「はい、開桜グラフ編集部です。……あ、春希先輩!お疲れ様です。……浜田さんですね、はい、いますよ」
小春の元気な声が編集部に響いた。
「小春っち、いきなり元気5割増しだね」
「はい!だって思いがけなく先輩の声が聞けたんですから」
「ああ…、もう、からかいがいの無い…。彼氏の声だけでそんなに満面の笑みを見せられると、独り身にはつらいわ……」
最近、鈴木の扱いにも小春は慣れてきたようだった。

「なんだ、北原。何か問題でもあったのか?……え?有給休暇?そりゃ、届けさえ出てりゃ駄目とは言えんが……来月の14日?」
春希の電話を受けた浜田の言葉を聞いた鈴木が小春を見た。
小春は無言のまま浜田を見ていた。
「あっれぇ、彼氏くんがわざわざ休みを取ってまで何か計画してるのかなぁ?」
鈴木としては、バレンタインデーに休むなんて、どうやってからかってやろうかと思い、声をかけたのだが、当の小春は表情を曇らせていた。
「え…、いえ……だって、私はその日は丸一日講義があるから、会うのは夜だって……休みを取る必要なんか……」
そう言うと、小春は手元のメモ用紙に走り書きをして、それを持って、まだ春希と電話で話している浜田の方へ向かった。
そして目の前に仁王立ちした小春を不審そうに見る浜田の目の前に、そのメモを差し出した。
『お話が終わりましたら電話を変わって下さい』
そのまま小春は浜田が話し終えるまで、浜田を、というよりは浜田の持っている受話器を睨みつけながら立っていた。
話を終えると、浜田は渋い表情をしながら小春に受話器を渡した。
「あ、先輩。有給休暇ってどういう事ですか?……ライブって……小木曽先輩と………冬馬先輩も?」
小春は気付いていなかったが、小春が受話器を受け取った瞬間に、編集部は一瞬静まり返って、皆聞き耳を立てていた。
『冬馬先輩』という言葉の直後にざわめきが広がる。
「鈴木さん、今、杉浦が言った『冬馬先輩』って、『冬馬かずさ』の事ですよね。追加コンサートが終わらないのにライブに参加なんて、いいんですか?」
「うーん、どうだろ。まぁ、本人次第なんだし……、でもさぁ、北原君がギター弾くんだよね。
私も休んじゃおっかな?あ、それよりも麻里さんに教えてあげよっか?きっと麻里さん飛んでくるよ」
「そうですね、冬馬かずさがライブに出るなんて、本当にアメリカから飛んで来ますよ、取材しに」
「もうー、分かってないなぁ。松岡は……」

小春が春希との話を終えると、浜田は重い口調で言った。
「杉浦、お前はこれまできっちりと仕事をしてきたから、分かってると思っていたんだが、いくらアルバイトとはいえ、公私混同は良くないぞ」
しかし、浜田の言葉にも小春は動じなかった。
「はい、原則的には良くないことは分かってます。でも今回の場合、すぐに春希先輩に確認しておかないと、この後の私の仕事の効率が極端に落ちると思いました。
総合的に判断して、聞いた方が会社にとって利益があると思いましたので。…こういう考え方は間違っていますか?」
小春は真っ直ぐに浜田を見た。
「……う…、まぁ…、今回だけは大目に見てやる」
「はい、それでは仕事に戻ります!」
席に戻った小春の所に、早速鈴木が来た。
「ねぇねぇ、どういう話だったの?」
「プライベートな事なんで、お話しできません。それよりも、仕事して下さいよ」
小春のそっけない返事に、鈴木は口をとがらせて言った。
「えー、これ聞けないとこの後の私の仕事の効率が極端に落ちるんだけどなぁ……」
「大丈夫です、これくらいの事で鈴木さんの仕事の効率は落ちませんから」
横から松岡も言った。
「俺も、これを聞けないと仕事の効率が……」
全部を言いきらないうちに小春はきっぱりと言った。
「大丈夫です、松岡さんの仕事の効率はすでに落ち切ってますから」
「松っちゃん、相変わらずバイトに勝てないねぇ」
「あ…相手が悪いんです。だって、北原も杉浦も普通じゃないですから」
「そういう開き直りされてもねぇ……」

バイトを終え、小春は岩津町駅で電車を降り、冬馬邸へと向かった。
玄関で雪菜の出迎えを受けて、練習中の春希のもとへと地下への階段を下りた。
そっとコントロールルームのドアを開けると真剣な表情で練習する春希の顔が見えた。
ガラスの向こうのブースでは、かずさがこちらもまた真剣な表情だった。
そっとドアを閉めると暫く春希を見つめていた。
曲が終わり、顔を上げた春希と目が合った。
「ああ、小春、来てたんだ。………もう、そんな時間か…」
ぐうっとのびをする春希。
「お疲れ様、すごいですね、『届かない恋』もう完璧じゃないですか」
「そんなこと無いよ。一応間違えずに弾けるってだけで、まだ余裕がないからな」
ぐるぐると肩を回して春希が言った。そして、ブースの中のかずさを見て
「あいつみたいに、人に合わせるなんて芸当も出来ないしな」
「プロに張り合っても仕方ないじゃないですか。それよりも、ライブ、やるんですよね、3人で」
その小春の言葉に、春希は首を横に振った。
「え?……違うんですか?」
「電話だと詳しく説明出来なかったからな。まあ、雪菜が歌う事は間違いないし、その雪菜が俺とかずさが出ないならやらないって言ってるから……」
「どこが違うんですか?3人で出るんですよね」
「俺たち3人は確かに出る。でも、どうも柳原が先走ったみたいで…」
「柳原…って、あの『柳原 朋』先輩ですか?ミス峰城大の」
「ああ、その柳原だ。今日、雪菜が峰城大に用事があって行った時に、偶然会ったみたいでさ、雪菜にバレンタインライブに出ろって言ってきたみたいなんだ…」
春希は事の顛末を詳しく話しだした。
朋はどうも、売り言葉に買い言葉で、勝手にライブの枠を開けると雪菜に言ったみたいだった。
当然、他にしわ寄せが行くのだから、朋も困っていたのだが、一つのグループが、それなら一緒にやってくれないかと言ってきたのだった。
朋は渋ったが、雪菜が皆で楽しくやろうよと言ってしまった為、話が決まってしまった。
「でも、雪菜がボーカルなのは決まりだし、俺もギター以外出来ないからな」
そう言って春希はかずさを見た。
「でも、あいつは何でも出来るから、気晴らしに何をやろうかって言ってたよ」
かずさを見る春希の目は、懐かしそうに笑っていた。
そんな春希を見て小春は決心した。
「私、絶対見に行きますから」
「え?、小春、確かその日は一日大学じゃなかったっけ?」
春希は、以前バレンタインの予定を確認した時のことを思い出した。
そんな春希に、小春はきっぱりと言った。
「はい、もちろん時間が合わない講義はお休みします。だって、私の人生において、どっちが大事かなんて分かり切ってますから」


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久し振りに小春の出番の多い話でしたね。そして三人でライブを行う事に対して春希もかずさも多少の戸惑いや驚きがあっても嬉しそうな感じですね。あの時と同じ様には出来なくてもあの時に近い気分くらいにはなれるかもと自分自身に期待しているのかもしれないですね。ただ周りの期待値はあの時とは比べ物にならない程高くなっていますね。

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Posted by tune 2014年05月11日(日) 22:00:12 返信

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