翌日からも、春希はこれまでと変わらず岩津町の冬馬邸へ始発で向かった。
「ここに来るのも今週で終わりか…」
思わず口にした言葉に、何か感慨深い気持ちになり、立ち止まって来た道を振り返った。
視線の先には制服を着た黒髪の少女と、その少し後ろをギターを担いでついて行くこれも制服姿の少年がいた。
踵を返し、前を向く。
その視線の先、大きな家の玄関前には、にっこりと笑ってこちらを見ている栗色の髪の、もう少女とは言えないぐらい美しく成長した女性がいた。
目を閉じると、胸に顔を埋めて安らぐ少女のポニーテールが顔の前で揺れているのを感じた。
そして、目を開ける。早朝の街並みには自分以外誰もいない。朝の冷えた空気が心地良かった。

ゆっくりと歩き出し、冬馬邸へ入る。
今日は珍しく雪菜が玄関掃除をしていなかった。
玄関には鍵が掛っていなかったので、そのまま入ると、奥から雪菜がパタパタとスリッパの音を響かせてこちらへ来た。
「おはよう、春希くん。ごめんね、昨夜ちょっと夜更かししちゃって、今、朝ご飯の準備が出来たところだから。かずさももう座って待ってるよ」
「ああ、おはよう、雪菜。なら今から皆で食べようか?」
「そうだね、食べようか」

そのまま二人並んでダイニングへ入った。
そこで春希が見たものは、これまでの朝食とはまさに別世界……そう、確かに別の世界のようだった。
いつもなら、赤や黄色オレンジが並ぶテーブルの上には、確かにトマトの赤、卵の黄色はあったのだが、本来あるべきものが…デザートの類が無かった。
そして、そのテーブルの前で、目の前の緑色の液体の入ったグラスを見て、真剣な表情のかずさ。
「…おい、かずさ、何をそんなに……。それって、いったい何なんだ?」
不思議に思い春希が聞くと、隣にいた雪菜が答えてくれた。
「青汁ジュース…なんだけど、かずさの希望で」
「かずさの希望って……」
そこで春希は昨日のかずさの言葉を思い出した。

『ベジタリアンにだってなってやる』

「いくら何でも…いきなりやりすぎだろ?……」
「わたしもそう言ったんだけどね……ほんと、言い出したら聞かないんだから」
クスッと笑って雪菜はそのままかずさの隣に座った。
その雪菜の前にも、かずさと同じ飲み物があった。
えっ?と思い、いつもの自分の席を見るとそこにも同じものが……
「あの……もしかして、俺もこれ飲まなくっちゃいけない…のかな?」
そう口にした瞬間に、二人の厳しい視線が向けられた。
「……わかりました…はぁ………」
春希にしても、青汁なんてこれまで飲んだことなど無かった。ただ、CMで『まずい!』と言ってるのを聞いた事があるだけで、実物を目にしたのも初めてだった。
そのグラスに手を伸ばしたところで、かずさの視線がこちらに向けられているのを感じた。
雪菜に目を向けると、こちらはすがるような視線を向けている。
―…そうか、そうなんだよな。俺たちが出来る事はこういう事なんだよな。
雪菜にむかって軽く頷くと春希はその中身を半分ほど喉に流し込んで言った。
「……なんだ、思ったほど悪くないな。ちょっと構えすぎだったのか」
そう言って目の前のホットケーキに手を伸ばした。
「あ、それ、もう味付けしてあるから何も付けなくてもいいよ」
雪菜も春希の態度にほっとしたのか、表情に安堵が感じられた。
ホットケーキの中には微塵切りにした野菜が入っていた。
「へぇ、野菜ホットケーキか。結構いけるもんだな」
当然なのだが、あのドリンクの後では何を食べても甘く感じた。
そんな春希を見てかずさは、意を決したようにグラスを口に持って行き、一口飲んだ。
「……!」
言葉は無かった。しかし、文句も無く、春希と同じように野菜ホットケーキを口に運ぶ。

