32 病室にて ／ 2015年11月下旬
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ushigara_neko 2015年02月09日(月) 01:07:59履歴
……粉雪が、降っている。
真っ白な世界の中で、背を向けて立っている、女子高生二人。
左側に立つ女の子は、黒く長いストレートの髪を豊かに湛えている。
右側に立つ女の子は、少し明るい色の長い髪をツーサイドアップにしている。
冬の制服のスカートは短く、すらりと伸びた白い足が眩しい。
�爐�ずさ……、雪菜……��
二人は、少し振り向く。
�爐瓦瓩鵑福帖帖２兇�優柔不断なばかりに、二人を傷つけて……��
二人は、もう少し振り向く。
�爐瓦瓩鵑福帖帖２兇�二人とも愛してしまったばかりに、二人を傷つけて……��
かずさと、雪菜は、こちらを向き、春希を見つめる。
二人の目から、涙が一滴、すっと落ちた。
�爐瓦瓩鵑福△�ずさ……。俺がもっと早く、お前を愛してるという、自分の気持ちに真正面から向き合って、お前に告白していたら、辛い思いや寂しい思いをさせずに済んだのにな……��
�爐瓦瓩鵑福∪禳據帖帖２供�君に甘えてばかりで、何時も君に救われてきたのに、かずさを目の前にすると、何も目に入らなくなってしまって……。君を何度も傷つけて、本当に、ごめんな……��
ゆっくりと降る粉雪の中で、かずさと雪菜は、左右から春希を見つめていた。
微かに、『さよならのこと』が聴こえる。
�爐修Δ機Ｋ困譴蕕譴覆い茵Ｆ鷽佑量擬抖い弊次�
今も色褪せない、楽しい日々。
さよならを言う日が来るなんて、思いもしなかった。
ごめんな……��
……（春、希）……（春希）
……（春希くん）……（春希くん！）
（……かずさ。……なんだよ、お前、付いてくんなって、言ったのに。
それに雪菜まで……。
お前ら、なんで、もっと自分を、大事にしないんだよ。
いいか、良く聞けよ。天国はな、必死に生き抜いた者だけが、辿り着けるんだぞ。
お前らには、お前らの音楽を、待ち望んでる人達が、いっぱい、いるんだから。
お前らの、魂の枯れる時まで、全力で、良い音楽を作れ。
俺は、何処にいても、必ず聴いているから。
……こんな所にいないで、早く帰れ。
……ところで、ここは、地獄、か、天国、か、どっちだ？）
「どっちでもないよっ。死にかけが説教すんなっ。
この、大馬鹿野郎っ！」
かずさが、思い切り叫んだ。
（どっちでもない、って……）
「病院よ、春希くん！ あなたは、生きてるよ！」
雪菜は、声を震わせて、言った。
（そうだったのか……。てっきり死んだかと思った）
「……ん、だとぉ」
かずさの両目が複雑な色に燃え、そして眦に涙が溢れた。
「危なかったのよ。凄い血の量だったんだ、から」
ホッとした表情の雪菜の頬を、涙が滑り落ちた。
「このっ、馬鹿野郎がぁっ」
そう叫ぶと、かずさは春希の胸に顔を打つけて、強くこすりつけ、止めどなく泣き出した。
（痛いっ！ 痛いよ、かずさ）
「かずさ、傷口が開くよっ」
雪菜も驚いて声をかける。
「知るか知るか知るかぁ。わあああぁぁぁあああ」
酸素マスクをしたままの春希は、泣きじゃくるかずさの頭を撫でた。そして、雪菜の右手に左手を重ね、微笑みかけた。
雪菜は、泣き笑いで顔をくしゃくしゃにしながら、左手で、かずさの背中を撫でていた。
�爐瓦瓩鵑吻�
春希は、心の中で心底謝った。
�爐�前らには悪いが、……どうやら俺は、宇宙で一番の最低な男で、宇宙で一番の最高に幸せな男のようだ��
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
春希は、京都第二日赤に運び込まれていた。
春希の背中右側からやや上方に向けて刺された果物ナイフは、百均で普通に売っているもので、それ程鋭利ではなかった。五センチ程の深さで留まったが、その切っ先は腎臓を傷つけ、大量に出血させた。
ただ、救急搬送が早かったため、大事は免れた……。
一生懸命、生きているだけなのに、人は、何処で他人から恨まれるのか、分からない。
春希を刺した加害者は、昨年、ドラマ「届かない恋」の主題歌を歌っていた、女性歌手、だった。グラビアモデル上がりで下積みの長かった彼女は、昨年10月、初めてドラマの主題歌を歌うというチャンスに恵まれた。
だが、雪菜が歌ったエンディングテーマ『優しい嘘』と、劇中歌『届かない恋』に人気を奪われ、その主題歌の販売数は頭打ちとなり、最終回ではアバンから本編に入ったせいで流されもしないなど、記憶から消されてしまった。
そして、今夏、再び握ったチャンス、魔女っ娘もののアニメの主題歌さえも、違法薬物使用による自分の男の逮捕に絡んで、自分も疑われ、長期にわたり取り調べを受けた結果、芸能界での居場所が全くなくなってしまった。
自分は辛酸を嘗めたにも関わらず、あの名門大学をエスカレーターで卒業したお嬢さんは、最初のチャンスを横から掻っ攫っただけでなく、次のチャンスさえ奪い、ものにしていった。
加えて学園祭まわりまでして、若いファンを開拓。自分の元カレにギターを弾かせるわ、世界的ピアニストまで良い様に使ってピアノを弾かせるわ、好き勝手なことばかりやって、儲けている。
……全くの責任転嫁、偏見、思い込みなのだが、彼女を取り巻く状況は厳しく、彼女の心は追い込まれた。
小木曽雪菜か、その友人の冬馬かずさか、二人に深く関係している北原春希かの、誰かを血祭りに上げなければ収まらなくなっていった。
彼女がもし、必ず殺すつもりで刺し込んでいたら、春希の命はなかった。
だが、衝動的な行為は、成した瞬間に人を現実に連れ戻すものだ。刺した後に押し込む、とか、抜いて再び刺す程の計画性と決意が、彼女にはなかった。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
意識が回復した春希は、雪菜とかずさに、東京に帰るよう言った。
だが、もちろん、二人はうんとは言わなかった。
「かずさ、……お前、年末の帝都オペラシティでの、帝都フィルとのピアノ・コンチェルトの演奏会、控えてるんだぞ。それに、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の録音も、もう間近じゃないか」
