色とりどりの料理とワインと一緒に、ビジネスの話も順調に進んだ。特にかずさへの取材については、今まで春希との「お友達仕事」でなあなあになっていた取材の条件等についていろいろ詰めが行われた。
 春希にとって意外だったのは、吉松編集長が実はヨーロッパでいろいろ忙しく、かずさにそれほど密着して取材するわけではないということだった。
 とは言え、吉松編集長の取材にかける意欲には並々ならぬものがあるようだった。ワインも手伝ってか、編集長はだんだん饒舌になってきた。
 言葉こそ控え目だったが、話の節々で隠しきれない熱意がちらほら漏れ出てきていた。

「ウィーンでは予定は1公演と聞いていますが、状況次第では臨機に公演を行う事もあるわけですね?」
 編集長の質問に曜子は冷たい声をつくって答える。
「かずさの気が向けば仕事するのも良い、と言ったけど。残念ね。ウィーンで東洋人が仕事穫るのがどれくらい難しいかくらいは共通の認識持てていると思ってたんだけど」
 編集長はそんな曜子に食い下がる。
「ほう。ウィーンでなければパリやミュンヘンもあるでしょう。ヨーロッパのどの国かはこだわらないとお聞きしましたが」
「どこでも好き勝手に行ってみなさい、って言っただけ。賞穫った勢いで日本で売れたみたいによその国でホイホイ公演できたら誰も苦労しないわよ。わたしが何年かかったか知っているでしょう?」
「14年間の曜子さんの御苦労はよく知ってます。ただ、かずささんがどこかで公演なさる時には、何があっても真っ先に取材させていただきますよ」
「ええ、好きにしなさい。…かずさ。2月10日にどこかで公演穫ってきなさい。デュッセルドルフからなるべく遠い都市で」
「国際室内楽フォーラムでしたらご心配なく。かずささんのコンサートの方を優先させていただきますから」
「ホント、しつこいわね。あなた…
 まあ、もう取材許可しちゃったわけだから好きにして」
 そんな2人のやりとりにかずさが口を挟む。
「編集長さん。仕事熱心なのはありがたいけど、ヨーロッパへは充電しに行くだけだから。ウィーン公演も音楽祭で他にも大勢が順番でやる中で一曲だけだし」
 それに対して編集長はにこりと返した。
「ええ、ウィーンでの公演はもちろん、充電した後の活躍にも期待させていただきますよ」
 これにはかずさも呆れ顔になった。
「期待されるのは悪い気はしないけどさ。なんで、春希もいないのにわざわざ…」

 目を輝かせている編集長と対称的に浮かない表情をしだしたのは春希だった。編集長の意気込みを感じれば感じるほど、かずさについていけない歯がゆさが強くなった。
 そんな春希の苛立ちを悟ってか、麻理がやんわりと編集長に釘を刺しに入った。
「編集長。少し、落ち着かれたらいかがですか? かずささんも困ってられますよ?」
「ああ、これは失礼。ついつい年甲斐もなく興奮してしまいました。かずささんほど煌びやかな才能ある方を取材させていただけるなんて身に余る光栄なのでつい、、、」
 そこに苛立ちを露わにした声を入れてきたのは曜子だった。
「誰にでもそんな事を言っているんでしょう?」
「いや、そんな事は、、、」
 抗弁しようとした編集長の声を遮って、曜子は言った。編集長の声色を真似て。
「『曜子さんほど煌びやかな才能ある方を取材させていただけるなんて身に余る光栄なのでつい、、、』」
「……! いや、それは…」
 これに対して編集長は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「あの、吉松編集長…」
「……」
 春希が心配そうに声をかけたが、吉松編集長は恥辱のあまりに顔をあげることすらできなかった。
 代わって曜子に問いただしたのは彼の妻、ベレンガレアだった。
「それっていつの話?」
「27年前かな?」
「覚えている方も覚えている方よね。なつかしいわ。わたしも覚えているけど。27年前だったかな?」
 ベレンガレアはむしろ楽しそうに笑みを浮かべて、フランス語で夫の口調を真似て言った。
「『類い希な才能あふれるベレンガレアさんに取材の許可をいただき、緊張しています』だったわね」
「……」
 
