その日の春希は、これまでと変わり無かった。
この2年間、恋人として小春の傍にいてくれた春希そのものだった。
それでも、いや、だからこそ小春は考えてしまう。春希が今、何を思い、どうしたいのか。
あの二人に勝てるのか?春希には恋人としてのアドバンテージなどど言っていたが、正直そんなものは、単に強がりでしか無かった。
そんな事を考えていると、いつの間にか隣に座った春希に肩を優しく抱き寄せられた。
「何を考えてるんだ、小春?」
優しい春希の声が、小春の心に響いて来た。
「……この間はああ言っちゃったんですけど、私の…アドバンテージって、何でしょう?」
気が付くと、思ったままを口にしてしまっていた。
春希は、暫く考えると、抱き寄せた手に少しだけ力を入れた。
「こうして……傍に居られること…かな」
小春は春希の肩に頭をもたれ掛けさせると目を閉じた。
「そうですね……」
少なくとも、今は春希の心は小春に向いている。春希が答えを出すまでは……。
その日は、おそらく冬馬先輩のコンサートの日だろう。春希は何も言わなかったが、小春はそんな気がしていた。

そして、「冬馬かずさ 凱旋帰国コンサート」当日の日曜日が来た。
春希と小春は、この日は会場での取材準備のため、揃って開桜社に出社した。
「おはよう、北原君……って、まぁ!今日はご同伴で出勤ですか」
鈴木の言葉に春希は苦笑しながら答えた。
「おはようございます、鈴木さん。一緒の電車で来たんですから、別に驚くことも無いでしょう」
春希はさらりと受け流そうとするが、鈴木の追及もしぶとい。
「どこから…、それともいつからの方が正しいのかな、一緒に居たのは。それに今日もこれからずっと一緒なんでしょ?もうー、いつまで一緒に居るんだか」
その言葉には小春が答えた。
「そうですね……少なくとも、コンサートが終わるまでは…一緒に居られると思います……」
少し沈んだ小春の声に、春希は優しく頭に手を乗せて微笑んだ。
そんな春希の態度を余裕と受けたのか、鈴木はさらに攻め続けた。
「ところでさぁ、今日は元カノ1号・2号さんはどうしてるの?」
「あのですね、鈴木さん。話がどんどん飛躍しているように思うんですが……そもそも誰を指して言っているのか分かりませんが」
春希も負けじと防御を固める。しかし、ほぼ同時に発せられた小春の言葉によってその効果は無くなった。
「お二人は今日は朝から会場へ行かれてます」
「ほらぁー、小春っちの方がちゃんと分かってるんだから、とぼけたって無駄よ。というわけで、二人とも元カノ認定で決まりってことね」
鈴木は満足そうに春希を見た。
春希もこうなっては諦めるしか無かった。
「付き合って無かったって言っても、信じてくれないんですから、もう何も言いませんよ」
ここでやっと、鈴木は少し言いすぎたかなと反省し、小春にフォローの言葉をかけた。
「でもさぁ、今の二人の様子じゃ小春っちが3号さんになる事は無いんじゃないの?いいなぁ、ラブラブで」
鈴木としては、二人が別れそうにないという意味で言ったつもりだった。
「そうですね、そんな事はあり得ませんね……」
小春は二人に背を向けると言った。
「私は欠番になった2号さんになるだけですから……先に更衣室に行ってますね」
そう言うと、小走りで立ち去った。
鈴木はそんな小春を黙って見送ると、興味津々で、残された春希に聞いた。
「つまり……そういうこと?」
「……」
春希からは溜息しか返って来なかった。

午後から会場入りした春希は、関係者への取材を手早く済ませるとかずさの控室へ向かった。
「あ、春希くん、いらっしゃい」
控室では、雪菜が出迎えてくれた。だが、その表情はいつもと違って少し不安そうだった。
「どうした?何か問題でもあった?」
春希が問いかけると奥からかずさの答えが返ってきた。
「大丈夫だよ、問題無い。ちょっと気分がすぐれない気がするが…久しぶりの日本での演奏だから緊張してるのかな。あたしらしくないよな」
言葉尻は軽いが、表情は少し暗かった。
確かに、かずさにしてみれば、実力以上に話題が先行してしまい、各方面からの期待も日に日に増してきていたから、絶対に失敗できないという思いは強いだろう。
「そうだよ、かずさはすごいんだから。いつものように弾けばいいんだよ」
雪菜も言葉をかけるが、いつもの力が無い。
皆が不安そうな表情の中、かずさは春希を見て言った。
「今日は春希の為だけに弾く。だから、あたしのピアノ、聞いてくれ」
「ああ、分かった」
春希も少し心配だったが、かずさの瞳を見て安心できた。あの様子なら大丈夫だろう。

春希と小春は客席でかずさの登場を待った。
そして、コンサートの開演。
誰もがかずさのピアノに圧倒された。
その音に込められた想い。
嬉しさ、悲しさ、優しさ、辛さ、かずさの中にある感情がそのまま音として伝わってきた。
1曲目も、2曲目も、割れんばかりの拍手だった。
それが狂い始めたのは最後の曲の中盤あたりから。
その異変に、春希と小春はほぼ同時に気付いた。
「冬馬先輩、すごく辛そう…」
「ああ、やっぱり体調が良くなかったんだ…あいつ」
他の観客からもざわつきが出始めていた。それでもなんとか持ち直し、最後は拍手で終えられた。
演奏を終え、観客席に向かってかずさは頭を下げると、急ぐように舞台袖へ姿を消した。
ほとんどの観客からは好意的な感想が聞こえたが、一部の関係者らしき人たちの苦言も春希の耳に入ってきた。
『感情表現が追い付いていない』
『一人でコンサートをするには体力不足』
『そもそも実力不足、話題先行でしか無かった』
そういう批判に耳を閉ざすように、春希と小春はかずさの控室へと向かった。