「嫌だ。お前が退院するまで、京都にいる。練習スタジオも京都で押さえるように、早百合ちゃんにお願いしてる」
「雪菜も、録音、残ってるだろ。年末にはミックスダウンに移行しないと、2月14日の発売が危なくなるぞ。かずさを連れて帰ってくれ」
「早百合ちゃんには、全ての予定は先送りするように言ってある。わたしも、春希くんが退院するまで、かずさと一緒に、京都にいるよ」
「お前らな……」春希は、心底困った。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「こんにちは。水野治彦先生のお電話ですか？」
「水野ですが」
「お忙しいところ、すみません。冬馬曜子オフィスの北原春希です」
「合コン参加者の名簿なら、もう絶対に教えないよ」
「古い話を……。すみません、まだ怒ってらっしゃいましたか」
「うそうそ。京都第二日赤に入院中だったっけ。なんだ、怪我の具合は、思ったより深刻じゃないみたいだね」
はぁ〜、と、水野はため息をついた。
「あの、ひょっとして落胆してます？」
「仮にも僕は医師だよ。人の不幸を願うようなこと、する訳ないじゃないか。……誰かさん以外にはね」
「あは、あはは」
「うそうそ。たぶん、ね」
「と、ところで、ご相談が……。峰城大学病院に転院したいのですが」
「東京まで動くのは、ちょっとまだ早いと思うよ」
「ですが、僕がここにいると、かずさと、雪菜が、東京に帰らなくて、困っているんです」
「そりゃまた、羨ましい話だね」
「すみません」
「部屋、用意するよう、言っとくよ。それから、主治医の名前、教えて」
「えっ」
「術後の経過を聴きたいから」
「ありがとうございます」
「君に何かあったら、雪菜さんが後追いしそうだからね」
春希は、母・希子を京都まで呼び出して付き添ってもらい、かずさ、雪菜を連れて、新幹線のグリーン車で東京まで帰った。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「先輩……」
「杉浦？」
「ごめんなさい。今、電話しても大丈夫ですか？」
「ああ」
「お身体は、如何ですか？」
「すぐにでも退院できると思うんだけど、少し過労気味だとか診断されて、念のためって感じかな」
「わたし……、あの……、あの……」
「どうした？」
「ごめんなさい……、ごめん、なさい……」
電話の向こう側で、小春は泣き出した。
「何か、あったのか？」
「わたし……、知ってた。……あの人のこと、知ってたんです」
「あの人って、加害者のこと、か？」
「はい……。わたし、木崎さんから、聞いていたんです。業界の中に、雪菜さんのことを、凄く悪く言っている人がいるってこと……。それが、彼女だったんです」
「そう、なんだ」
「なのに、伝えられなかった……。先輩にちゃんと伝えておけば、先輩を傷つけずに済んだのに……。三人を、こんな状態にせずに済んだのに……。わたし、わたし……」
「君のことだから、確証のない噂話を伝える気になれなかったんじゃないか。だから、話さなかったんだろ」
「でもっ、それさえ伝えていれば、先輩は……、先輩ぃ、は……」
そしてまた、小春は嗚咽する。
「杉浦、俺の頼みを聴いてくれないか？」
「はい……」
「俺、セキュリティー対策が甘かったなって、なおかつ、鈍臭かったなって、かなりヘコんでるんだ。
だから、これ以上、俺をヘコまさないでくれ」
「え……」
「自分のヘマで、何も悪くない、俺の大事な後輩を泣かせてしまった、なんて、死にそうに悲しくなるから、さ」
「先輩ぃ……」
「だから、もう泣かないで。そして、二度と、自分を責めないでくれよ。俺、元気な杉浦の声が好きなんだ」
「先輩……、ずるい……」
「頼むよ。何時ものように、熱くて、ハキハキした声を聞かせてくれよ」
「ホントに……、先輩は女の敵です」
「ありがとう」
「絶対にお見舞いになんか行かないんだから」
「うん」
「だから、早く治して……。早く退院して下さい……」
「うん、ありがとう。……あのな、杉浦」
「はい」
「きっと、マスコミ向けの対応が必要になると思うんだ。その時は、頼っても良いか？」
「分かりました。任せて下さい」
「頼りにしてるよ」
「はい」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
小木曽雪菜のライブで傷害事件があったことは、連日、テレビの芸能ニュースを賑わせていた。
冬馬かずさがステージでピアノを弾いていたこと。刺されたのはその日限りのギタリストで、冬馬かずさのマネージャー兼夫の北原春希氏であること。北原氏が守ろうとしたのは小木曽雪菜であったこと。
二人は元々恋人関係にあったこと、等が、改めて大衆の知るところとなった。
ただ、今回、加害者と春希の間に邪推が生じたせいで、それに端を発して、春希の女性遍歴が取沙汰され、そこから「冬馬かずささんは、北原春希氏と婚約中だった小木曽雪菜さんから彼を奪い、入籍したこと」、つまり略奪婚が大きく取り上げられてしまった。
youtubeに上げられた、血まみれの春希を抱いて叫んでいる雪菜と、呆然としてへたり込んでいるかずさの映像と共に。
「これは、記者会見しないと収集つかないかな」
春希は百万回以上再生されているその動画を、iPadで見ながら、病院のベッドの上で言った。youtubeに何度削除を依頼しても、ダウンロードした動画をyoutuberがアップしてしまう。
「羨ましいわね」と、たまたま見舞いにきていた曜子が言う。
「何がですか」と、春希は憎々しげに言う。
「私もスキャンダルでマスコミに騒がれたことが何回かあったけど、これだけ派手なのは経験ないわ」
「春希……、私の前でその動画見ないで。今でもぞっとするわ」と、付き添っていた希子が言った。
「ごめん、母さん」
希子は、やっと落ち着いてきた。事件の一報が入った時、半狂乱で曜子に連絡してきて、大変だったそうだ。
「春希君は、このネタで商売する方法、ちゃんと考えたかな」
「ネタ、ですか？」
「加害者からお金をぶん捕れないんだから、ちゃんと商売のネタにしないと勿体ないわよ」
曜子は、加害者の女が所属していた事務所を相手取り、民事訴訟を起こして、医療費の他に、慰謝料を法外にぶん捕り、事務所を潰してやると息巻いていたが、これ以上の恨みの連鎖を恐れた春希によって、諌められた。