 妻からも追撃を受けて完全に沈黙した編集長を置いて、麻理がベレンガレアに質問した。
「27年前というと、ベレンガレアさんと冬馬曜子さんがグロリアナ女王国際コンクールで共に入賞された時ですね?」
「そうね、懐かしいわね」
「良かったわね、あの頃は」
 2人は互いに切磋琢磨した日々を思い返しているよだった。やがて、おもむろに曜子から口を開いた。
「あなたがこんな男にかまけてプロの道をあきらめたのは本当にもったいない話だったわよね」
 それに対してベレンガレアは何言ってるのと言わんばかりに言い返した。
「何言ってるんだか。
 わたしにとっては自分のピアノの腕は手段であって目的では無かったからね。
 日本で職探したら『本場の先生!』ってばかりにバカみたいにありがたがられて、楽に分不相応な地位と名声と報酬が得られて、何よりかずさみたいな自分より才能あるコを何人も世に送り出すことができて、最高よ。
 ソースケはそんな幸運な巡り合わせの切っ掛けだったわ。
 あなたこそ、師匠に『男遊びがなければもっとすばらしいピアニストになれたのに』なんて言われちゃってるじゃない」
 それに対する曜子は即座に反論してきた。
「何を。
 かずさが産まれなければわたしもここまで頑張りはしなかったわよ。かずさがいたからこそ、こなくそとばかりにこの子の為に頑張れた。
 この子を養う金の為にどんな仕事にも食らいついて、どんな手段でも選ばずに使って。そうしたら地位と名声と報酬が後からついて来た。
 かずさはそんな幸運な巡り合わせの切っ掛けだったわ。
 ただ、心残りはあなたとは勝負できなかった事ね」
「いやいや、完敗よ。あなたみたいな執念深い女と勝負になったら勝ち目はなかったわ。ましてや、あなたにはかずさがついてたんだから。
 むしろ、あなたが勝負をしてくれなかった事が心苦しいと思うわよ」
「……?」
「……!?」

 ここで2人の会話がおかしい事に麻理と春希は気がつきだした。
 曜子が「勝負をしてくれなかった」とは?
 ピアニストとしての勝負という話なら、音大での教職を選んだベレンガレアが曜子に対し、「勝負をしてくれなかった」と言うのはおかしな話だ。では「勝負」とは一体何の事か?
「……!!」
 春希はその答えにまで至ってしまった。
 曜子とベレンガレアの視線は同時に吉松編集長の方を向いてしまっていた。

 『かずさの実父は吉松編集長』という事実は、かずさも吉松編集長本人も知らない。春希と曜子とベレンガレアしか知らない事実であった。
 しかし、今の会話と2人の視線は吉松編集長と曜子の関係を匂わせるに十分だろう。それどころかカンのいい者ならかずさの実父についてまで感づいてしまうかもしれない。
 春希は皆の気を逸らすべく周りを見回した。幸い、麻理もかずさも、顔を伏せている吉松編集長もまだ気づいてはいないようだが…
 何か皆の気をそらすものはないか。
 春希の目に止まったのは曜子の傍らに置かれたワインリストであった。

「あの、自分もワインをもう一本いただいてよろしいですか?」
 出し抜けに春希がワインリストを取って言うと、皆びっくりしたように春希の方を見た。
 下っ端の分際でワインを注文する無礼さは春希も百も承知だが、それがかえって気を逸らすには有効だった。
「あ、すいません。こういう場に慣れていないのでつい無礼を…」
 皆の気をそらす目的を達成した春希はごまかしてワインリストを置こうとした。が、かずさがそれを許さなかった。
「いいじゃないか、春希。今日はクリスマスだし、わたしの壮行会も兼ねてるしな。なんでも好きな…そうだな。わたしと一緒に飲むのにぴったりのワインを選んでくれ」
「え? えと、かずさ?」
「ふふ。値段とかつまらないこと気にしなくていいぞ。こちらがもつ。春希が選んでくれさえすればいい。ソムリエにオススメを聞くとかつまらないことしなければな」
「……」

