさに代わって曜子が答えた。
「いいのよ。吉松さんにお願いしたのはこちらからなんだから。
 しかし、ギター君が副編集長ねえ」
 曜子の言葉に春希はやや照れて訂正する。
「副編集長ではないです。編集長が自らトルコ・欧州と長期取材に向かわれる間の業務支援です。自分はデスクの補佐役です。編集長が不在されるとアンサンブルには編プロの方しかいなくなってしまいますので」
「副編集長代理補佐心得見習い、ってトコロか? 要するに春希がロクな記事を書けないからわたしの担当は下ろされたわけか」
 そんな辛辣な様子を続けるかずさにツッコミを入れたのはかずさの師、吉松夫人ことベレンガリア・吉松だった。流暢な日本語だった。
「あらあら。それはかずさのピアノがマシになってきたから今までみたくドシロウトの記事ではそろそろ物足りなくなってきたってだけじゃないの? ウチの主人まで引っ張り出さなきゃならなくなる程には」
「……」
 その言葉はかずさのツッコミである以上に春希への重い追撃となった。たちまち春希は机に伏せって抗議の呻きを返した。
「…その一言でどれだけの相手に喧嘩売ればいいんですか?」

 女性陣に弄られる春希に助け船を出したのはアンサンブル編集長、吉松宗佐だった。
「はは。みんなあまり我が社のホープをいじめないでくれよ。アンサンブルにはもったいない程の若者なんだから」
「いえいえすいません。気の利かない若輩者で。
 編集長のお留守の間、頑張らせていただきます」
「いやいや、優秀な君が支援に来てくれて嬉しいよ。おかげで私も久しぶりに自分で取材ができる。
 冬馬かずささん、よろしくお願いします」
「あ、ああ。どうも」
 頭を下げてきたこの中年男に対してかずさはそっけない返事をした。かずさにとっては春希でなければ誰でも同じだった。

 春希が欧州にも取材に来てくれるかもとの淡い期待が断たれたかずさは今日の主賓であるにも関わらず仏頂面だった。曜子はそんなかずさを慰めるように言う。
「さあさ、かずさも機嫌直して。
 みんなこの忙しい時期にかずさの為に集まって来てくれたんだから。しかもクリスマスイブ。悪い子にしてるとサンタさん来ないわよ」
「はいはい。『本日は忙しいところお集まりいただき、ありがとうございました。日頃お世話になっている皆様のために一席設けさせていただきました。よろしくお願いします』」
 そんなかずさの棒読みの挨拶にも皆、律儀に返礼した。
「よろしく、かずささん」
「よろしく」
「よろしくね、かずさ」
 正月明けにトルコと欧州に向かうかずさを関係者皆で送り出す、一足早いはなむけの宴が始まった。


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