翌日朝、出社した春希は、早々に浜田に捕まった。
「…それでさ」
重苦しい浜田の声に、春希はあえて平静を装った。
「はい?」
「昨日のコンサートのレポートは?」
やっぱり聞かれたか……
どう書こうか、迷っていたのにな…
「それは…」
「…って、昨夜の今朝でってのはさすがに言い過ぎか。ま、いいや、次回で」
「………」
「でさ、どうだったコンサート? 俺、仕事の関係で行けなくてさ」
でも、結局聞かれるのか……
「あ、いや、その…」
「なんだよ?随分と微妙な反応だな。もしかして、大したことなかったか?」
「いえ、そういう訳じゃなくて… あの、申し訳ありません、実は…」
かずさの体調不良で、失敗だった事は隠せないなと諦めていると、
「てことは本当だったんだなぁ…この記事」
「…記事?」
「今朝の東経新聞の文化欄… 昨日のコンサートのことが小さく載ってるんだけどさ、これが…」
「もしかして…評判悪いんですか?」
「いや、全体的にはいいよ? スポーツ紙でも、ネットでの評判も」
「それって…」
スポーツ紙やネットって、いわゆる専門外の一般の声か…
「ほとんどの記事が、当日の盛況ぶりとか、冬馬かずさを初めて見た感想とかばかりで、実際に演奏をきっちりレビューしてるのは…」
そう言って浜田は手に持ったコピーを春希に手渡した。
「この記事だけ…?」
「それだって別に酷評してる訳じゃない。技術は世界レベルだってちゃんと評価してるし」
「………」
「それにその評論家、辛口で有名でな。来月の音楽誌を見てみないと、本当の評価は出てこないけど」
春希の視線は手に持ったコピーにくぎ付けになった。
軽く流してみただけでも、気になる文章が次から次へと目に留まる。
『明らかに準備不足』
『高い技術で表面上は取り繕っているが、表現力が追いついてきていない』
『後半に行くにつれ勢いがなくなっていく流れをせき止めるほどの体力と経験に恵まれていない』
『長丁場のソロコンサートを一人で弾き切るには、色々と不足していると言わざるを得ない』
やはり、無理をしていた為、それなりの人ならこの評価も仕方ないだろう。
「ただ、昔からアンサンブルでも記事書いてる人でな、編集長も結構信頼してるそうだ」
「そう、なんですか…」
どう説明したものか…、春希は迷った。
確かにかずさの体調不良でコンサートそのものの出来は悪かった。
しかし、冬馬曜子オフィスの誰も、そんな事は気にもしていない。
昨日の夜、雪菜からメールが来たが、帰って来た曜子さんと3人で祝杯を挙げたと書いてあった。
曜子さんは見たことも無いくらいハイテンションで、手がつけられなかったらしい。
特集誌の発売を控えて、逆風の評価は売り上げに直接響いてくるので、浜田としては不安なのだろうが。
男二人が顰め面で立っているところに、鈴木から声がかかった。
「浜田さん、吉松編集長が呼んでます。冬馬社長がみえているらしいです」
「冬馬社長が?」
浜田は応接室へと急いだ。
「ねえねえ、実際の処どうだったの、昨日のコンサート」
「鈴木さんだって会場で聴いてたんでしょ?浜田さんの代わりに」
「そうだけどさぁ、私クラシックって良く分かんないから、上手だなぁって思ってたけど?」
一般の人はこんなものだろうなと春希は改めて思った。
そういえば春希も、付属時代に隣の第二音楽室から聞こえてくるピアノを、ただ上手だなとしか感じていなかった事を思い出した。
今では、かずさのピアノの音色から、かずさの感情を察することもある。
「まあ、冬馬かずさの演奏としては最悪でしたよ」
「そうなのかぁ…」
春希の言葉に納得したのか、鈴木は自分の仕事へと戻って行った。
暫くして浜田が戻って来た。
「参ったよ……、なんだよあのハイテンション」
疲れ切った表情で席にどかっと座った。
「どうしたんですか?まさか娘の不甲斐ない演奏にキレたとか……」
心配そうに鈴木が声をかけた。
「いや…全くの逆。まさにこの世の春といった感じでさ」
浜田は背もたれから体を離すと、机の上に乗り出すようにした。
「部屋に入って挨拶が終わるやいなや、『いやー、昨日はごめんなさいねぇ、あの娘ったらもぉー。でも、次は大丈夫だからねぇ』って、終始にこにこしちゃって…」
「何かあったんですか?」
「それがさっぱり、やっぱあの人分からんわ…」
浜田と鈴木の会話を横で聞きながら春希は今週以降の予定を確認していた。
かずさの取材で本来の仕事から離れていたので、暫くは各方面との調整に気を付けないと。