かずさや雪菜が、これ以上、予測の付かない悪意に晒されるのだけは、春希としては、何としても避けたかった。
だから、加害者の女には医療費を請求する程度で、他の民事訴訟は起こさないことを決めた。
もっとも……、第三者傷害には、健康保険が利かない。
加害者の女が、医療費全額を負担するだけの金を持っているとは思われなかったため、春希は、友近の母の医療費として工面したにもかかわらず返ってきてしまった金を、使わざるを得なかった。
おまけに、国営放送から、年末の大イベントについて、雪菜の出演を見合わせるよう、連絡があった。
「赤組で歌う雪菜を、見てみたかったな……」と、春希は独り言ちた。
「あんな下らないもの、出なくて良いわよ」と、曜子は一刀両断した。
「来年の大晦日、裏番組で、かずさと雪菜のコンサートを中継してやりなさい。
その方がよっぽど美しいわ」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「雪菜、来てたのか」
「かずさ、上手く入れた？」
「ああ、職員入口からな。マスコミ連中は、玄関にまだいたの？」
「何人かは、いるみたいね」
何処から嗅ぎ付けたのか、依緒にインタビューを試みた輩がいて、逆上した依緒が食って掛かる場面がテレビで流された。もちろんモザイクがかかっていたが、その映像を見たかずさは、ちょっと落ち込み……、依緒に「すまなかった」と電話した。
春希のベッドサイドには、三人のことを話題にしたタヴロイド、週刊誌等々が山積みになっていた。小木曽雪菜に対する同情評が多く、一方、冬馬かずさは略奪婚という観点からバッシングされていた。北原春希は刺された被害者にも関わらず、やっかみからか、酷い男と評論されていた。
「春希くん、こんなの買わなくても良いのに」
「春希の奴、昨日、あたしが愚痴ってたら、『気にすんな。俺達に関して無責任な噂話をでっち上げてるメディアと人間のリストをまとめてる。怪我が癒えて、余熱が冷めたら、必ず何らかの形で、煮え湯を飲ませる』って言ってた。
きっと、相手が気がつかないやり口でダメージ与える方法を考えてるぞ、こいつは」
「なるほど……。春希くんが言うと、洒落にならないね」
「そうだな」かずさは微笑んだ。少し、困ったような笑みを浮かべて。
「かずさ……、ごめんね」
「何が？」
「わたしのせいで、春希くん、怪我させちゃったね」
「何言ってんの。春希が刺されたのは、あたしが、変なタイミングで、声をかけたからだよ」
かずさは、真剣にしょげていた。
「絶対にかずさのせいじゃない」
「絶対にあたしのせいだ」
「だから違うって」
「その場の対応だって、あたしは全然ダメだった。
雪菜が冷静でいてくれて良かった。あたしだけだったら、ナイフを抜いて、出血が酷くなって……。春希に、取り返しがつかないことが起きたんじゃないか……。
想像しただけで、今でも震えが止まらなくなるんだ……」
かずさは、自分の肩を抱いた。
「仮定論で自分を責めるのは良くないよ」
「でも……」
「わたしはね、呆然としているかずさを見て、……嫉妬していたんだ」
「えっ」
「この人は春希くんと一心同体なんだなって、思ってた。
逆にね、わたしは、なんでこんなに冷静なのかなって」
「雪菜……」
「わたしね、前に言ったでしょ。二人がこの世からいなくなったら、わたしも二人を追うよって。
でもね……、今、わたし、それはできないかもしれないなって、思ってる。
わたしは、やっぱり、お母さんや、お父さんや、弟のことを考えたら、春希くんの後を追うことはできないだろうなって思う。
小木曽雪菜を止めることはできないだろうな、って」
「そうか……」
「わたしね。春希くんと付き合っていた時に……」
「…………」
「ごめんね」
「謝らないでくれ。……困る」
「うん。その時にね、朋に言われてたんだ。『あなた、北原さんありきで進む道を決めてきたでしょ。北原さんのために、将来の可能性を狭めてきたでしょ。進学も、就職も、歌も……。それで良いの？』って」
「…………」
「わたし、実はね。就職して、何年か経ったら結婚して、うちのお母さんみたいに、家庭に収まっちゃおうかなって、思ってたんだ。子供は二人くらい。暖かい、元気な家庭を作って、春希くんを支えてあげたいな、なんてね」
「その夢は、あたしがぶっ壊してしまった」
「そうね。全てぶっ壊された……。で、考えてた。
何故、そうなったのか。
それはやっぱり、わたしがわたしをちゃんと見つめていなかったから。
小木曽雪菜という女が、どういう女なのか、見つめていなかったから」
「…………」
「わたしね、春希くんを、幸せの中に絡めとろうとしていたのかな。
すっごい我が侭な女の本性を隠したまま。
愛しい人の言うことが、優しい嘘だと分かっていて、それを黙って飲み込む様な、母親のような女のフリをして、ね。
でも、それじゃダメだった。
それに、わたしはそんな女じゃなかった。
全部、自分の想い通りにならなければ、満足できない女だったんだよ。
それなのに、自分を騙して、春希くんの優しさを欲しがったから、失敗したんだと思う」
「…………」
「でね。誰かさんが、わたしの幻想をぶっ壊してくれたから、わたしはわたしを見つめることができた。
曜子さんから誘われて、わたしは自分を知った。
わたしは……、歌うことが好き。音楽が大好きだったんだよ。
サポートする側に回って、満足することなんか、到底できない位に」
「…………」
「わたしはもう、歌手・小木曽雪菜なの。
曜子さんに言われたわ。『あなたはもう、絶対に帰れないわよ、普通の女には。わたしという悪魔に魂を売ったのだから』って。
『ずっとずっと、自分との戦いは続く。妥協せず、戦って戦って、身を削って良い音楽を作り続けなければならない。手を抜いたり、自分との戦いから逃げ出すことは許さない。死んでも許さない』って。
わたしは、生きている限り、あなた達と離れて生きるなんて、絶対に嫌。
でも、もしも、あなた達に何かあったとしても、わたしはもう、小木曽雪菜を止めることはできない。
追っかけて行くことはできないと思う。
だから、二人には、わたしより長生きしてもらわないと困るのよ」
「はは……。あたしは、殺されても死なないよ。だって、悪魔の子も、悪魔だもの」
