「まったく……、こんな事になっていたなんてね」
控室の入り口には、曜子が呆れた様子で立っていた。
コンサート終了後、関係者からの慰めとも憐れみとも取れる言葉に嫌々対応し、さぞ落ち込んでいるだろうかずさに、嫌みの一つでも言ってやろうと思っていた。
しかし、当のかずさはそんな事は気にもせず、というよりはむしろ原因の体調不良を喜びとしてしまっていたのだ。
それでも、これは曜子にとっても嬉しい出来事には違いなかった。
「孫……か…」
欲しくない訳では無かったが、考えないようにしていた。なにしろかずさが春希一筋であったこと、そして、ウィーンに来てすぐかずさから打ち明けられ、病院にも同行した。
かずさ自身がその後の治療を希望しなかった為、曜子も無理には勧めなかった。春希への深すぎる想いを分かっていたから。彼以外の男の子供なんて欲しく無いという娘の想いを。
願わくば、春希がかずさを選んでくれれば良いのだが。
「ライバル達は強力なのよねぇ…」
恋人や愛人としてならば勝てるかもしれないとは思ったが、妻としては明らかに二人に劣っている。何しろ家事が出来ない。
「あとは…ギター君がどう考えるかよね……」
そう呟くと、曜子はそっと控室を後にした。

人目を避けるようにして、4人はタクシーで冬馬邸へ向かった。
特に会話も無く、そのまま玄関から地下のスタジオへ下りた。
かずさはそのままピアノの前に座り、ゆっくりとしたメロディーの曲を弾いている。
「いい曲ですね…でも、何ていう曲ですか?」
目を閉じて聴きながら、小春がかずさに訊いた。
「……いや、タイトルは無いんだ、あたしの中にある幸せのイメージを曲にしてみたんだけど…」
かずさは弾きながら、そう答えた。
そのまま、静かに曲が終わった。
静寂の中、春希がかずさのすぐ後ろに行き、口を開いた。
「やっぱり…、お前、かっこいいよ」
そう言うとかずさの両肩にそっと手を置いた。
「…はるきぃ……」
手が置かれた瞬間、かずさは僅かにびくっとしたが、すぐに甘えたような声で春希の名を呼んだ。
「だから……、お前は永遠に、俺にとって憧れの存在なんだ。…これからも、ずっと」
そして、肩から手を離し、二人の様子を、両手を胸の前で握り締めて見ていた雪菜の目の前まで行くと、その両手を包み込むように手を重ねた。
「……だから、恋人にするなら雪菜のような女の子がいいなって、付属祭でミスコンがあるたびに思ってた。
そして、あの頃の高嶺の花は、今はすぐ手の届く処に居てくれる……」
「春希くん……」
雪菜はうっとりとした表情で、春希を見つめた。
小春は、そこまでは春希を目で追っていたが、耐えきれず、視線を逸らすと俯いた。

―そう、春希さんが誰を選んでも、受け入れるって決めていた。
 だから、泣いちゃいけない。笑顔で祝福しないと……

溢れそうになる涙を必死で堪えていた為、春希が自分の前に来ている事に、小春はすぐには気付かなかった。
春希は小春が顔を上げるまで、何も言わず待っていた。
どれくらい経ったのだろう、小春は春希が自分の前に立っていることに気付くと、顔を上げ、潤んだ瞳で春希を見た。
「やっと、俺を見てくれた」
優しい声で、春希が言った。その表情に、小春は春希の想いを感じた。
「え……でも…恋人にするなら、小木曽先輩だって……」
そう言う小春を、春希はしっかりと抱きしめた。
「かずさや雪菜には恋をしていた。でも、俺が愛しているのは小春なんだ。俺が唯一人、守ってやりたいって思う女の子は小春だけなんだ」
「……あ……ぁ…」
小春の目から涙が溢れて春希の姿が滲んで見えなくなった。
そのまま、春希の胸に顔を埋めて背中に腕を廻した。
「ああぁ……あぁ……」
涙が止まらなかった。そのまま声をあげて泣いた。
春希は小春が泣き止むまでその小さな体を抱きしめていた。

気が付くと、かずさがまたピアノを弾きはじめていた。
優しいメロディーにアレンジされた『届かない恋』だった。
「かずさ、雪菜、済まない。俺はお前たちを選んでやれなかった…」
かずさは無言でそのままピアノを弾き続け、曲が終わって春希に目を向けると、呆れたように言った。
「何を言ってるんだ、おまえは……。誰かを選べば、当然選ばれないやつだっている。それともおまえは、ハーレムでも作りたかったのか?」
「……いや、そんなことは……いてっ!」
小春に脇腹を抓られて春希は声をあげた。
「どうしてすぐに否定しないんですかっ!」
「いや、だって、冗談だって分かってるから…」
しどろもどろに弁解する春希を見ながら、雪菜が呟いた。
「わたしは……それでもいいなぁ…」
三人の視線が雪菜に集中したが、当の雪菜は気にもしなかった。

そしてまた、かずさはピアノを弾き始めた。今度は『時の魔法』。
「雪菜も、そんな冗談言ってないで、まだ諦めるのは早いだろ?要するに、今の春希じゃあたしたちを守るなんて出来ないってことさ。年下の杉浦さんだから守れるんだ。
母さんも言ってたけど、男って20代はまだ頼りないんだって。30代になってようやく本当の力を付けてくるんだ。その頃にはあたしたちを守りたいって思うかもな」
雪菜はかずさの言葉に、一瞬驚きの表情を見せたがすぐに納得した表情で頷いた。
「うん、そうだね…願いは、きっと叶う…よね」
「そうだよ、杉浦さんに教えられた事はたくさんあるんだから。10年でも、20年でも……待てるさ」
「その前に、春希くんが小春さんに愛想を尽かしちゃうってことも?」
雪菜は悪戯っぽく小春に視線を向けた。
「そ…そんなこと、ありません……よね?」
小春は心配そうに春希を見上げた。
「小春次第だな」
慌てた小春の表情が面白かったのか、春希は笑いながら答えた。
雪菜もかずさも笑っている。
「だから、がんばって春希を幸せにしてやれって事。春希もいつだってここに逃げてきていいからな」
「そうそう、ここはわたしたち3人の別宅って事で、何かあったら、いつだって『別宅に帰らせていただきます』って書き置き残して戻ってきていいからね」
二人の本気とも冗談とも分からない言葉に、なぜか春希も小春も幸せを感じていた。
だから小春も少し強気の返事が返せた。
「そう簡単に、ここに来させませんからね」
「いや…小春……」
春希が申し訳なさそうに小春に耳打ちした。
「実は、バレンタインライブの練習で、また暫くここに通うんだけど……」
「!!………」
言葉を無くした小春に雪菜はにっこりと笑って言った。
「仕方ないよ、だって、わたしたち3人はこれからもずっと『軽音楽同好会』なんだから」

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このページへのコメント

tuneさん、いつもコメントありがとうございます。
当初の予定では、今回が最終回でした。でも、朋のせいでバレンタインライブに出演することになったので(笑)そこまで書いて終わらせることにしています。
追加エピソードなんかも浮かんできているので、終わってもSSのSS(?)という形での更新をする予定です。

0
Posted by finepcnet 2014年06月15日(日) 19:04:03 返信

会話の流れから今回が最終回⁉と思いましたが、違うのですね安心しました(笑)。とはいえ終わりは近いのかな?とも思いますが、どうなのでしょうか?次回楽しみにしています。

0
Posted by tune 2014年06月15日(日) 18:38:48 返信

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