その日の夕食後、小春は『時の魔法』を聞かせてもらった。
三人とも穏やかで優しい表情をしている。
聞き終わると自然と涙が溢れてきた。
「すごく、素敵です。歌詞も、メロディーも、歌声も。
身内びいきって言われちゃうかもしれませんけど、今まで聞いた音楽の中で、一番心に染み入りました。」
そう言って、深々と頭を下げた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど…、わたし、ちょっと声が詰まっちゃったとこあったよね」
「春希に比べたら、全然大丈夫だよ」
雪菜の反省の言葉に、かずさが答えた。
「俺は…仕方ないだろ、素人なんだから」
春希は貶されて言い返したが、その顔は言葉とは裏腹に嬉しそうだった。

「じゃぁ、私、今日はこれで失礼させ貰いますね」
演奏後にあれこれ言い合う三人に、小春は言った。
「あ、それなら俺も今日はこれで帰らせて貰うよ」
いつもはまだ練習のはずの春希は、小春を送ってそのまま帰ると告げた。
「ああ、今日だけは特別に許可してやるよ。卒業祝いだ」
かずさの言葉に春希は顔を真っ赤にして驚いた。
「お…お前、聞いていたのか?」
そんな春希の動揺など全く意に介せぬとばかりに、かずさは続けた。
「ああ、何が『そろそろ先輩を卒業したいな』だ。あたしからすればいつまで『先輩』でいるつもりだって思ってたのに」
「そうだよ、…でも春希くん、何か心境の変化でもあったのかな?」
雪菜もちょっといじわるそうな口調で聞いて来た。
「そ…それは、だな……。そ、そうだ、…母さんの手前、彼女にいつまでも先輩なんて呼ばれてる訳にもいかないだろ…」
「なんか、いかにも取ってつけたような言い訳だな」
「だよねー、ま、いいけど」
「もう、いいだろ。さ、小春、帰るぞ」
そう言うと、春希は小春の手を引いてスタジオを出て行った。
そんな二人を見送った後、雪菜はかずさに言った
「あーあ、まだまだディフェンス堅いなぁ…」
「でも、攻められて慌てたってことは、まだ望みがあるってことだろ…」
かずさも雪菜と並んで、二人が出て行ったドアを見つめて呟いた。
「そうだね、…やっと、ここまで来れたんだなぁ……」

冬馬邸を出てから駅まで歩く途中で小春は考えていた。
『春希先輩』から『春希さん』。彼は何を思い、なぜこのタイミングなんだろうか。

「春希さん」
小春は隣を歩く春希に呼び掛けてみた。
「……何?」
少し間が空いた後、返事があった。
「やっぱり、まだ慣れないですね。春希さんも……」
そして、また暫く間が空いた後、春希はゆっくりと話し出した。
「…やっぱり、皆何か感じるんだろうな…。確かにちょっと変なタイミングだったかもしれないな……。
もう少し考えをまとめてから話すから、ちょっと待ってて貰えるかな」
そう言うと春希は繋いだ小春の手を握る力を少しだけ強くした。
「……はい」
小春も握り返し、そのまま二人は黙って駅の改札を抜け、電車に乗った。

そして電車を降り、小春の家に向かう途中で春希は話し始めた。
「本当のところは、動揺していたんだ。雪菜とかずさに好きだって言われて……。
だから単純に、小春への気持ちを確かめるつもりだったのかもしれない。
考えてみると、俺は昔からそうだったんだ。雪菜とかずさの二人との距離をいつも意識して……。
俺は三人でいるんだから、二人とも同じ距離感で接したかったんだ。でも、雪菜はどんどん距離を縮めてくるんだ。
だから、俺は寄って来る雪菜から少しだけ離れるようにして、逆にかずさに近寄った。あいつは文句を言いながらも少しだけ近づくのを許してくれた。
そうやって三人の距離は少ずつ縮まって行ったんだ。
そして、学園祭ステージで三人の距離は無くなった、そう感じた。最高に幸せだったよ。俺はそれ以上は何も望んでなかったんだ。
俺は、男女交際なんて、自分には縁のない事だと思ってた。口うるさくて、おせっかいで、ウザいっていつも言われてたからな。
でも、雪菜に迫られて、結局、考える前に受け入れてしまって……、後から都合のいい理由を勝手に付けて……、かずさは俺の事なんか好きになってくれるはず無いって。
自分の気持ちを考える前に、雪菜を好きだって、だから受け入れたんだって自分を納得させて……。
今日は、二人がこれまで言わなかった『好き』って言葉をはっきりと言ってきて、俺との距離を縮めようとしてきたのが分かったんだ。
だから、反射的に小春との距離を縮める為に、呼び方を変えて貰ったんだ。周りとの相対的な距離感が変わるのが怖かったんだよ。」

話しているうちに、いつの間にか小春の家の前に着いていた。
小春は、暫く家の玄関の明かりを見つめていたが、くるっと春希の方を向くと、
「やっぱり春希さんは優しいですね、……優しすぎます。そうやって人の気持ちばかり気にしてるから、自分を苦しめて、結果的に相手も苦しめるんですよ。
いい機会ですから、一度自分の気持ちを考えてみて下さい。誰を好きなのか、じゃ無いですよ。だって皆好きなんだから。
……その人が自分にとって、どういう存在なのか。私はあなたにとってどういう存在なのか。
無理に好きになられて、以前の小木曽先輩みたいになっちゃうのは嫌ですから。心の底から望まれなきゃ嫌なんです。……我儘だって分かってるんですけど…」
小春は真剣な表情で春希を見た。
「……」
春希は何も口に出せず、ただ黙って小春を見つめた。
「でも、希望は持ってますから。だって、この2年間の私は、今までで一番幸せでしたから。二人で幸せな時間を過ごしてきたっていう自信はありますから……
ずっと、ラブゲームだと思っていた試合が、気が付いたら追い上げられていて、ファイナルセットまで来て、でもまだアドバンテージは私です。
一つ間違えても、まだタイブレーク。ほんの少しですけど、やっぱり彼女っていうのは有利だって思ってますから。じゃ、おやすみなさい」
そう言うと、小春は手を振って玄関を入って行った。

春希は小春がいなくなった玄関先で暫く星空を見上げながら立っていた。
「この2年間の、幸せな時間……か」
かずさと再会して、そして雪菜とも再会して、二人への想いは少しも変わらなかった事が分かった。もちろん、小春への想いもこの先変わる事は無いだろう。
だから、はっきりさせないと……自分自身が誰を求めているのか……誰を幸せにしたいのかを……

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小春の一見アドバンテージに見える今の春希の彼女という立場もあの学祭のステージを共に成功させたかずさと雪菜の前では言う程の強味では無いかもしれません。小春も薄々それは感じているからあえてアドバンテージは自分に有ると言ったのかなと思いました。これから益々こじれて行きそうな気配ですね。次回楽しみにしています。

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Posted by tune 2014年06月07日(土) 22:53:11 返信

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