「かずさ……」
「それに、あたし、春希と契約したんだ。もしも、春希が先に逝ってしまっても、後を追わない、ってさ」
「うん」
「逆に、もしも、あたしが先に死んだ場合は……」と、かずさが言いかけた瞬間。
「二人とも、来てたのか」と春希が言った。
「春希くん」「春希……」
「かずさ、今、何時？」
「夜の、10時だ」
「変な時間に目が覚めてしまったな〜」
�狎簑弌∧垢い討燭福△海い帖帖牒瓩函△�ずさは思った。
「痛み止めのせいかな……。変な夢を見たよ」
「どんな？」
「俺がテコンドーの達人で、黒装束の怪人どもから、二人を助けている話さ」
「ふーん」�牘海个辰�り��
「その時、春希くんの腕の中には、どっちがいたのかな？」
雪菜は少々、意地悪な質問をしてみる。
「えっ、えっと、どうかな……」
「その話はさておき、わたしが加害者にすぐ気付いて、すぐ逃げれば良かったんだよね。そうすればあの人だって、春希くんを刺す前に止めちゃったかもしれないしね」
「雪菜のせいじゃないって。あたしのせい……」
「違うって」
「二人とも止めてくれ。俺の怪我のことは、二人が気に病むことじゃない。
俺の対処が悪かったんだ。場内警備とか、セキュリティー対策が甘かったんだ。
だから、二人とも、自分が悪いように言うのは、もう止めてくれ」
「でもでも、春希くんは、わたしを助けてくれたから、だから……」
「助けてないよ。加害者が、俺を刺してくれただけだ。あの女に計画的な殺意があったら、俺では雪菜を守れなかった。
凶器から目を切って、背中を見せてしまうなんて、かっこ悪いよ、俺。
それに、セキュリティー対策を万全にして、隙を見せなければ、加害者だって、衝動的な犯行に及ばずに、済んだかもしれないんだ」
「分かったよ。春希くんも、もう、止めて」
「そうだな。もう止めよう」
「かずさ……」
「二度とこんなことが起こらないようにしてくれ、マネージャー」
「お約束いたします」
「じゃあ、もうこの話はなし。次にこの話を持ち出した奴には、ケーキをおごってもらう」
「それ、得なの、かずさだけじゃないの」
「ふふん」
口の端に笑みをうかべながら、かずさの瞳には、何か晴れない表情が浮かんでいた。
「……まあ、良いけど」
「ところで、記者会見、やるのか？」
「俺は、刺されたこと以外に、あることないこと訊かれるのが嫌だから、文章発表で済ましたかったんだけどな」
「それじゃ、ダメなの？」
「曜子さんが言うには、このまま余熱が冷めるまで放っておく方法もあるけれど、曖昧にネガティヴな印象が付いて回るから、一気に払拭すると同時に、商売につなげた方が良い、だって」
「良い音楽を提供し続ければ、文句言われなくなるんじゃない？」
「そうかもしれないな」
「じゃあ、止めようよ」と、雪菜は食い下がる。
「だから、俺、一人で会見しようと思う」
「春希くん……」
「ヨーロッパでも、殆どそうしてきたし、その方が良いと思う」
「でも、それなら、怪我が治ってからでも良いんじゃ」
「話がこじれかけたら、悪化したフリして倒れて中断させる。だから、今の方が都合が良い」
「どうしても記者会見するというなら、わたしも出るよ」と雪菜は言った。
「どうして？」
「どうしてって、これ以上、わたし達に関係のない人に、わたし達の話を曲げて話題にしてほしくないから」
「当人が話した方が揚げ足とられてややこしくなる場合だってあるんだぞ」
春希は、かなり固い声で言った。
「……ねえ、わたし達って、何か悪いことをしたのかな？」
雪菜は、静かに返した。
「そりゃ……」かずさの目が泳いだ。
「お前は何も悪くないよ」
「三人とも、悪くないよ。わたし達は、三人で、詩を書いて、曲を作って、歌って、演奏してる。それだけだよ。
誰にも負けない素敵な恋をした。それだけだよ。
わたしは、三人の関係に、誰も口を挿んでほしくない。
あなた達を悪く言う人は、わたしが許さない。あなた達を傷つける権利を持っているのは、わたしだけなんだから。
わたしは、かずさに、そう約束した。だから、わたしは記者会見に出るよ」
「雪菜……、俺が止めてくれって言っても、たぶん、無理なんだよな」
「というか、わたし一人で良い。春希くんこそ出なくて良いよ」
「それは無理な注文だろう」
「じゃあ、少なくとも朋に司会を頼んだらどうかな？」
「なるほど……。柳原が司会なら、ちゃんと交通整理してくれそうだ。
それなら、東亜テレビに幹事会社を頼もうか。あの局が一番真面目な報道してくれてるし」
「朋ちゃんが司会してくれるなら……、あたしも出るしかなさそうだ」
かずさが諦めたように言った。
「かずさはダメだよ。あなたは、こんなバカみたいな場所に付き合う必要ない」
「あたしとしては、雪菜と春希を二人っきりにするのも嫌だし、雪菜にだけ良い顔されるのも嫌だからな」
かずさは、少し皮肉な笑いをうかべながら言った。
「むー、なんというひねくれた考え方」
「お前……、あたしを庇おうとしてくれてるんだろ？」
「えっ、そういう訳じゃないけど……」
「なら、良いだろ」
「でもでも、嫌なこと、言われるかもしれないんだよ？
怒ったら、もっと、嫌な風に書かれちゃうかもしれないんだよ？
日本を……、嫌いになっちゃうかもしれないんだよ？」
「心配するなよ。お前が、言ったんだぞ。『誰かにかずさを傷つけさせたりは、絶対にしない』って」
「だから、出なくて良いって……」
「あたしはもう決めた」
「かずさ、考え直してくれ。頼む」
「うるさい。もう決めたの」
腕を組んで意固地になるかずさを見ながら、春希と雪菜は途方に暮れた。
だが、かずさの中には、粉雪が少しずつ積もっていった。
目次 ／ 前回 ／ 続き
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真っ白な世界の中で、背を向けて立っている、女子高生二人。
左側に立つ女の子は、黒く長いストレートの髪を豊かに湛えている。
右側に立つ女の子は、少し明るい色の長い髪をツーサイドアップにしている。
冬の制服のスカートは短く、すらりと伸びた白い足が眩しい。
�爐�ずさ……、雪菜……��
二人は、少し振り向く。
�爐瓦瓩鵑福帖帖２兇�優柔不断なばかりに、二人を傷つけて……��
二人は、もう少し振り向く。