そう考えていると、浜田から思わぬ言葉がかけられた。
「北原、お前は暫くは仕事量を抑えておけ。何でも冬馬かずさとライブに出るそうだな。冬馬社長からお前の事頼まれたよ。練習時間を都合つけてくれってな」
「おいおい、またかよ北原…」
松岡が不満を漏らしてきた。
「すみません、松岡さん。なるべく仕事に支障が無いように気をつけますから」
「いいんだよ、北原君。松っちゃんの場合は、単に北原君がいないと手伝って貰えないから言ってるだけだから」
「まぁ、鈴木の言うとおりだな。松岡はもう少し仕事のスキルを上げる為にも、北原抜きでやらせるつもりだからな、気にするな」
「そんなぁ……」
春希が戻って来るのを心待ちにしていた松岡にとっては、浜田の言葉は重かった。
「それに今回は、また『冬馬かずさ』を記事に出来るネタでもあるからな。ライブだからキーボードだろうが、それでも話題にはなるからな」
「それなんですが、どうも本人は、別の楽器を演るみたいなんですけど……」
春希はかずさが言っていたことを思い出した。
「別の楽器って…何?」
「さあ………」
鈴木が興味を示してきたが、春希も聞いていないので答えられなかった。
その日の夜、仕事を早めに切り上げた春希は、冬馬邸で雪菜からライブの詳細を説明して貰った。
「マジかよ…、ホントに何でも出来るんだな」
「ここにある楽器ならな。付属時代の暇つぶしの成果さ」
「それよりも春希くん、一応このことは当日まで秘密にしておいてね。出来るだけたくさんの人を驚かせたいから」
雪菜の説明だと、かずさの出演も秘密にしてあるそうで、メンバーと柳原朋以外には話していないらしい。
「で、まず最初は普通に『届かない恋』を演奏するの。間奏の所でわたしからメンバー紹介をするんだけど、まずわたし、その後に春希くん。
最後にかずさの紹介で会場中をあっと言わせるの。それで、その後はアレンジした『届かない恋 '13 』でまたあっと言わせたいなぁと」
雪菜はこう言っているが、春希には『あっ』というよりも『おおぉ…!』という感じになる気がしていた。
「…それでさ」
重苦しい浜田の声に、春希はあえて平静を装った。
「はい?」
「昨日のコンサートのレポートは?」
やっぱり聞かれたか……
どう書こうか、迷っていたのにな…
「それは…」
「…って、昨夜の今朝でってのはさすがに言い過ぎか。ま、いいや、次回で」
「………」
「でさ、どうだったコンサート? 俺、仕事の関係で行けなくてさ」
でも、結局聞かれるのか……
「あ、いや、その…」
「なんだよ?随分と微妙な反応だな。もしかして、大したことなかったか?」
「いえ、そういう訳じゃなくて… あの、申し訳ありません、実は…」
かずさの体調不良で、失敗だった事は隠せないなと諦めていると、
「てことは本当だったんだなぁ…この記事」
「…記事?」
「今朝の東経新聞の文化欄… 昨日のコンサートのことが小さく載ってるんだけどさ、これが…」
「もしかして…評判悪いんですか?」
「いや、全体的にはいいよ? スポーツ紙でも、ネットでの評判も」
「それって…」
スポーツ紙やネットって、いわゆる専門外の一般の声か…
「ほとんどの記事が、当日の盛況ぶりとか、冬馬かずさを初めて見た感想とかばかりで、実際に演奏をきっちりレビューしてるのは…」
そう言って浜田は手に持ったコピーを春希に手渡した。
「この記事だけ…?」
「それだって別に酷評してる訳じゃない。技術は世界レベルだってちゃんと評価してるし」
「………」
「それにその評論家、辛口で有名でな。来月の音楽誌を見てみないと、本当の評価は出てこないけど」
春希の視線は手に持ったコピーにくぎ付けになった。
軽く流してみただけでも、気になる文章が次から次へと目に留まる。
『明らかに準備不足』
『高い技術で表面上は取り繕っているが、表現力が追いついてきていない』
『後半に行くにつれ勢いがなくなっていく流れをせき止めるほどの体力と経験に恵まれていない』
『長丁場のソロコンサートを一人で弾き切るには、色々と不足していると言わざるを得ない』
やはり、無理をしていた為、それなりの人ならこの評価も仕方ないだろう。
「ただ、昔からアンサンブルでも記事書いてる人でな、編集長も結構信頼してるそうだ」
「そう、なんですか…」
どう説明したものか…、春希は迷った。
確かにかずさの体調不良でコンサートそのものの出来は悪かった。
しかし、冬馬曜子オフィスの誰も、そんな事は気にもしていない。