 ニヤニヤ笑うかずさに春希は困ってしまった。春希のワインの知識なんてたかが知れている。値段も載ってないワインリストから無難なワインを選ぶのは困難だ。
 曜子やベレンガレアも突然始まったこの余興を生暖かい目で見ている。春希は麻理や編集長に目を向けたが、「自分の蒔いた種だろ?」と言わんばかりの冷たい視線を返された。

『かずさめ…』
 春希は観念してワインリストを眺めた。
 うっかりビンテージもののワインを注文すると何十万もするらしい。が、店側もそこは心得たもので、例えば女性の前で見栄をはって不相応に高いワインを注文しそうになっている男には、ソムリエはうまい助け舟を出して無難なチョイスに誘導してくれるそうだ…と、大学でのフランス語の授業の時に講師がそんな事を言っていた。
 春希はソムリエをチラ見しつつ言った。
「自分みたいな駆け出しの貧乏性のサラリーマンにかずささんのお気に召すようなワインが選べるかわかりませんが…」
 中年の女性ソムリエは心得たとばかりに軽くうなづいた。
「いいから選べよ。春希」
 かずさはこの状況を楽しんでいるようだった。

 もう、皆の気を逸らす目的は達成したし、いいか。
 春希はそう考え、適当にワインを選んだ。が、高いワインを避けようと2ページ目から選んだのはそもそも間違いだった。
 いくらワイン知識に乏しくとも頭からじっくりリストを読みさえすれば、1ページ目の見開きが値段も手頃なオススメワイン、2ページ目から高い名醸ワインとなっているのは見当がついたはずだったのだ。
 さらには選んだワインも…ワインは悪くはないが運は悪かったのだろう。
「では、この『シャトー・マルゴー』というワインはありますか?」
「……!」
「……!!」
「…う、あははははっ!」
「…ハハハハッ!」
「!?」
「??」
 一瞬の間の後、曜子とベレンガレアが腹を抱えて笑い出した。麻理や編集長、美代子までも困ったような渋い表情になってしまった。
 春希とかずさだけが訳がわからずキョトンとした表情をしていた。

 そんな状況でもソムリエは表情一つ崩さず、春希の期待通り比較的無難なワインに誘導してきた。一拍おいた後ではあるが。
「…あいにくですが、たまたま良いビンテージのものが先ほど出てしまいました。セカンドラベルの『パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー』はいかがですか? ちょうど飲み頃のビンテージがあります。果実味も豊富でより女性的な仕上がりで、本日の料理にはこちらの方がオススメです」
 春希も「何かまずかったか?」と思いつつもソムリエの誘導に乗った。
「では、それを。いいですか? かずささん」
「あ、ああ。いいね。…ところで、母さん達、何笑っているの?」
 かずさは春希の選んだワインについて一通りの知識があった。
 シャトー・マルゴー。ボルドー5大シャトーのワイン一つ。「フランスワインの女王」と呼ばれ、女性的なワインの代表である。むしろいいチョイスだと思う。笑われる理由が解らない。
「くくく…いや、後で教えるわ。良いワインよ。セカンドでも良いわね」
「うん。ワインは素晴らしいわよ」
「じゃあ、いいじゃないか。貧乏記者君が払うわけでもなし。ファーストラベルがないのが残念なくらいだな。ありがとう。春希」
「…どうも、かずさ」
 かずさの感謝の一言に春希はホッと一息ついた。

 間もなく運ばれてきたワインはこの席に相応しい素晴らしいワインであった。
「なかなかうまいな。ありがとう、春希」
「どういたしまして。冬馬曜子さん、ご馳走になります」
「いいわね。わたしも飲めたらね…高柳先生からOK出た時にはファーストラベルの方をまた一緒に飲みたいわね。その時はまた、かずさとも一緒によろしくね」
 そんな冬馬親子をベレンガレアが茶化した。
「あなた達は砂糖入りワインの方が良かったんじゃないの?」
「うるさいわね」

 先ほど曜子とベレンガレアが笑った理由を春希が知るのはディナーの後の事となった。


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