�爐瓦瓩鵑福帖帖２兇�二人とも愛してしまったばかりに、二人を傷つけて……��
かずさと、雪菜は、こちらを向き、春希を見つめる。
二人の目から、涙が一滴、すっと落ちた。
�爐瓦瓩鵑福△�ずさ……。俺がもっと早く、お前を愛してるという、自分の気持ちに真正面から向き合って、お前に告白していたら、辛い思いや寂しい思いをさせずに済んだのにな……��
�爐瓦瓩鵑福∪禳據帖帖２供�君に甘えてばかりで、何時も君に救われてきたのに、かずさを目の前にすると、何も目に入らなくなってしまって……。君を何度も傷つけて、本当に、ごめんな……��
ゆっくりと降る粉雪の中で、かずさと雪菜は、左右から春希を見つめていた。
微かに、『さよならのこと』が聴こえる。
�爐修Δ機Ｋ困譴蕕譴覆い茵Ｆ鷽佑量擬抖い弊次�
今も色褪せない、楽しい日々。
さよならを言う日が来るなんて、思いもしなかった。
ごめんな……��
……（春、希）……（春希）
……（春希くん）……（春希くん！）
（……かずさ。……なんだよ、お前、付いてくんなって、言ったのに。
それに雪菜まで……。
お前ら、なんで、もっと自分を、大事にしないんだよ。
いいか、良く聞けよ。天国はな、必死に生き抜いた者だけが、辿り着けるんだぞ。
お前らには、お前らの音楽を、待ち望んでる人達が、いっぱい、いるんだから。
お前らの、魂の枯れる時まで、全力で、良い音楽を作れ。
俺は、何処にいても、必ず聴いているから。
……こんな所にいないで、早く帰れ。
……ところで、ここは、地獄、か、天国、か、どっちだ？）
「どっちでもないよっ。死にかけが説教すんなっ。
この、大馬鹿野郎っ！」
かずさが、思い切り叫んだ。
（どっちでもない、って……）
「病院よ、春希くん！ あなたは、生きてるよ！」
雪菜は、声を震わせて、言った。
（そうだったのか……。てっきり死んだかと思った）
「……ん、だとぉ」
かずさの両目が複雑な色に燃え、そして眦に涙が溢れた。
「危なかったのよ。凄い血の量だったんだ、から」
ホッとした表情の雪菜の頬を、涙が滑り落ちた。
「このっ、馬鹿野郎がぁっ」
そう叫ぶと、かずさは春希の胸に顔を打つけて、強くこすりつけ、止めどなく泣き出した。
（痛いっ！ 痛いよ、かずさ）
「かずさ、傷口が開くよっ」
雪菜も驚いて声をかける。
「知るか知るか知るかぁ。わあああぁぁぁあああ」
酸素マスクをしたままの春希は、泣きじゃくるかずさの頭を撫でた。そして、雪菜の右手に左手を重ね、微笑みかけた。
雪菜は、泣き笑いで顔をくしゃくしゃにしながら、左手で、かずさの背中を撫でていた。
�爐瓦瓩鵑吻�
春希は、心の中で心底謝った。
�爐�前らには悪いが、……どうやら俺は、宇宙で一番の最低な男で、宇宙で一番の最高に幸せな男のようだ��
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
春希は、京都第二日赤に運び込まれていた。
春希の背中右側からやや上方に向けて刺された果物ナイフは、百均で普通に売っているもので、それ程鋭利ではなかった。五センチ程の深さで留まったが、その切っ先は腎臓を傷つけ、大量に出血させた。
ただ、救急搬送が早かったため、大事は免れた……。
一生懸命、生きているだけなのに、人は、何処で他人から恨まれるのか、分からない。
春希を刺した加害者は、昨年、ドラマ「届かない恋」の主題歌を歌っていた、女性歌手、だった。グラビアモデル上がりで下積みの長かった彼女は、昨年10月、初めてドラマの主題歌を歌うというチャンスに恵まれた。
だが、雪菜が歌ったエンディングテーマ『優しい嘘』と、劇中歌『届かない恋』に人気を奪われ、その主題歌の販売数は頭打ちとなり、最終回ではアバンから本編に入ったせいで流されもしないなど、記憶から消されてしまった。
そして、今夏、再び握ったチャンス、魔女っ娘もののアニメの主題歌さえも、違法薬物使用による自分の男の逮捕に絡んで、自分も疑われ、長期にわたり取り調べを受けた結果、芸能界での居場所が全くなくなってしまった。
自分は辛酸を嘗めたにも関わらず、あの名門大学をエスカレーターで卒業したお嬢さんは、最初のチャンスを横から掻っ攫っただけでなく、次のチャンスさえ奪い、ものにしていった。
加えて学園祭まわりまでして、若いファンを開拓。自分の元カレにギターを弾かせるわ、世界的ピアニストまで良い様に使ってピアノを弾かせるわ、好き勝手なことばかりやって、儲けている。
……全くの責任転嫁、偏見、思い込みなのだが、彼女を取り巻く状況は厳しく、彼女の心は追い込まれた。
小木曽雪菜か、その友人の冬馬かずさか、二人に深く関係している北原春希かの、誰かを血祭りに上げなければ収まらなくなっていった。
彼女がもし、必ず殺すつもりで刺し込んでいたら、春希の命はなかった。
だが、衝動的な行為は、成した瞬間に人を現実に連れ戻すものだ。刺した後に押し込む、とか、抜いて再び刺す程の計画性と決意が、彼女にはなかった。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
意識が回復した春希は、雪菜とかずさに、東京に帰るよう言った。
だが、もちろん、二人はうんとは言わなかった。
「かずさ、……お前、年末の帝都オペラシティでの、帝都フィルとのピアノ・コンチェルトの演奏会、控えてるんだぞ。それに、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』の録音も、もう間近じゃないか」
「嫌だ。お前が退院するまで、京都にいる。練習スタジオも京都で押さえるように、早百合ちゃんにお願いしてる」
「雪菜も、録音、残ってるだろ。年末にはミックスダウンに移行しないと、2月14日の発売が危なくなるぞ。かずさを連れて帰ってくれ」
「早百合ちゃんには、全ての予定は先送りするように言ってある。わたしも、春希くんが退院するまで、かずさと一緒に、京都にいるよ」
「お前らな……」春希は、心底困った。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「こんにちは。水野治彦先生のお電話ですか？」
「水野ですが」
「お忙しいところ、すみません。冬馬曜子オフィスの北原春希です」