昨日の夜、雪菜からメールが来たが、帰って来た曜子さんと3人で祝杯を挙げたと書いてあった。
曜子さんは見たことも無いくらいハイテンションで、手がつけられなかったらしい。
特集誌の発売を控えて、逆風の評価は売り上げに直接響いてくるので、浜田としては不安なのだろうが。
男二人が顰め面で立っているところに、鈴木から声がかかった。
「浜田さん、吉松編集長が呼んでます。冬馬社長がみえているらしいです」
「冬馬社長が?」
浜田は応接室へと急いだ。
「ねえねえ、実際の処どうだったの、昨日のコンサート」
「鈴木さんだって会場で聴いてたんでしょ?浜田さんの代わりに」
「そうだけどさぁ、私クラシックって良く分かんないから、上手だなぁって思ってたけど?」
一般の人はこんなものだろうなと春希は改めて思った。
そういえば春希も、付属時代に隣の第二音楽室から聞こえてくるピアノを、ただ上手だなとしか感じていなかった事を思い出した。
今では、かずさのピアノの音色から、かずさの感情を察することもある。
「まあ、冬馬かずさの演奏としては最悪でしたよ」
「そうなのかぁ…」
春希の言葉に納得したのか、鈴木は自分の仕事へと戻って行った。
暫くして浜田が戻って来た。
「参ったよ……、なんだよあのハイテンション」
疲れ切った表情で席にどかっと座った。
「どうしたんですか?まさか娘の不甲斐ない演奏にキレたとか……」
心配そうに鈴木が声をかけた。
「いや…全くの逆。まさにこの世の春といった感じでさ」
浜田は背もたれから体を離すと、机の上に乗り出すようにした。
「部屋に入って挨拶が終わるやいなや、『いやー、昨日はごめんなさいねぇ、あの娘ったらもぉー。でも、次は大丈夫だからねぇ』って、終始にこにこしちゃって…」
「何かあったんですか?」
「それがさっぱり、やっぱあの人分からんわ…」
浜田と鈴木の会話を横で聞きながら春希は今週以降の予定を確認していた。
かずさの取材で本来の仕事から離れていたので、暫くは各方面との調整に気を付けないと。
そう考えていると、浜田から思わぬ言葉がかけられた。
「北原、お前は暫くは仕事量を抑えておけ。何でも冬馬かずさとライブに出るそうだな。冬馬社長からお前の事頼まれたよ。練習時間を都合つけてくれってな」
「おいおい、またかよ北原…」
松岡が不満を漏らしてきた。
「すみません、松岡さん。なるべく仕事に支障が無いように気をつけますから」
「いいんだよ、北原君。松っちゃんの場合は、単に北原君がいないと手伝って貰えないから言ってるだけだから」
「まぁ、鈴木の言うとおりだな。松岡はもう少し仕事のスキルを上げる為にも、北原抜きでやらせるつもりだからな、気にするな」
「そんなぁ……」
春希が戻って来るのを心待ちにしていた松岡にとっては、浜田の言葉は重かった。
「それに今回は、また『冬馬かずさ』を記事に出来るネタでもあるからな。ライブだからキーボードだろうが、それでも話題にはなるからな」
「それなんですが、どうも本人は、別の楽器を演るみたいなんですけど……」
春希はかずさが言っていたことを思い出した。
「別の楽器って…何?」
「さあ………」
鈴木が興味を示してきたが、春希も聞いていないので答えられなかった。
その日の夜、仕事を早めに切り上げた春希は、冬馬邸で雪菜からライブの詳細を説明して貰った。
「マジかよ…、ホントに何でも出来るんだな」
「ここにある楽器ならな。付属時代の暇つぶしの成果さ」
「それよりも春希くん、一応このことは当日まで秘密にしておいてね。出来るだけたくさんの人を驚かせたいから」
雪菜の説明だと、かずさの出演も秘密にしてあるそうで、メンバーと柳原朋以外には話していないらしい。
「で、まず最初は普通に『届かない恋』を演奏するの。間奏の所でわたしからメンバー紹介をするんだけど、まずわたし、その後に春希くん。
最後にかずさの紹介で会場中をあっと言わせるの。それで、その後はアレンジした『届かない恋 '13 』でまたあっと言わせたいなぁと」
雪菜はこう言っているが、春希には『あっ』というよりも『おおぉ…!』という感じになる気がしていた。
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抜けている、白血病は、どう回収しましょうか?
て、続編オーダー?
原作では悲劇な場面のコンサート失敗が、このssではそうでもないところが面白いですね。このssの場合ライブの方がメイン扱いだと思いますので、本番はそこからでしょうか?次回も楽しみにしています。