そうやってある意味試練のような朝食が始まった。
けれど、意外と慣れるもので、食べ終わる頃には、青汁の独特の臭みもあまり気にならなくなっていた。
ただそれは、かずさ以外に当てはまる事だったみたいで、この『急造ベジタリアン(もどき)』にとっては最後の一口まで慣れは感じられなかった。
「……ごちそうさま」
そう言うと、かずさはもう放心状態だった。目が虚ろで焦点が定まっていない。
「おい、かずさ、大丈夫か?」
心配する春希に雪菜は椅子から立ち上がると言った。
「たぶん大丈夫だよ、見てて」
そのまま冷蔵庫の扉を開けると、中から小さなカップを取り出してかずさの目の前に置いた。
「かずさ、がんばったね。ごほうびのデザートだよ」
その瞬間に、それまで焦点の合っていなかった目が生き生きと輝きだした。
「あ…あ……あぁ………プリンだぁ…」
飛びつくようにスプーンを刺して大きくすくい、口に持って行こうとするかずさを雪菜は止めた。
「待って、かずさ」
その言葉にかずさは、恨めしそうな視線を雪菜に向けた。
「なんだよぅ、意地悪するなよぅ……」
もう泣きそうなぐらいなのに、それでも言いつけどおりにかずさは食べるのを待った。
そんなかずさに、雪菜は優しく言った。
「そうじゃないよ。意地悪じゃなくって、そんなに慌てて食べたらもったいないよってこと。ゆっくりと、ひとくち一口味わって食べたほうがいいよ」
「そうかな…じゃ」
そう言うと、かずさは控え目にすくって口に入れた。
「そう、そうやって味わって食べるの」
雪菜は諭すように語りかける。
かずさは、うんうんと頷きながら小さなプリンをゆっくりと時間をかけて食べた。
「こんな小さなプリン一つで、こんなに幸せになれるなんて、初めて知ったよ……」
かずさは空になったカップを見つめて呟いた。

食事以外はこれまでと変わりなく日々が過ぎて行った。
新曲の練習も、順調に進み、金曜日のレコーディングも午後には無事に終了し、春希の冬馬邸での仕事は全て終了した。
もちろん取材も、記事のチェックも完了し、ここへ来る理由はもう無くなってしまった。
あと残すは、コンサート当日の記事だけになった。
その日の夕食は雪菜の希望で打ち上げパーティーになった。
小春も呼ばれ、かずさ、雪菜と合わせて4人でのパーティ―になった。
テーブルの上には料理とデザートがこれでもかというぐらい並べられていたが、かずさはデザートには少しも手を付けなかった。
「かずさ、今日だけは無理に我慢しなくてもいいんだよ」
雪菜の言葉にもかずさは野菜中心に自分の皿に盛り続けた。
「いや、これでいいんだ。だって最近、体調がすごくいいんだ。夜もよく眠れるし。それにデザートは最後に味わって食べるのが幸せなんだって分かったから」
そう言うかずさを、春希と雪菜が穏やかな笑顔で見ているのを見て、小春は少し胸がちくりとした気がした。

パーティーが終わり、皆で片付けをした後、揃って地下のスタジオへ行った。
かずさはピアノの前に座り、鍵盤を軽く叩いた。
「春希、ギターを持ってこいよ。ちょっと一曲やろう。まあ、ライブの練習だな」
その言葉に春希は改めて思い出した。
―そうだ、まだライブが残っているんだ。なら、これからもここに来る事が……
そんな事を考えていると、隣の小春がつんと脇腹をつついて来た。
「なんか、春希さん、今ほっとしませんでしたか?」
一瞬誤魔化そうと考えたが、今更そんな事は必要ないなと思い直した。
「ああ、そうだな。まだ三人でいっしょにやる事があるんだなって思ったよ」
そう言ってギターを取りに行った。
当然ライブでは『届かない恋』を演るのだろう。
ギターを構え、雪菜に向かって聞いた。
「雪菜、準備はいい?」
「え?…わたし?わたしも…歌うの?」
驚く雪菜にかずさは呆れたように言った。
「当たり前だろ、それともボーカル譲って何か楽器演るのか?」
「えー、そんなの無理だよぅ…」
「もっとも、準備いいかなんて聞くまでも無く、演奏が始まったら歌い出すんだろうけどな」
笑いながら春希が言う。
「もちろんだよ、だってわたしたち三人の歌なんだもん。それよりも、かずさはどうするの?キーボードは譲るんでしょ?」
「そうだな……、ピアノは鍵盤楽器だけど打弦楽器でもあるから…、打楽器と弦楽器かな」
「打楽器と弦楽器って…二つも演る気かよ」
呆れたように春希が言う。
「あたしに無理やりサックスとベースを演らせた奴が言える台詞か?」
「そう言えば……そんな事もあったな」

そして演奏が始まり、雪菜の歌声がスタジオに響いた。
そんな三人の姿を小春はただ黙って見つめていた。

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このページへのコメント

tuneさん、いつもコメントありがとうございます。
小春にとって、今の状況は嬉しくてかつ辛いものです。春希の決断ももうすぐですので……
このところ土日になんとか更新できていますが、書きあげてすぐに更新する状況が続いていて、気がつくと誤字があったままだったので指摘される前に直しました(笑)

0
Posted by finepcnet 2014年06月08日(日) 18:53:56 返信

三人がかつての三人に近づく程、小春は嬉しさ以上の置いてきぼり感を感じているようです。小春の危機感がどうなって行くのかが、これからの見所でしょうか?

0
Posted by tune 2014年06月08日(日) 14:49:54 返信

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