「合コン参加者の名簿なら、もう絶対に教えないよ」
「古い話を……。すみません、まだ怒ってらっしゃいましたか」
「うそうそ。京都第二日赤に入院中だったっけ。なんだ、怪我の具合は、思ったより深刻じゃないみたいだね」
はぁ〜、と、水野はため息をついた。
「あの、ひょっとして落胆してます？」
「仮にも僕は医師だよ。人の不幸を願うようなこと、する訳ないじゃないか。……誰かさん以外にはね」
「あは、あはは」
「うそうそ。たぶん、ね」
「と、ところで、ご相談が……。峰城大学病院に転院したいのですが」
「東京まで動くのは、ちょっとまだ早いと思うよ」
「ですが、僕がここにいると、かずさと、雪菜が、東京に帰らなくて、困っているんです」
「そりゃまた、羨ましい話だね」
「すみません」
「部屋、用意するよう、言っとくよ。それから、主治医の名前、教えて」
「えっ」
「術後の経過を聴きたいから」
「ありがとうございます」
「君に何かあったら、雪菜さんが後追いしそうだからね」
春希は、母・希子を京都まで呼び出して付き添ってもらい、かずさ、雪菜を連れて、新幹線のグリーン車で東京まで帰った。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「先輩……」
「杉浦？」
「ごめんなさい。今、電話しても大丈夫ですか？」
「ああ」
「お身体は、如何ですか？」
「すぐにでも退院できると思うんだけど、少し過労気味だとか診断されて、念のためって感じかな」
「わたし……、あの……、あの……」
「どうした？」
「ごめんなさい……、ごめん、なさい……」
電話の向こう側で、小春は泣き出した。
「何か、あったのか？」
「わたし……、知ってた。……あの人のこと、知ってたんです」
「あの人って、加害者のこと、か？」
「はい……。わたし、木崎さんから、聞いていたんです。業界の中に、雪菜さんのことを、凄く悪く言っている人がいるってこと……。それが、彼女だったんです」
「そう、なんだ」
「なのに、伝えられなかった……。先輩にちゃんと伝えておけば、先輩を傷つけずに済んだのに……。三人を、こんな状態にせずに済んだのに……。わたし、わたし……」
「君のことだから、確証のない噂話を伝える気になれなかったんじゃないか。だから、話さなかったんだろ」
「でもっ、それさえ伝えていれば、先輩は……、先輩ぃ、は……」
そしてまた、小春は嗚咽する。
「杉浦、俺の頼みを聴いてくれないか？」
「はい……」
「俺、セキュリティー対策が甘かったなって、なおかつ、鈍臭かったなって、かなりヘコんでるんだ。
だから、これ以上、俺をヘコまさないでくれ」
「え……」
「自分のヘマで、何も悪くない、俺の大事な後輩を泣かせてしまった、なんて、死にそうに悲しくなるから、さ」
「先輩ぃ……」
「だから、もう泣かないで。そして、二度と、自分を責めないでくれよ。俺、元気な杉浦の声が好きなんだ」
「先輩……、ずるい……」
「頼むよ。何時ものように、熱くて、ハキハキした声を聞かせてくれよ」
「ホントに……、先輩は女の敵です」
「ありがとう」
「絶対にお見舞いになんか行かないんだから」
「うん」
「だから、早く治して……。早く退院して下さい……」
「うん、ありがとう。……あのな、杉浦」
「はい」
「きっと、マスコミ向けの対応が必要になると思うんだ。その時は、頼っても良いか？」
「分かりました。任せて下さい」
「頼りにしてるよ」
「はい」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
小木曽雪菜のライブで傷害事件があったことは、連日、テレビの芸能ニュースを賑わせていた。
冬馬かずさがステージでピアノを弾いていたこと。刺されたのはその日限りのギタリストで、冬馬かずさのマネージャー兼夫の北原春希氏であること。北原氏が守ろうとしたのは小木曽雪菜であったこと。
二人は元々恋人関係にあったこと、等が、改めて大衆の知るところとなった。
ただ、今回、加害者と春希の間に邪推が生じたせいで、それに端を発して、春希の女性遍歴が取沙汰され、そこから「冬馬かずささんは、北原春希氏と婚約中だった小木曽雪菜さんから彼を奪い、入籍したこと」、つまり略奪婚が大きく取り上げられてしまった。
youtubeに上げられた、血まみれの春希を抱いて叫んでいる雪菜と、呆然としてへたり込んでいるかずさの映像と共に。
「これは、記者会見しないと収集つかないかな」
春希は百万回以上再生されているその動画を、iPadで見ながら、病院のベッドの上で言った。youtubeに何度削除を依頼しても、ダウンロードした動画をyoutuberがアップしてしまう。
「羨ましいわね」と、たまたま見舞いにきていた曜子が言う。
「何がですか」と、春希は憎々しげに言う。
「私もスキャンダルでマスコミに騒がれたことが何回かあったけど、これだけ派手なのは経験ないわ」
「春希……、私の前でその動画見ないで。今でもぞっとするわ」と、付き添っていた希子が言った。
「ごめん、母さん」
希子は、やっと落ち着いてきた。事件の一報が入った時、半狂乱で曜子に連絡してきて、大変だったそうだ。
「春希君は、このネタで商売する方法、ちゃんと考えたかな」
「ネタ、ですか？」
「加害者からお金をぶん捕れないんだから、ちゃんと商売のネタにしないと勿体ないわよ」
曜子は、加害者の女が所属していた事務所を相手取り、民事訴訟を起こして、医療費の他に、慰謝料を法外にぶん捕り、事務所を潰してやると息巻いていたが、これ以上の恨みの連鎖を恐れた春希によって、諌められた。
かずさや雪菜が、これ以上、予測の付かない悪意に晒されるのだけは、春希としては、何としても避けたかった。
だから、加害者の女には医療費を請求する程度で、他の民事訴訟は起こさないことを決めた。
もっとも……、第三者傷害には、健康保険が利かない。
加害者の女が、医療費全額を負担するだけの金を持っているとは思われなかったため、春希は、友近の母の医療費として工面したにもかかわらず返ってきてしまった金を、使わざるを得なかった。
おまけに、国営放送から、年末の大イベントについて、雪菜の出演を見合わせるよう、連絡があった。
「赤組で歌う雪菜を、見てみたかったな……」と、春希は独り言ちた。