控室の前では雪菜が心配そうに立っていた。
「雪菜、かずさは……」
春希の姿を見つけると、雪菜は駆け寄ってきた。
「春希くん、かずさが…かずさが…」
「かずさに何があったんだ?」
「分からないの……、演奏が終わった後、すぐに控室に駆け込んでしまったから…。わたし、どうしたらいいか分からなくて……」
雪菜は今にも泣きだしそうだった。
「それで、かずさは中にいるのか?」
「うん……入ってすぐ、荷物をひっくり返したような物音がして…わたし、怖くて部屋に入れなかった」
そこまで言うと、雪菜は控室の扉を振り返り、見つめた。
「最後、少しおかしかったからな。気持ちが高ぶっているのかもしれないな」
思うような演奏が出来なかったのが悔しかったのだろう。
しかし、今は雪菜の言ったような激しい物音は聞こえない。
かすかに、何かしている物音が聞こえる程度だ。
雪菜と春希と小春の三人は、そのまま黙って扉の前に立っていた。
やがて、僅かに扉が開き、かずさが声をかけてきた。
「雪菜……すまないが、ちょっと来て貰えないか……」
押し殺したようなその声に、雪菜は恐る恐る控室に入って行った。
春希と小春はそのまま待っていた。
中からは、なにか話声が聞こえる。
そして、扉が開き、雪菜が飛び出すように出てきた。立っていた春希にぶつかるような勢いだったので、春希は雪菜の体を両手で受け止めた。
そのまま、春希の顔を見た雪菜の目は涙で濡れていた。
「ごめん…ちょっと急ぐから……」
そう言うと、雪菜は紙袋を抱えて走って行った。
暫くその姿を茫然と見ていた二人は、背後からの声に我に返った。
「春希……杉浦さん…心配かけた。もう…大丈夫だから……」
そう言うと、かずさはぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。
春希は堪らず、かずさの肩を両手で捕まえると、まっすぐに見つめて言った。
「いったい、何があったんだよ。…話してくれよ……」
その言葉にかずさは、一瞬びくっと肩を震わせた。暫くして、俯きながら小さな声で話し始めた。
「…実はな…あたし、何というか……その…」
「ああ、何でも聞いてやるから…話してみろ……」
春希は優しく声をかけた。その声に、かずさは俯いていた顔を上げて、春希の目を見つめた。
「……お…」
「お?」
「…お……お前に……お前に話せるわけ無いじゃないか!」
そう言い放つと、かずさは控室に入り、扉を勢いよく閉めた。
春希は突然の予想外の言葉に唖然と立ち尽くした。
後ろでくすっという笑い声のようなものが聞こえたので振り返ると、雪菜が笑顔で、でも、泣きながら立っていた。
「雪菜…いったい、何が…」
戸惑う春希に雪菜は控室の扉を開けると言った。
「かずさも、自分で話すって言ってたのに……。いいよ、二人とも中に入って」

控室の中で、かずさは椅子に座っていた。
三人が入って来る二を見ると、立ち上がり、深々と頭を下げた。
「せっかく最高の演奏を聴かせるつもりだったのに、済まなかった。でも……あたし…」
そこでかずさは声が詰まった。
「いいよ、気にするな。こんなこともあるさ」
春希は出来る限り優しく言った。
「あたし……あたし、こんなことって……嬉しくって…」
「え…?」
「突然だったから……いきなり来ちゃったから…あたし…」
春希は何が何だか分からなかった。
「え…? …あ…あ、あー!」
突然横にいた小春が大声で叫んだ。
「来ちゃったって…、もしかして、本当に来ちゃったんですか?」
「え?いったい何が…おい、小春?」
未だ理解できずといった春希に雪菜は呆れ顔で言った。
「もうー、春希くんは鈍いなぁ、察してよ、ね、かずさ」
そこまで言われて、春希もようやく一つの答えに辿りついた。
「もしかして、…本当に……なのか?」
春希の問いかけに、かずさは大きく頷いた。

「こんなに……嬉しい事は無い。コンサートは失敗だったけど、今日は最高の日だよ」
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陰と陽、嬉しい事と悲しい事が 誰かに降りかかる。
次からの展開が とても楽しみに感じて居ます。

立ち位置が変わると 雪菜と かずさ、小春の感情の裏表がどう変わるかが楽しみです。

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Posted by Rain 2014年06月14日(土) 23:42:28 返信

原作では最初の凱旋コンサートは失敗したので、このSSではどう扱うのかちょっと注目していましたが、こう来たかという感じですね。かずさや雪菜が泣いている描写だったのでとんでもない事が起きたのかと思ったら逆でしたね。このSSの場合、かずさや雪菜に良いことが起こるのは小春にとっては逆の事になる可能性が高くなるので、これからの展開を楽しみにしています。

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Posted by tune 2014年06月14日(土) 21:46:54 返信

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