「あんな下らないもの、出なくて良いわよ」と、曜子は一刀両断した。
「来年の大晦日、裏番組で、かずさと雪菜のコンサートを中継してやりなさい。
その方がよっぽど美しいわ」
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「雪菜、来てたのか」
「かずさ、上手く入れた？」
「ああ、職員入口からな。マスコミ連中は、玄関にまだいたの？」
「何人かは、いるみたいね」
何処から嗅ぎ付けたのか、依緒にインタビューを試みた輩がいて、逆上した依緒が食って掛かる場面がテレビで流された。もちろんモザイクがかかっていたが、その映像を見たかずさは、ちょっと落ち込み……、依緒に「すまなかった」と電話した。
春希のベッドサイドには、三人のことを話題にしたタヴロイド、週刊誌等々が山積みになっていた。小木曽雪菜に対する同情評が多く、一方、冬馬かずさは略奪婚という観点からバッシングされていた。北原春希は刺された被害者にも関わらず、やっかみからか、酷い男と評論されていた。
「春希くん、こんなの買わなくても良いのに」
「春希の奴、昨日、あたしが愚痴ってたら、『気にすんな。俺達に関して無責任な噂話をでっち上げてるメディアと人間のリストをまとめてる。怪我が癒えて、余熱が冷めたら、必ず何らかの形で、煮え湯を飲ませる』って言ってた。
きっと、相手が気がつかないやり口でダメージ与える方法を考えてるぞ、こいつは」
「なるほど……。春希くんが言うと、洒落にならないね」
「そうだな」かずさは微笑んだ。少し、困ったような笑みを浮かべて。
「かずさ……、ごめんね」
「何が？」
「わたしのせいで、春希くん、怪我させちゃったね」
「何言ってんの。春希が刺されたのは、あたしが、変なタイミングで、声をかけたからだよ」
かずさは、真剣にしょげていた。
「絶対にかずさのせいじゃない」
「絶対にあたしのせいだ」
「だから違うって」
「その場の対応だって、あたしは全然ダメだった。
雪菜が冷静でいてくれて良かった。あたしだけだったら、ナイフを抜いて、出血が酷くなって……。春希に、取り返しがつかないことが起きたんじゃないか……。
想像しただけで、今でも震えが止まらなくなるんだ……」
かずさは、自分の肩を抱いた。
「仮定論で自分を責めるのは良くないよ」
「でも……」
「わたしはね、呆然としているかずさを見て、……嫉妬していたんだ」
「えっ」
「この人は春希くんと一心同体なんだなって、思ってた。
逆にね、わたしは、なんでこんなに冷静なのかなって」
「雪菜……」
「わたしね、前に言ったでしょ。二人がこの世からいなくなったら、わたしも二人を追うよって。
でもね……、今、わたし、それはできないかもしれないなって、思ってる。
わたしは、やっぱり、お母さんや、お父さんや、弟のことを考えたら、春希くんの後を追うことはできないだろうなって思う。
小木曽雪菜を止めることはできないだろうな、って」
「そうか……」
「わたしね。春希くんと付き合っていた時に……」
「…………」
「ごめんね」
「謝らないでくれ。……困る」
「うん。その時にね、朋に言われてたんだ。『あなた、北原さんありきで進む道を決めてきたでしょ。北原さんのために、将来の可能性を狭めてきたでしょ。進学も、就職も、歌も……。それで良いの？』って」
「…………」
「わたし、実はね。就職して、何年か経ったら結婚して、うちのお母さんみたいに、家庭に収まっちゃおうかなって、思ってたんだ。子供は二人くらい。暖かい、元気な家庭を作って、春希くんを支えてあげたいな、なんてね」
「その夢は、あたしがぶっ壊してしまった」
「そうね。全てぶっ壊された……。で、考えてた。
何故、そうなったのか。
それはやっぱり、わたしがわたしをちゃんと見つめていなかったから。
小木曽雪菜という女が、どういう女なのか、見つめていなかったから」
「…………」
「わたしね、春希くんを、幸せの中に絡めとろうとしていたのかな。
すっごい我が侭な女の本性を隠したまま。
愛しい人の言うことが、優しい嘘だと分かっていて、それを黙って飲み込む様な、母親のような女のフリをして、ね。
でも、それじゃダメだった。
それに、わたしはそんな女じゃなかった。
全部、自分の想い通りにならなければ、満足できない女だったんだよ。
それなのに、自分を騙して、春希くんの優しさを欲しがったから、失敗したんだと思う」
「…………」
「でね。誰かさんが、わたしの幻想をぶっ壊してくれたから、わたしはわたしを見つめることができた。
曜子さんから誘われて、わたしは自分を知った。
わたしは……、歌うことが好き。音楽が大好きだったんだよ。
サポートする側に回って、満足することなんか、到底できない位に」
「…………」
「わたしはもう、歌手・小木曽雪菜なの。
曜子さんに言われたわ。『あなたはもう、絶対に帰れないわよ、普通の女には。わたしという悪魔に魂を売ったのだから』って。
『ずっとずっと、自分との戦いは続く。妥協せず、戦って戦って、身を削って良い音楽を作り続けなければならない。手を抜いたり、自分との戦いから逃げ出すことは許さない。死んでも許さない』って。
わたしは、生きている限り、あなた達と離れて生きるなんて、絶対に嫌。
でも、もしも、あなた達に何かあったとしても、わたしはもう、小木曽雪菜を止めることはできない。
追っかけて行くことはできないと思う。
だから、二人には、わたしより長生きしてもらわないと困るのよ」
「はは……。あたしは、殺されても死なないよ。だって、悪魔の子も、悪魔だもの」
「かずさ……」
「それに、あたし、春希と契約したんだ。もしも、春希が先に逝ってしまっても、後を追わない、ってさ」
「うん」
「逆に、もしも、あたしが先に死んだ場合は……」と、かずさが言いかけた瞬間。
「二人とも、来てたのか」と春希が言った。
「春希くん」「春希……」
「かずさ、今、何時？」
「夜の、10時だ」
「変な時間に目が覚めてしまったな〜」
�狎簑弌∧垢い討燭福△海い帖帖牒瓩函△�ずさは思った。
「痛み止めのせいかな……。変な夢を見たよ」
「どんな？」
「俺がテコンドーの達人で、黒装束の怪人どもから、二人を助けている話さ」
「ふーん」�牘海个辰�り��
「その時、春希くんの腕の中には、どっちがいたのかな？」
雪菜は少々、意地悪な質問をしてみる。
「えっ、えっと、どうかな……」
「その話はさておき、わたしが加害者にすぐ気付いて、すぐ逃げれば良かったんだよね。そうすればあの人だって、春希くんを刺す前に止めちゃったかもしれないしね」
「雪菜のせいじゃないって。あたしのせい……」
「違うって」
「二人とも止めてくれ。俺の怪我のことは、二人が気に病むことじゃない。
俺の対処が悪かったんだ。場内警備とか、セキュリティー対策が甘かったんだ。
だから、二人とも、自分が悪いように言うのは、もう止めてくれ」
「でもでも、春希くんは、わたしを助けてくれたから、だから……」
「助けてないよ。加害者が、俺を刺してくれただけだ。あの女に計画的な殺意があったら、俺では雪菜を守れなかった。
凶器から目を切って、背中を見せてしまうなんて、かっこ悪いよ、俺。
それに、セキュリティー対策を万全にして、隙を見せなければ、加害者だって、衝動的な犯行に及ばずに、済んだかもしれないんだ」
「分かったよ。春希くんも、もう、止めて」
「そうだな。もう止めよう」
「かずさ……」
「二度とこんなことが起こらないようにしてくれ、マネージャー」
「お約束いたします」
「じゃあ、もうこの話はなし。次にこの話を持ち出した奴には、ケーキをおごってもらう」
「それ、得なの、かずさだけじゃないの」
「ふふん」
口の端に笑みをうかべながら、かずさの瞳には、何か晴れない表情が浮かんでいた。
「……まあ、良いけど」
「ところで、記者会見、やるのか？」
「俺は、刺されたこと以外に、あることないこと訊かれるのが嫌だから、文章発表で済ましたかったんだけどな」
「それじゃ、ダメなの？」
「曜子さんが言うには、このまま余熱が冷めるまで放っておく方法もあるけれど、曖昧にネガティヴな印象が付いて回るから、一気に払拭すると同時に、商売につなげた方が良い、だって」
「良い音楽を提供し続ければ、文句言われなくなるんじゃない？」
「そうかもしれないな」
「じゃあ、止めようよ」と、雪菜は食い下がる。
「だから、俺、一人で会見しようと思う」
「春希くん……」
「ヨーロッパでも、殆どそうしてきたし、その方が良いと思う」
「でも、それなら、怪我が治ってからでも良いんじゃ」
「話がこじれかけたら、悪化したフリして倒れて中断させる。だから、今の方が都合が良い」
「どうしても記者会見するというなら、わたしも出るよ」と雪菜は言った。
「どうして？」
「どうしてって、これ以上、わたし達に関係のない人に、わたし達の話を曲げて話題にしてほしくないから」
「当人が話した方が揚げ足とられてややこしくなる場合だってあるんだぞ」
春希は、かなり固い声で言った。
「……ねえ、わたし達って、何か悪いことをしたのかな？」
雪菜は、静かに返した。
「そりゃ……」かずさの目が泳いだ。
「お前は何も悪くないよ」
「三人とも、悪くないよ。わたし達は、三人で、詩を書いて、曲を作って、歌って、演奏してる。それだけだよ。
誰にも負けない素敵な恋をした。それだけだよ。
わたしは、三人の関係に、誰も口を挿んでほしくない。
あなた達を悪く言う人は、わたしが許さない。あなた達を傷つける権利を持っているのは、わたしだけなんだから。
わたしは、かずさに、そう約束した。だから、わたしは記者会見に出るよ」
「雪菜……、俺が止めてくれって言っても、たぶん、無理なんだよな」
「というか、わたし一人で良い。春希くんこそ出なくて良いよ」
「それは無理な注文だろう」
「じゃあ、少なくとも朋に司会を頼んだらどうかな？」
「なるほど……。柳原が司会なら、ちゃんと交通整理してくれそうだ。
それなら、東亜テレビに幹事会社を頼もうか。あの局が一番真面目な報道してくれてるし」
「朋ちゃんが司会してくれるなら……、あたしも出るしかなさそうだ」
かずさが諦めたように言った。
「かずさはダメだよ。あなたは、こんなバカみたいな場所に付き合う必要ない」
「あたしとしては、雪菜と春希を二人っきりにするのも嫌だし、雪菜にだけ良い顔されるのも嫌だからな」
かずさは、少し皮肉な笑いをうかべながら言った。
「むー、なんというひねくれた考え方」
「お前……、あたしを庇おうとしてくれてるんだろ？」
「えっ、そういう訳じゃないけど……」
「なら、良いだろ」
「でもでも、嫌なこと、言われるかもしれないんだよ？
怒ったら、もっと、嫌な風に書かれちゃうかもしれないんだよ？
日本を……、嫌いになっちゃうかもしれないんだよ？」
「心配するなよ。お前が、言ったんだぞ。『誰かにかずさを傷つけさせたりは、絶対にしない』って」
「だから、出なくて良いって……」
「あたしはもう決めた」
「かずさ、考え直してくれ。頼む」
「うるさい。もう決めたの」
腕を組んで意固地になるかずさを見ながら、春希と雪菜は途方に暮れた。
だが、かずさの中には、粉雪が少しずつ積もっていった。
目次 ／ 前回 ／ 続き
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このページへのコメント
tuneさま、コメントありがとうございました。
いやほんと、春希のモテ具合は許せんですね。
何処が、そんなにモテるんでしょうか。
やっぱり、人の心にずけずけ入り込むくせに、逆に入り込もうとすると拒絶する、あのギャプもえですかね。
ありがとうございます。後２回で終了です。
最終話、雪菜の誕生日にアップできそうです。
とりあえず、12時回ったら、次のお話をアップします。
あまり自信がないので、お気づきの点等がありましたら、お教えいただけますと、ありがたいです。
更新お疲れ様です。
春希の夢の中に出て来るかずさと雪菜が高校時代の制服というのは、やはり3人はそこから始まったからなのでしょう。
かずさと雪菜に今回出ていた小春と周りは魅力的な女性だらけで事情を知らなければやっかみを受けてしまうのは仕方ないのかも。
3人のここに至るまでの事はこのssの中においてはかずさと雪菜が有名人になったがゆえに騒がれることだとは思いますが、記者会見で全てを話せばテレビ局からドラマ化の話が来そうですね、その場合3人は嫌がっても曜子さんはのってきそうな気がします。
次回に書かれると思いますが、かずさの想いというのは気になりますね、楽しみにしています。